授業参観 その2

 そして朝になった。

 今朝もまたキララの作ってくれた朝ご飯で食卓を囲っていた。

「キララ」

「はい?」

 僕は箸を止め、キララの顔を見つめる。

 さてどうたずねねるべきか。

 数瞬すうしゅん迷ったが、結局素直に尋ねることにした。

「お父さんに何か言いたいことがあるんじゃないかな?」

「あっ……!」

 キララは驚いたように目を泳がせる。

 何だろう……そんなに言いづらいことなのかな。

 もしかして何か物を壊してしまったとか?

「大丈夫だよ。怒ったりしないから、何でも言ってご覧?」

「……」

 キララはしばらくモジモジとしていたが、やがて箸を置いた。

 それから立ち上がると、自分のランドセルを持ってくる。

「……?」

 何だろうと思っていると、キララはランドセルの中から一枚のクシャクシャになったプリントを取り出した。

「あの、これ……」

「授業参観?」

 差し出されたプリントを受け取って読む。

 どうやら学校で授業参観があるらしい。

 もしかして、これが言い出せなかったのかな?

「なんだ、これくらい……」

 そう言いかけて、ふと手が止まる。

 プリントに書かれた日時は……明日の五時間目。

 加賀かが先生との打ち合わせとかぶる時間帯だ。

「お父さん、来られますか?」

 キララの不安げな期待を込めた声。

 それに僕は、

「あ……」

 一瞬、答えるのを躊躇ためらってしまった。

「……!」

 キララはとても聡い子だ。

 今の一瞬で、彼女は慌てたように笑顔になった。

「やっぱり大丈夫です! お父さんが忙しいのは分かってましたから、気にしないでくださいね」

 キララは早口に捲し立てるとランドセルを急いで背負って立ち上がる。

「セイラ。私、先に行くから。あなたも早くね」

「あ、キララ!」

「お父さん、いってきます!」

 僕が止める間もなく、キララは外へ出て行ってしまった。

 あとには僕とご飯が途中のセイラだけが残される。

「あーあ」

 一部始終を見ていたセイラがぽつりと呟く。

「パパやっちゃったね」

「うん……」

 僕はドアに向かって伸ばしていた手を下ろし、力なく答える。

「どうせ無理なら、期待させるようなこと言わなきゃいいのに」

「ごめん」

「私はいいよ別に。パパが忙しいのはホントだし」

「そうだけど……」

「明日何かあるの?」

「新しい先生と顔合わせの打ち合わせ」

「あー、それじゃ仕方ないね」

 セイラはごちそうさまを言いながら、キララの分の食器も片づけ始める。

「……お姉ちゃんさー、ちょっとこの前同級生にからかわれてさ」

 食器を水につけながらセイラが学校のことを話し始める。

「パパ去年も一昨年も授業参観来れなかったから……そのことでちょっとね。それで少しお姉ちゃんムキになっちゃって」

「それで……」

 あんなに言いにくそうにしてたのか。

 それに……僕も油断していた。

 去年も一昨年も行けなくても、ふたりとも大丈夫そうにしていたから。

 いや、油断じゃなくて、僕は娘に甘えてたのかな……。

「まあ、お姉ちゃんのことは私がフォローしておくから」

 急いで片づけを終えたセイラはそう言ってランドセルを背負う。

 たぶんキララを早く追いかけるためだろう。

 けど、僕は見てしまった。

 いってきますと言ったセイラの表情も、さっきのキララと同じだったのを。

「……」

 僕は首の裏を掴むように頭を抱え、食べかけのご飯を見つめる。

 ふたりは僕の自慢の娘だ。

 彼女らを立派に育てるためには、僕が働かないといけない。

 でも、その所為せいでふたりを悲しませるのは……。

 僕はどうするべきだろう。

「……よし」

 僕はひとつの決意を固めて、朝食の残りを口にかっ込んだ。


   ▽


 翌朝。

 いつも通り六時に目を覚ました私は小さく体を伸ばす。

「んー……」

 少しボーッとします。

 やや頭がハッキリしてきたところで、ふと隣に眠るお父さんの顔を見ました。

「グゥゥゥ」

 とてもよく眠っています。

 もしかして朝に帰ってきたのでしょうか?

