IV; The Emperor



<正位置: 行動力 統率者 意志の力>



 加藤修は西山香織をAEDで甦生した後、校長だの教頭だのに報告したり、やってきた警察に事情を話したりなんかで帰るのがけっこう遅くなり、自宅に戻って夕食を済ませたあとで二十三時頃に奥さんに「ちょっとコンビニに行ってくる」と言い残しサンダルを引っかけて出掛け、その帰りに交差点の手前で歩道に乗り上げてきたトラックに巻き込まれた。


 加藤修を撥ねたのは近くの川沿いにある産廃処理業者、中山商事の8トントラックで、荷台にクズ鉄を満載したベコンベコンのそれは、見た目の通りにあまりちゃんとメンテナンスもされておらず、カーブを曲がった拍子に後輪のタイヤがバーストして横にスリップして歩道を歩いていた加藤修を側面で跳ね、その拍子に加藤修はトラックの下に巻き込まれて引っかかり、しかもスリップした時点で焦っていた運転手は加藤修を撥ねたことに全然気づいていなくて横滑り状態からなんとか復帰しようとアクセルをあけ、具合の悪いことにギリギリのところでトラックは制動を取り戻してしばらく直進し、ひっかかっていた加藤修はそのままアスファルトの上をガリガリと引きずられて鑢にかけられたみたいに頭がちょっと平らになって、中身を帯状に道路に擦り付けて死んだ。まだギリギリ、七月六日の木曜日の出来事だった。


 加藤修はどの時点で死んだのだろうか。


 最初に撥ねられた時点で死んでいたのなら、まだ救いがあるような気もするけれど、生きながらにして頭をアスファルトでゴリゴリとやすられて平らになって死んだのかもしれなくて、想像するだけでものすごく痛い。現代の日本においては想像しうる限りでも最悪の死に方の部類だろう。


 教室のみんなの間では、加藤修がそういう最悪な死にかたをしたのは西山香織の死に下手に手出しをしたからだ、本来死ぬべきだった人間を助けてしまったから、その報いで加藤修が死んだのだ、みたいな話になっていて、そういう考え方はすごくよくないと思う。


 加藤修が死んだのは中山商事の8トントラックのタイヤがバーストしてスリップしたからだし、中山商事の8トントラックのタイヤがバーストしたのは中山商事の社長があまりトラックのメンテナンスとかをちゃんとやってなかったからだし、中山商事の社長がトラックのメンテナンスをちゃんとやってなかったのは、たぶんあまり会社が儲かってなかったからで、産廃処理業者があまり儲からない原因は、たとえば日本全体の景気とか格差社会のいかんともしがたいところとか、いろいろあるのだろうけれど、でも加藤修が死んだ原因をどこまで遡ってみたところで、そこには加藤修が西山香織をAEDで甦生したことは関係していない。


 加藤修が西山香織をAEDで甦生したことと、その日の夜に中山商事の8トントラックが加藤修を撥ねて引き摺って頭を平らにしてしまったことの間にはなんの因果関係もなくて、それらはそれぞれに独立した事象であって、結び付けて考えるべきじゃない。


「でも、直接はなくても、なにか弱い因果関係みたいなのはなくもないんじゃないか?」と、どこかおずおずとした調子でキミヤが言う。


「加藤はコンビニにお酒を買いに行ってたんだって。普段は晩酌をする習慣も、夜中にコンビニまで出るようなこともなかったらしいけど、やっぱ昼間に西山香織のこととかがあって気分が昂ってたのかな。うまく眠れそうになかったのかもしれない。それで、コンビニまでお酒を買いに出て、その帰りにトラックに撥ねられた。西山香織のことがなければ加藤の気が昂ることもなかっただろうし、そしたら夜中にふらりとコンビニに出掛けたりもしなかっただろうし、それならトラックには撥ねられてなかっただろう? そういう意味では、弱い因果関係があるのかもしれない」


「弱いなら、因果関係とは言わないよ」と、わたしは答える。あるのかもしれない、とか、ないとは言い切れない、というのは、だいたい「ない」と同じ意味なのだ。


 そんな風に考え始めたら、世界の全てはお互いに関連していることになって、地球の裏側でアゲハ蝶がはばたいたら桶屋が儲かるみたいな話になってしまうし際限のないバケツリレーになってしまうから、物事というのはどこかで区切らないといけなくて、やっぱり西山香織の甦生と加藤修の死は、はっきりと別の事象として扱うべきだと思う。


「でも、世界にそういう流れみたいなものは、確かにある気がする。悪いことって、こうして続くじゃん。スポーツでもだいたいそうだ。悪い流れにハマってしまうと、どんどん悪くなっていってしまうんだ」

