12杯目 ポーションと冷酒

「カンザケ……?」

「こうして耐熱の器に入れて熱したお酒のことです」

「ポーションを熱して飲むのか。斬新だなおい」


 リンさんも一口どうぞ、と言いながら、憩は追加でもらったグラスを彼の前にトンッと置いた。


「日本ではとてもポピュラーな飲み方なんですよ」

「どれどれ……」


 少し時間が経って温くなった陶器の瓶から、グラスにゆっくり注ぐリン。

 そーっと舌を出して舐めては「あち、あち、あち」と口や頬を擦っている。


「ん、でも確かに。苦味がないな、飲みやすくなってる」

 んぐしんぐし、と顔を洗う仕草に、憩は我慢できずに笑いを漏らしてしまった。


「ふふっ。リンさん、やっぱり猫舌なんですね」

「んだとこら! 仕方ねえだろ猫なんだからよ! 人間のときはこんなの頭からかけられても平気だっての!」

 手でバンバン机を叩くと、ポーションの水面が怯えるように揺れた。


「ビールなどと違って、温度で細かく飲み方が分かれるんですよ。温めたり冷やしたり」

「冷やすのもあるのか! それも飲んでみてえなあ」

 その言葉を待っていたかのように、彼女はポンッと両手を合わせる。


「じゃあ、一緒に作って飲みましょう。私、準備しますから、明日は飲み比べ会です!」

「明日? 今夜じゃなくてか?」

 手にフォークの柄を垂直に立て、バランスを取って遊ぶリン。


「今夜はまず、このバークレンのポーションを味わってから、何を燗したり冷やしたりするか決めます」

「ま、そんなこったろうと思ったぜ……」


 ちょうど話が終わったところで肉の炙りが運ばれ、リンが即座にがっつく横で憩は2本目を頼むのだった。




 ***




 次の日、憩がヒーレ王国に来て7日目にして、初めての雨の日。

 気温は低くないので寒さはないが、霧のように線の細い温い雨粒が、バークレンの人々を優しく濡らしている。


「すみません、この天気なので準備に時間かかっちゃいました」


 日が落ちはじめ、少しずつ部屋がオレンジに染まっていく食堂で、買い出しの戦利品をテーブルに並べる憩。

 夕飯にはまだ早い、ちょうど空きの時間で、食堂には2人以外誰もいなかった。


「遅いのは別にいいけどよ……なんで食堂でやるんだ?」

「ここなら自由に火使えますし。ちゃんとここのご主人に許可も取ったんんですよ」

「よく知らない世界のヤツとそんな交渉するぜ、ったくよ」


 憎まれ口を叩きながらも、リンはこれから飲める新しい味との出会いに期待しているのか、子ども用の椅子に前のめりに座っている。


「よし、それではまず、冷酒から作っていきましょう」

「あのよ、イコイ。普通のポーションで『冷や酒』って聞いたことあんだけど、冷や酒と冷酒は違うのか?」


 彼女に促されて買ってきた袋の中身、氷やポーションを出しながら、リンが尋ねる。


「ええ、違うんです。実は『冷や酒』っていうのは常温で管理してるお酒を指すんですよ。で、それをもっと冷やしたものが『冷酒』です。冷やすことで飲み口が変わるんですよ」


 言いながら憩は、すっかり行きつけになった店で先輩から教わったことを思い出していた。



 常温は20℃。それから温度が下がるごとに、呼び方が変わっていく。


 15℃はすず冷え


 10℃は花冷え


 5℃は雪冷え



 『5℃の違いにこんなに風流な名前がついているのが、日本酒の奥深さと粋だよね!』と常々言っていた、会社の先輩女性。今は元気にしてるだろうか。



「さて、氷水で冷やしていきましょう」


 気分を切り替え、食堂から借りたボウルに買ってきた氷を入れ、水を張る。

 料理長のおじさんと店員のおばさんも、興味ありげに彼女の周りに集まってきた。


「で、ここにポーションを注いだグラスを入れて、冷えるのを待つんです。グラスに直接氷入れてもいいですけど、冷やしすぎるとお酒が薄まってしまいますからね」

「なるほど、簡単だな」


 並んだグラスをボウル越しに眺めるリン。余った氷を口に頬張り「おほっ、冷てえ!」と無邪気にはしゃいでいる。


「さて、飲んでみましょう。今のうちに、次のポーションを準備しておきます」


 そう言って、引き揚げたうちの片方をリンに手渡す。

 正確な温度は分からないけど、おそらく15℃、涼冷えくらいだろう。


「では、乾杯」



 鼻を近づけて、いつものように香から愛でる憩。果実というより蘭のような花に近い爽やかな香りが、冷やした結果より引き立てられている。



 そして一口。普通の冷やより喉越しがよくなったポーションが、スーッとストレスなく喉を滑っていく。


 シャーリ本来の甘みと微かな雑味に加えて、冷やしたことで苦味や酸味も前面に出るようになっているけど、嫌な味わいではない。むしろ、調和のとれた程よいコクになっている。



「おおう、飲みやすいな! 俺割と冷酒好きかもしれねえ!」

「そうなんですよ。同じポーションでも、今までとは違った魅力が発見できますよね!」



 お替りの手が止まらず何口か飲んでいると、氷水につけている方もちょうど良い頃合いになった。


 憩は少しだけグラスに移して温度を見てみる。その冷たさは、おそらく5℃、雪冷えくらい。



「リンさん、こっちも飲んでみてください。また少し違う感じになってます」


 自分でグラスに注いでみるリン。キンキンの瓶を持ちながら「うお、冷てえ!」と騒いでいる。


「さっきと同じポーションなんだよな? 頂くぜ」

「私も頂きます」


 憩も少量をグラスに入れ、一気に飲み干してみた。冷たい刺激が心地よく体を駆け巡る。



 爽やかな香りは、更に冷やされたことでドライになっている。鼻に近づけただけではちょっと分かりづらいその香りは、口の中で一気に広がった。


 涼冷えで若干感じた雑味はこの温度のせいで薄れており、飲み終わった後に舌に残るコクは、さっきより強く、シャープに出てくる。



「うん、味が溶け出しますね」

「あ、イコイのそれ、良い表現だな。飲んだときは冷たすぎて一瞬何の味も分からなくなるんだけど、口の中でポーションの温度が上がって、味が溶け出してくる」


「そうなんです。しかも冷やしたお酒って、冷たいつまみにも合うんですよね。サラダとか冷製スープみたいな、一見相性良くなさそうな料理と飲めるんです」

「すげえ! ポーションすげえ!」


 興奮した面持ちで尻尾をピンと張り、「お替り! お替りくれ!」と椅子の上で跳ぶリン。

 その隣で、憩から勧められ、食堂のご主人と店員のおばさんも試飲してみる。



「へえ、これ面白いわね!」

「うちの新メニューに入れてもいいな! お嬢ちゃん、まだ客来ないから、もう一本作ってくれよ!」

「分かりました!」


 みんなの歓呼に嬉しくなりながら、憩は空いた瓶に次のポーションを注ぎ始めた。

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