4 インヴィジブルフォン

 2038年、スマートフォンの製造販売が世界的に終焉した。2007年に発売されたiPhoneは31年目にして歴史的役割を終えた。今後、スマホはインヴィジブルフォン(inPhone)に代わられることになる。

 2015年のアップルウォッチ発売以来、スマホは徐々にウェアフォンに置き換えられてきた。それでもなおスマホは根強い人気を保ち続けてきた。スティーブ・ジョブズの夢は不滅だった。

 ウェアフォンの主力となったグラス型端末(iGlass)にはファッション的な限界があった。メガネが似合わない人もいるし、メガネを外したいこともある。そこでブローチ型、ヘアバンド型など、さまざまなウェアフォンが発売されたものの、どれもグラス型端末を超える流行には至らなかった。

 しかし、ついにコンタクトレンズ型端末が開発されたことで、ウェアフォンのファッション性の問題が解決された。コンタクトレンズ型端末は目の前にあるにもかかわらず、相手だけではなく本人にも見えないことから、インヴィジブルフォンと名付けられた。すでに普及していたiGlassと使い勝手が全く同じであることもinPhoneの普及に拍車をかけた。

 iGlassのインターフェースでは、リアルな視覚に重ねられる複合現実に視線を置くだけで命令が実行される。起動や間違いがゆるされない重要な命令は瞬きを使う。

 inPhoneのインターフェースはさらに進化し、もはや現実と複合現実の区別はなくなった。inPhoneを装着していることは相手に気付かれないだけではなく、自分でも忘れてしまう。意識しなくても網膜に投影している画像は常に記録されており、後で呼び出すことができる。初対面の人でも瞬時に、あるいは別れた後で、顔の画像検索によってSNSのプロフィールを読み出すことができる。目を閉じることによって現実は消え去り、仮想現実の世界に浸ることができる。音楽は耳道埋込型スピーカーで聞く。実はこのスピーカーがinPhoneの本体であって、コンタクトレンズ型端末はインターフェースにすぎない。

 iGlassでは、メガネの触り方を命令に読み替えることができた。inPhoneでは顔の触り方を命令に置き換えることができる。額を触ったり、鼻を触ったりすることが命令になるのである。これによって瞬きだけより複雑な命令を確実に実行できる。

 もしも目の前の相手もinPhoneを装着しているなら、inPhoneを介したコンタクトができる。アイコンタクトが文字や映像をまじえた複合現実になるのである。これはインヴィジブルコンタクト、あるいはダイレクトコンタクトと呼ばれ、他人に聞かれたくないビジネスの密談、恋人同士の無言の愛の語らいなど、さまざまなシーンで活用されるようになった。インヴィジブルコンタクトがやりたくてinPhoneに買い替える人も多かった。

 目の病気からinPhoneが使えない人のためにiGlassの製造は続けられる見通しである。iGlassにもinPhoneと同等の機能が装備されているため、シーンによって両方を使い分ける人もいる。どちらを使うかはファッションである。コンタクトレンズとメガネの関係と同じである。

 iGlassとinPhoneの普及率が100%になったとき、社会構造は劇的に変化する。アイコンタクトによって初対面の相手でも素性も要望もすべてわかってしまうのだ。それどころか街角やカフェでみかけただけの人ともコンタクトができる。これはSNSがもたらした革命に匹敵する。SNSは他人という存在をなくして、すべての人を友達にしてしまったが、iGlassとinPhoneはすべての人を友達以上にしてしまうのである。

 inPhoneの普及がストーカーを増やすのではないかと懸念する人がいるが、実際には逆である。inPhoneを使わなければストーキングすることはできないが、inPhoneを使っていたらストーキングしていることがすぐにわかってしまう。つまり相手が気に入ったのなら正々堂々とプロポーズするしかないのである。

 SNSやヴァーチャルリアリティは、生身の人間と交際することができない引きこもりの独身者を増やしてしまい、それが少子化(人口減少)に拍車をかけていると指摘されてきた。inPhoneは生身の人間と交際する敷居を下げる。今恋愛したい人というハッシュタグを入れて街角を見回せば、すぐに恋人候補が見つかる。ナンパグッズなのかと言ってしまえばそれまでだが、多重恋愛(ダイバーシティラブ)や刹那恋愛(モーメントラブ)の流行が、ひいては婚姻率や出生率を高める効果につながると期待されている。実際にも、inPhoneカップルは急増している。

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