4-2 社長は死んでいたのにやってくる

 特に必要も感じないのに来るものじゃないな。

 少し時間が空いたからと忘却社ぼうきゃくしゃに顔を出したら、お嬢ちゃんがいて叱られた。

 理由は、なんで全然来ないのか?というものだ。タイミングが合わなかっただけで、俺は日に三回は事務所に来てるし、そもそも来る必要だってなかったはずなのだが。

「いや、本業があるんで……」

 一応、俺も忘却社とは別に仕事をしている。雇われ探偵だが、そっちが本業なのだ。

「私が来るかもと思わなかった?」

中野なかのの学校に通うお嬢様が、新宿しんじゅくに大した理由もなく来るとは思わないけどな」

 中野と新宿は電車でものの五分だが、駅からこの事務所までは十五分くらい歩かないといけないし、お嬢ちゃんの学校から中野駅までだってそれなりにある。なんだかんだで三十分くらいの距離なのだから、なんとなく来るような場所ではない。

「そうですか」

 お嬢ちゃんはブスッとした顔をした。正論で返していい場面ではなかったようだ。

「なんか、すみませんでした」

 なので素直に謝っておく。

「わ、私はいいけど、依頼人が来たらどうするのよ」

「依頼人が来る時はなんとなくわかるんだよなあ」

「なにそれ?」

「世界ってのはそういう風に出来てるんだと。実際、別に誰も来なかっただろ?」

 お嬢ちゃんはますます面白くないという顔をする。だから話題を変えた。

「そんなこと言いに来たわけじゃないんだろ?」

「あ、そうそう」

 お嬢ちゃんは本題を思い出し機嫌がよくなったのだが、すぐにイヤそうな顔になる。

葉桜はざくらくんがさ、意識不明の重体で入院したらしいの」

 出だしだけで、どちらにせよ微妙な話題だったのがわかる。

「葉桜が?」

「しかも外傷とかはなくて、なんでそうなったのかわからないって」

「そいつは穏やかじゃないな」

 とは言え、俺のせいとはちょっと思えなかった。アイツの中の《お嬢ちゃん》を殺したのが理由なら、その直後にそれとわかったはずだ。こんな何日も後にその影響が、ここまで強い形で出るなんてことはありえない。

「あんたのせいじゃないわよね?」

 でも、お嬢ちゃんは俺のことを疑っているようだ。いや、心配してくれてるんだろう。そう思うことにした。

「そういうパターンで後遺症が出るって話も聞いてないんだよなあ」

「それもあるけど、やっぱり記憶を消すだけじゃ心配だったから、とか」

「トドメを刺しに行ったってことか?」

 それこそあり得ない。俺はそこまで弱い者いじめが好きじゃないし、記憶を消せば十分だと信じている。

「俺は忘却社の社長代行だぜ? それ以外のことには能力は使わない」

「その社長代行ってのはわからないけど、つばさくんの仕業じゃないのは納得した」

「とか言いつつ、夢の中ではボコボコにしたことはあったので、深層心理では俺はまだやり足りないと思ってるのかもしれないなあ」

 小粋なジョークのつもりだったんだが、お嬢ちゃんにはかなりのレベルで引かれた。

「ええぇ……」

「そう言えば、今日は一人か?」

 いつもなら一緒にいそうなボディガードの女の子がいなかった。

 名前は盾無たてなし真森まもり。仕事に真面目で、俺のことを嫌ってるらしく余計なことをしゃべらないので、何度か会ってるが何を考えているのかよくわからない相手だった。

「盾無さんなら何か昔の知り合いに会うとかで別行動中」

「そういう時はここに来るなよ」

 俺は呆れつつも、少し強い調子でお嬢ちゃんを叱る。

「なんで?」

「この辺が物騒だからだ。女子高生が一人でうろうろしていい場所じゃない」

 朝と昼間はともかく、夕方から夜にかけては怪しい人間に事欠かない土地柄だ。

「大丈夫だよ」

 なのにお嬢ちゃんはお気楽な態度だ。

「あのなあ。それこそ葉桜しょうに襲われそうになったのをもう忘れたのか? 恩を着せるつもりはないが、同じ情況になったらまた助かるとは限らないんだぞ」

 あまり気分のいい記憶ではないから、俺からそれを指摘したくはなかったが、さすがに今度ばかりは言わないわけにもいかない。

「彼がマニアックだっただけで、私みたいなガサツな女、襲いたい男がまだいるって言うなら会っ……みたい……」

 なのにそんななので俺は無言でお嬢ちゃんを睨みながらジリジリと近づく。

「って、何、翼くん?」

 後ずさるお嬢ちゃん。俺はさらに近づく。さらに後ずさるお嬢ちゃん。その分、俺はさらに近づく。

 その繰り返しでお嬢ちゃんは壁際に押し込まれる形になった。もう後ろには下がれないお嬢ちゃんに俺は表情を変えないまま、さらに詰め寄る。

「……つ、翼くん?」

 両腕を壁まで伸ばす。それでお嬢ちゃんは左右にも逃げられない。顔と顔が触れあいそうな距離まで近づいた。

「…………翼くん、その……本気じゃないよね?」

 不安そうな顔をしてお嬢ちゃんが尋ねてくるが、俺はその質問を無視する。

「お嬢ちゃん、もう一度、さっきの台詞言ってくれるかな」

 答える代わりに静かに笑みを浮かべて、それを伝えた。

「えっと、彼がマニアックだっただけで……」

「だけで?」

 念を押すように俺はお嬢ちゃんの顔を見る。

「私みたいなガサツな女、お……」

 お嬢ちゃんが言葉に詰まるのがわかったが、俺は黙って見続ける。

「襲いたい男がまだいるなら……」

 お嬢ちゃんはそこまででもう何も言えなくなった。でも俺はなおも見続ける。もう顔と言わず、目と目を合わせるようにじっと見た。逸らそうとしても許さない勢いで。

「わ、わかったから!」

 するとほんの数秒でお嬢ちゃんは音を上げた。

「今度から気をつけるから!」

「わかってくれればいい」

 それでお嬢ちゃんから俺は離れる。それを確認してお嬢ちゃんがさっと走って逃げて行く。よほど懲りたらしい。散髪用のリクライニングシートという飛び越えるのが難しそうな障害物を挟んだ位置まで逃げられた。

 まあ、お嬢ちゃんは無警戒に過ぎるので、むしろホッとするくらいだが。

「謝らなかったら、何かするつもり……だった?」

 どうもまだ何か大事なことがわかってないらしい。そんなことを聞いてくる。

「何かって?」

 真面目に受け答えをする気力が俺から奪われていくのを感じる。

「……キ、キスとか?」

 なのにお嬢ちゃんは真面目に考えて、そんなことを言い出す。

 参ったね。俺は何を言えばいいのか少し考えてしまった。

「なんだ、してよかったのか」

 結局、いい答えが見つからず。

「い、いいわけないでしょっ!」

 俺はお嬢ちゃんにまた叱られることになってしまった。

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