 そう呟くキミヤに対して、リオンが「たぶん、そうじゃないわ」と言う。

「悪いことと悪いことを繋ぎ合わせて、そういう流れを作ってしまっているのは、きっと、わたしたちの認識のほう。そういう認識が悪い流れを生み出しているのならば、なおのことそういう風に認識するべきではないんじゃないかしら」


 わたしもそう思う。リオンはいつも、わたし自身が言語化できていないわたしの中のもやもやを、的確に言語化してくれる。


 それはたとえば、駅の電光掲示板の仕組みと似たようなものなんじゃないだろうか。それぞれのダイオードはそれぞれに明滅を繰り返しているだけで、別になにも流れてなんかいないのに、人間が勝手にそれぞれの点滅を繋ぎ合わせて、右から左に文字が流れていると認識している。人間の認識が流れを生み出しているだけなのだ。


 けれど、錯覚でもなんでも、多くの人がそのように認識して、その認識をもとにして行動するならば、それは現実に作用する力を持つことになるわけで、そういう意味ではわたしたちは今、悪い流れの中にいるのだろう。とても、悪い流れの中に。


「謎の心不全に対してはAEDが有効だっていうことは分かった。だけど、AEDを使って誰かの命を助けると、かわりにその人が死ぬことになるわけだ。自分の命を賭けてまで他人の命を救えるかってなると、ちょっと考えてしまうよね」と、リヒトまでそんな非科学的ことを言い始める。


 なにかが間違えているという気がして「AEDを使って誰かを助けたら、かわりにその人が死ぬっていうのは、まだ分からないんじゃないの?」と、わたしは言ってみる。リオンも「たった一件の事例から、そんな風に一般化するものじゃないわ」と、賛同してくれる。リヒトも「もちろん、たった一件の事例から一般化するのは早まっていると僕も思うよ」と、答える。


「だけど、ひょっとしたらそうなのかもしれない。また次の木曜日に誰かが心不全を起こすのかもしれないし、その人をAEDで助けたらかわりに自分が死ぬのかもしれない。やってみて死ななかったら、やっぱり勘違いだったねで済むけれど、死んでしまったらもう取返しがつかない。それを確かめるためには自分の命を賭けてみるしかないんだ。心不全を起こしたのが自分でないなら、その誰かを放っておいて死ぬにまかせておけば、とりあえず自分が死ぬことはない。それでも、その誰かのために迷わずAEDを使うことはできるかな? 誰かが命を賭けない限り、それを確かめることはできないんだ」


 かもしれない、かもしれない。かもしれないばっかりで、わたしたちはそれを悪い方向にばかり考えてしまっている。そんな気がする。


 要するに、不安なのだ。そういった根拠の乏しい漠然とした不安感は、いくら理屈を並べ立てたところで払拭できない。きっと、必要なのは理屈じゃなくて、勇気とかそういうものなのだろう。


「それでも、その誰かのためにAEDを使うべきなんだと思う。そうやって勇気を出して、覚悟を決めて、悪い流れを断ち切るしか、ないんじゃないかな」


 わたしはそんなことを言う。まるで他人事みたいに、そんなことを言ったりする。


 こんな状況下でも期末試験はあって、七月十三日の木曜日は期末試験の初日で、これまでは誰かが死ぬのは決まって木曜日午後のことだったし、試験期間中は午前で学校が終わるからどうなるのかなって? 感じだったのだけれど、ジンクスのほうは木曜午後のジンクスなんか全然気にしないみたいで二限目の社会科のテスト中に同じクラスの幸田義男が心不全を起こす。幸田義男の最後の意地なのか、自分で椅子から横に飛び出すようにして床に倒れたから幸田義男が心不全を起こしているのはすぐに発覚して、試験の監督をしていたミスター河野が慌てて廊下にAEDをとりにいく。


 キミヤが素早く周辺の机をガーッと押し広げて周りに場所をあけて、床に倒れている幸田義男を仰向けにして、呼吸と脈を確認するけれど、そこから先どうすればいいのかは分からなくて困っている。仕方ない。わたしたちはただの中学生で、ここ数週間でクラスメイトの突然死に若干慣れてしまっているとはいえ、緊急時の処置などに習熟しているわけではないのだ。AEDをとりにいったミスター河野が戻ってくるのを待つしかないけれど、なんだか遅い気がする。AEDは廊下のすぐそこに設置されているのに。


 誰もが周囲をキョロキョロと見回して、誰かがこの事態を打破してくれることを期待していて、ミスター河野が戻ってくるのを心待ちにしている。ミスター河野がこんなにも誰かから期待され待ちわびられたことなど、これまで一度もなかっただろう。