 お父さんは忙しい時には終電どころか、始発で帰ってくることもよくあります。

「……」

 私はお父さんを起こさないように着替えてから、朝食の準備を始めました。

「ん……お姉ちゃん、おはよ」

「おはようセイラ」

 しばらくして妹も起きて、もぞもぞと着替え始めました。

 お父さんはまだ寝ています。

「お父さん、朝……」

「あ、起こさなくていいですよ」

「え? でも……」

「お父さん疲れてるから」

「……ん。そだね」

 それから、私とセイラは静かに朝ご飯を食べ始めました。

 ふたりで囲む食卓は少し寂しい。

 けどお父さんの出社時間なら、本当は毎日もっと寝ていられるはずです。

 私たちと朝ご飯を食べるため……そのためにお父さんは毎朝起きてくれています。

 これ以上迷惑はかけたくありません。

「じゃ、セイラ。学校行きましょう」

「うん」

 朝ご飯を食べ終えた私たちは、お父さんを起こさないように静かにドアを閉めて学校に行きました。



 さすがに今日の学校は憂鬱ゆううつでした。

 午後の授業参観の時間が近づくにつれ、憂鬱な気分はドンドン大きくなり、前に私をからかったクラスメイトの視線が気になってしまいました。

 お昼休みが終わった辺りから、皆のお父さんお母さんが現れ始めます。

 当然、その中に私のお父さんはいません。

 お仕事があるのだから当たり前です。

「授業参観に来てもらえないなんて、お父さんに愛されてないんじゃないの?」

 この前そう言われて、ついムキになってしまいました。

 そんなことない。

 お父さんは私たちを好きだ、って。

 セイラは、ただのやっかみだから気にするな、って言ってましたけど。

 どうしても否定したかった。

 それでお父さんを困らせてたら意味ありませんけど。

「はぁ……」

 自分のやってしまったことを思い出して、思わずため息をつきます。

 どちらにせよ今日だけの辛抱です。

 今日一日我慢すれば、またいつもの……。

「はい。では授業を始めますよー。皆さん席に着いてくださーい」

 いつもより少し明るい先生の声でみんな席につきます。

 教室の後ろはもう一杯でした。

「今日は授業参観ですからねー。皆さんには、自分の家族についての作文を発表してもらいまーす」

「はーい!」

 誰かが元気よく返事をして父兄ふけいの笑いを誘います。

 充分に場も温まったところで、先生が私を見ました。

「それじゃあ夏目なつめさん。号令をお願いします」

 私はクラス委員長です。

 授業前の号令は私の役目ですけど、今日はじめてこの役を誰かに替わってもらいたいと思いました。

「起立」

 私は渋々しぶしぶと号令をかけます。

「れぇ……」

 そして、私が礼と言おうとした――その時でした。

 突然、バタンッと大きな音を立てて教室の扉が開きました。

 皆ギョッとして、音のした方を振り返ります。

 そこにいたのは……。

「お父さん!」

「あー、えっと……スミマセン、遅れてしまって」

 お父さんはゼェゼェいいながら先生に謝り、他のお父さんやお母さんにもぺこぺこ頭を下げながら教室に入ってきました。

 お父さんは教室の隅っこに収まると、ふと私たちに小さく手を振ってくれました。

 何でお父さんが来てくれたのか分かりませんでしたけど。

 それが私には嬉しくて嬉しくて……。

「礼!」

 ついつい弾んだ声を出してしまったのでした。


   ▽


 ――なんてことが、去年あった。

 あのあと僕は加賀先生の担当を辞退し、悪友あくゆう陽ノ目ひのめそうの管理人職を紹介して貰った。

 作家の引き継ぎなども無事に済ませて退職したあと、娘たちと栃木とちぎに引っ越してきた。

 編集の仕事に未練がないわけではないが、後悔はしていない。

 こうして娘の授業参観にも来られることだし。

 まあ、去年も何とか行けることは行けたんだけど、キララの書いた作文がトンデモナイ内容で父兄が大驚愕だいきょうがくして大変だったなぁ……。

 もう中学生だし、今回は作文発表はないみたいでひと安心だ。

 と、そろそろ終業のベルが鳴る。

「はい。それでは授業ももう終わりますので」

「えっ!? ちょっと待ってください先生!」

 授業のまとめに入ろうとしていた先生を止めたのはキララだった。

 どうしたんだろう……と思っていると。

「先生、今年は家族への作文はないんですか!?」

 そう言いながらキララは机から分厚い原稿用紙を取り出す。

「えっ? 先生、そんな課題出しましたっけ?」

「言ってませんでしたが、言い忘れたんだと思ってました」

「えぇ……」

 キララの発言に先生は困惑する。

 そして僕とセイラは嫌な予感がする。

「私のお父さんへの気持ちを綴った作文を用意したのに……せっかくなので読ませてください!」

「えっ、あ、いや」

「では読みます」

「……!」

 さすがに中学生女子が父兄の前で「アレ」を読むのはマズい。

 具体的には僕の世間体が死ぬ。

「キララちょっと待って!」

「お姉ちゃんマジやめて!」

 僕とセイラは朗読を開始するキララを慌てて止めに入った。

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