蔑みの愛称

LINEはモヤから入った。


モヤ :タカイさん、ツイッターで『都内学生文学シンポジウム』って検索してみて


僕も一応ツイッターのアカウントは持っている。アプリを立ち上げて言われるままに検索した。

セエノが代表を務めることになった東京都内の国公立・私立大学文学部のシンポジウム。シンポジウムの運営サイドがツイッターのアカウントを作り、広報・連絡業務を行なっている。そして、今日、シンポジウムのキックオフミーティングが開催され、セエノの所信表明の挨拶文をツイートすると聞いていた。


検索結果で『話題』のトップに上がっているのは当然のことながらセエノの所信表明挨拶だった。


けれども、よく見るとそれは運営アカウントのツイートではなかった。


コメント付きのリツイートだった。

そのコメントは、


『代表者セエノの小学校の時のニックネームは、「××××」!(爆笑)』


「なんだこれは・・・・」


僕は関連ツイートを検索した。


セエノに同情的なものと、面白がってより一層辱めるものとの両極端に分かれる。パッと見で後者がやや多いことに愕然とした。

そしてこれはとても重要なことだが、同情的なツイートも、「××××」というセエノの『ニックネーム』を拡散し続けていることにはなんら変わりはない。

コメントを付けたアカウントのプロフィールを見てみると、ツイートはこの1件しかない。

嫌がらせをするために作ったアカウントであることは明らかだった。


そして。


×××× というその文字は、セエノの前で決して発することのできないおぞましさを持った『蔑称』だった。


・・・・・・・・・・・・・・


キックオフミーティングはセエノとモヤが通う大学で開催された。ミーティングの報告とセエノの挨拶をツイートしたのとほぼ同時にこのコメント付きツイートが通知に上がった。


セエノはモヤに付き添われて大学の隣にある純喫茶店の一番奥のテーブルで隠れるように座っていた。

僕が到着しても顔を上げない。


泣いてはいない。

ただ、顔面が蒼白で、僕の診断が正しければ鬱の初期状態のような表情に見えた。


「タカイさん・・・わたし、悔しいよ」


モヤが絞り出すように言う。


「他の大学の委員の奴ら、このツイート見た瞬間にセエノを慰めるどころか、代表を別の人間に代えるべきじゃないかって・・・」

「なんてことを・・・」

「どうして文学なんていう反骨のアートをやってる奴らがマスコミみたいなこと言うんだよ」

「このツイートをした人間に心当たりは?」


モヤはセエノの背をさすりながら彼女に訊いた。


「ねえ、セエノ。小学校の時、セエノをいじめてた奴らなんだろ? 思い当たる奴片端から言ってみなよ。わたしが全員ぶっ殺してやるから!」


きっと悲しさと、それとモヤの友情が切なかったのだろう。

セエノはそれを境に手を顔に押し当てて泣き続けた。

3人が店を出るまでずっと泣き続けていた。


・・・・・・・・・・


非番だったけれども、セエノとモヤと別れたその足で大学病院の精神科部長の研究室に向かった。

僕は部長の前に立って、ストレートに言った。


「部長、すみません。1か月間休暇をいただけませんか」

「なに? どうしたんだ一体」

「私用です」

「なんだね、仕事に疲れたのかね」


それもないではない。ただ、僕は今、自分の境遇よりもセエノの置かれた立場がいかに危機的なものかが嫌と言うほど分かっていた。かつての患者さんたちの中でも、セエノほど苛烈な状況に置かれた例は見たことがなかった。


「私のごく身近な人間が、精神のバランスを崩しかかっています。対応を誤ると立ち直れなくなります。私自身がなんとかしたいと思っています」

「今抱えている患者さんたちはどうする?」

「すみませんが、休暇の間、引き継いでいただけませんか」


部長は一旦視線を落とした後、苦笑し始めた。


「タカイ君。本音はこうだ。ウチの大学は1人の医師の穴を助け合って埋められるほど予算的にも人材的にも余裕はない。医学部としては1.5流だからな・・・長期休暇なんて中途半端なことをするよりは別の人間を新たに雇った方がコストは安上がる」


そして笑い終えた後僕を真顔で見つめてこう言った。


「僕の言っている意味がわかるかね?」


僕は息を吸い込んで、そして吐いた。


「分かりました。辞めます」


・・・・・・・・・・・


こんな状態でもセエノはバーのアルバイトに出ているという。当日のドタキャンはできないというセエノの几帳面さからだ。僕はその几帳面さのせいで、×××× と呼ばれながらも休むこともできずに小学校に通い続けていたであろうセエノの子供の頃の姿が容易に想像できた。


とにかく、バーでモヤとも落ち合い、カウンター席で男装のバーテンダーとしてのセエノと向き合った。


「セエノ。今日ぐらい休めばよかったのに」

「ううん。休んだら却って後ろめたくて辛くなるから」


モヤとセエノが二言三言話した後、僕が今日してきたことを伝えることにした。


「セエノ」

「・・・はい」

「今日、大学病院を辞めてきた」


声もなく驚きの表情で僕を見つめる2人。


「セエノ、もし許してくれるなら僕は明日から君と一緒に君の大学に通う」

「・・・・・・・」

「え? なんだよ、タカイさん。それ、どういうことだよ?」


セエノではなくモヤが先に反応した。

僕はゆっくりと2人に語った。


「セエノはなにひとつ悪くない。今も、そしてこれまでもずっと。一個の人格、それも女性に対してくだらない攻撃をする奴が全面的に悪い」


僕はセエノのオールバックの髪と、細い独特の輪郭を見る。


これまで見てきたどの女性とも違うその容姿ルックス。美か醜かに関係なく、その容姿ルックスも含めて、セエノという人間に僕は興味を持ってしまったのだ。ただ、それだけの単純なことなのだ。


「僕は明日から君達と一緒にキャンパスにずっといる。セエノの恋人だとはっきり宣言する」

「タカイさん・・・・」


セエノが初めて声を出してくれた。

僕は勇気付いて、自分なりの男としての決め台詞ぜりふを吐く。


「モヤ、君は誰もぶっ殺さなくていい。セエノを蔑む奴は、全員僕がぶん殴るから」


言い切ってから、ブルーマンデーを一気にあおった。

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