 ところが、やっとAEDを持ってきたと思ったらミスター河野はモタモタと機械を広げてから取り扱い説明書みたいなのをジッと見ていて、あまり動きが機敏じゃない。加藤修がとびきり手際のいいタイプだったっていうのもあるだろうけれど、それにしてもミスター河野はあまりにもモタモタとしていて、わたしは「あ、これわざとモタモタしているんだ」っていうことに気が付く。


 ミスター河野も、呪いだかジンクスだかを信じているのだ。心不全を起こした生徒をAEDで甦生すると、自分も加藤修みたいに痛くて無残な死にかたをする羽目になると思っているのだ。いい歳の大人なのに、教師なのに、そんな非科学的で馬鹿々々しい話を信じてしまっているのだ。もしかしたら別にそう確信しているわけじゃないのかもしれないけれど「ひょっとしたら?」という程度の疑念でも、人は機敏に動けなくなってしまう。モタモタしているうちに甦生が間に合わなくなってしまえば「いや、自分は自分なりに頑張ったのだけれど、間に合わなかったのだ。AEDは100パーセントの甦生を約束してくれるものではないのだ」と言い訳することだってできるだろう。なにも、ミスター河野が幸田義男を殺したわけではないのだ。殺した責任に比べれば、生き返らせることができなかった責任なんてずっと軽い。


「なにをそんなモタモタしてるんですか」と、隣の教室から駆けつけていたリヒトがミスター河野を押しのけて、AEDを奪い取る。幸田義男のシャツをめくって胸と脇腹にパットを貼り付ける。以前に言っていた通り、AEDの使い方を調べ直していたのだろう。リヒトの動きには迷いがなく、素早い。


 でも、わたしはといえば「身体に触らないでください。心電図を調べています」という、AEDから流れる音声を聞きながら「え、別にそれ、リヒトがやることないじゃん」なんて、身勝手なことを考えている。


 勇気を出して、覚悟を決めて、悪い流れを断ち切るしかないんだって、そんな威勢のいいことを言っていたはずなのに、いざ目の前でリヒトがミスター河野を押しのけてAEDを使っているのを見ると、わたしは「別にリヒトじゃなくていいじゃん」って思ってしまう。もちろんわたしは呪いとか報いとか心霊現象とか、悪い流れだとかそんなものは全然信じていないはずなんだけれど、それでもリヒトが幸田義男にAEDを使っていると「リヒトにそんな義理も責任もないじゃん」って考えてしまう。


 もしこれで、幸田義男が蘇生したら、それは良いことのはずなのに、リヒトの勇気や覚悟が他の誰かの命を救うっていうのは、とても素晴らしいことのはずなのに、リヒトはそのために事前に準備や心構えを済ませていたのだろうに、わたしは心のどこかで「え、リヒトやめてよ」って思っている。なにもリヒトがそんなところにしゃしゃり出ることないじゃんって感じてしまっている。


 これで、もしリヒトになにかあったりしたら、リオンが悲しむじゃん。わたしだって、リヒトが死んじゃったりしたら悲しいよ。いや、もちろん、きっとそんなことはないんだろうけれど、誰かを助けたせいで、その報いとしてリヒトに悪いことが降りかかるなんて、そんなのはただの迷信で、思い込みで、たった一件の事例から早まって一般化してしまっているだけの誤りで、悪いことなんて絶対に起こらないって思うけれど。思うけれど。


 リヒトは幸田義男のことなんかより、もっとわたしとかリオンのことを思いやってよ、って、わたしはそんなことを考えていて、そんなことを考えている自分に愕然とする。


 視線を巡らせて、リオンの姿を探す。リオンはただ、祈るように胸の前で手を組んで、不安げな様子なんか微塵も見せずに、決然とした表情で黙ってリヒトのことを見ている。リヒトを信じて見守っている。


 わたしだけだ。土壇場になって急に不安に駆られて怯えているのは。


 結局のところ、わたしは口先で言っているだけで、ぜんぜん覚悟なんてできていなくて、わたしもこの馬鹿々々しい木曜日のジンクスに囚われているのだ。


 わたしは弱い。


 リヒトは「誰かが命を賭けないかぎり、それを確かめることはできない」と言っていた。リヒトはちゃんと知っている。分かっている。すべてを把握して、理解した上で、それでもその不安を乗り越えて、自分が幸田義男を助けると決めたのだ。そういう道を選んだのだ。自分の命を賭けて。


 立派だ。すごく立派で、勇敢だ。


 だからわたしも、幸田義男が生き返りますようにって、願う。わたしにとっては幸田義男なんて別にどうでもいい人で、幸田義男に比べればリヒトはもっとずっと大切な人で、幸田義男が助かることによって、ひょっとしたらリヒトになにか報いがあるのかもって、そんなことが起こるのかもしれないってほんの少しは思うけれど、そんなことも起こり得るのかもしれないとちょっとは考えてしまうけれど。


 それでも、わたしはリヒトの決断が無駄にならないように、リヒトのその決意がちゃんと実を結びますようにって、幸田義男の蘇生を願う。一心に、願う。


「電気ショックをおこないました。身体に触っても大丈夫です。ただちに胸骨圧迫をはじめてください」と、AEDの女性音声が言う。胸骨圧迫を始めようと腕をまくりかけたリヒトを、キミヤが横から制する。「俺のほうが、力が強い」と言って、そこから先を引き継ぐ。加藤修がしていたみたいに、かなり早いペースで、全力で幸田義男の胸を押す。


 キミヤはリヒトだけに背負わせるつもりはないのだ。もしも、呪いだとか報いだとか、そういうなにか意味の分からない超常的な作用があるのだとしても、キミヤはそれをリヒトと分け合うつもりなのだ。


 ひょっとしたら、それには効果があるかもしれないと、わたしは思う。ひとりで背負えば無残に死んでしまうほどの呪いだとしても、ふたりで分け合って背負えれば、そこまで大変なことにはならないかもしれない。命までは落とさないで済むかもしれない。三人で分け合えば? もっと軽く済むかもしれない。大したことないかもしれない。


 わたしは自分にもなにかできることがないかと、幸田義男のすぐ傍らにしゃがみ込む。胸骨圧迫を続けているキミヤの額に汗が光っている。わたしは幸田義男の鼻に手を添え、顎を軽く上に向かせて、マウストゥマウスの準備をする。キミヤが一旦胸骨圧迫を中断してわたしに頷きかけ、わたしは大きく息を吸い込んで、二度、幸田義男の口に息を吹き込む。キミヤがすぐに胸骨圧迫を再開する。


 二度目のAEDでの電気ショックで幸田義男がうめき声をあげて、キミヤが胸骨圧迫をしようとすると嫌がる素振りを見せる。やった、と思う。幸田義男の蘇生に成功したのだ。リヒトがすこし笑って、掌をあげてキミヤに向けて、キミヤがそこにパチンと手を合わせる。ハイタッチ。


 リヒトとキミヤとわたしとで、力を合わせて人の命をひとつ救ったのだ。それはとても誇らしいことに思えた。


 救急隊が駆けつけて幸田義男を担架に乗せて運んでいって、その頃には幸田義男は自発的に呼吸していたから、たぶん幸田義男は西山香織と同じように助かると思う。


「これであとは、俺たちになにも起こらなければ、俺たちの勝ちだな」と、額の汗をぬぐいながらキミヤが言う。キミヤが言う俺たちというのは、つまり、キミヤとリヒトとわたし。幸田義男の甦生に関わった三人だ。わたしたちは学校からの帰り道をとても注意深く歩く。


 わたしは遠くのトラックのクラクションや上空を通過する飛行機のジェットエンジンの音なんかにもビクビクしていたのだけれど、そのたびに隣でキミヤが「大丈夫だ」と、声を掛けてくれるから、だんだん平気になってくる。丸まっていた背中もしだいに伸びてくる。


 そのまま拍子抜けするほど何事もなく、リヒトの家の前まで辿り着く。「今日はもう絶対に外出するんじゃないぞ」とキミヤがリヒトに念を押して、リヒトが「分かっているよ」と、返事をする。


「こう見えても、俺だって十分にビビッてるんだ。今日はもう絶対、少しの危険にも近づかない。家から出ないし包丁も使わないし、風呂にも浸からない」

「わたしも今日はリヒトのこと、ちゃんと気を付けて見ていることにするから」と、リオンが言う。きっと大丈夫だと、わたしも思う。


 リヒトとリオンと別れて、わたしとキミヤも家路につく。キミヤの家のほうがわたしの家よりも手前にあるけど、キミヤは自分の家を通り過ぎてわたしの家の前まで送ってくれる。


「キミヤも、気を付けてね。きっと、なにもないとは思うけど」

「ああ、大丈夫だよ。心配すんな。俺も今日は帰ったらもう外には出ない。とにかく、このまま誰も死なずにこの木曜日を越えるんだ。それで、ぜんぶが終わる」


 わたしは家の前で、キミヤが自分の家まで帰りつくのを見届ける。キミヤが振り返って手を振って、それで安心して、わたしも家の中に入る。玄関の施錠をしっかり確認して、二階の自分の部屋に上がるのにも、意識して階段を一段一段しっかりと踏みしめる。そういうわたしの注意が実を結んだのかは知らないけれど、わたしにはなにもアクシデントは起こらないし、キミヤも、それにリヒトも、幸田義男の蘇生に関わった人間は誰も死ぬことなく、木曜日を終えて金曜日の朝を迎えることになる。



 だけど、木曜日の夜からリオンの行方が分からなくなってしまう。


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