真摯なあばずれ

本来なら路上で取り調べなのだろうけれども、現場から徒歩30秒の所が交番だった。


中年サラリーマン2名、容姿にコンプレックスを抱く女子大生1名、親友が蔑まれることに我慢ならない美人女子大生1名、思春期をはるかに過ぎてようやく人並みに喧嘩をした精神科医1名の計5名。

関係者一同池袋の人通りの多い往来から見世物のように晒されている交番のデスクに車座になって事情聴取のライブを行った。


そして、モヤは警官に対しても一切敬語を使わなかった。


「先に手を出したのはどちらですか?」

「手、じゃない。足だよ」

「・・・足、ですね。蹴ったの?」

「そう。こうやって」

「ちょ・・・やめろ!」


モヤが座ったままさっきのように男の脛を蹴ろうとした。


「ぷ。はははっ。情けねえリーマン!」

「キミ、軽口はやめなさい」

「おまわりさん。これ、軽口じゃないよ。とっても大事なことを言う重口」

「・・・それで、あなたは彼女の頰を平手で打った・・・間違いありませんね?」

「よく覚えてません」


すかさず僕が反論する。


「間違いありません。この男性が彼女の頰を右手ではたきました」

「おい」


男が僕に凄む。


「俺を見て言えよ。おまわりさんじゃなく」

女性の頰をぶった。僕ははっきり見た」

「タカイさん。やるじゃん」


警官は事務的に『司会進行』する。


「それで、タカイさん、あなたは咄嗟にこのひとの口を拳で殴ったと」

「はい・・・」

「あなた、前歯は大丈夫ですか?」

「少しグラグラします」

「被害届はどうされますか?」

「ちょっと待てよ」


モヤが低い声で警官を遮った。


「被害受けてんのはこっちだろうがよ」

「外傷は明らかにこの男性の方がひどい。それにキミはさっきから相手を侮辱するような言動をしていますよ」

「なあ、アンタ。ほかの奴には『あなた』って呼びかけてなんでわたしには『キミ』なんだよ」

「キミはわたしに敬語を使わないじゃないか」

「はあ? わたしは全員に敬語使わず喋ってるだろ? 平等だろ? アンタみたいに1人に対してだけ差別してないだろ?」

「・・・あなた、前歯の被害届出しますか?」


おかしい。論点が完全にずれている。

この事態の根源の論点に、僕は立ち戻る必要があると感じた。

セエノには辛いかもしれないが、僕はそうすると決めた。


「・・・『キモ』って言われたんですよ」

「え? なんだって?」

「この男が通りすがりに、『キモ』って呟いたんですよ」

「キモい、ってこと? それだけじゃねえ・・・」

「人に向かって『キモい』って言うのは罪じゃないんですか」

「うーん。ちなみに、それって誰に向かって言ったんですかねえ」

「警察って、バカの集団ですか」

「・・・なんだと?」

「人の尊厳とか恥辱とかに配慮もできないバカの集団なんですか」

「・・・医者だと思って下手に出てりゃつけあがりやがって」

「黙れ。僕はこの男の言ったことを人権問題として告発するぞ。この男も、アンタも、絶対許さん。おい、お前」


僕は、背筋がガクガク震えるのを無理やり押さえつけ、男を睨みつけた。


「被害届でもなんでも出せばいい。その代わり、お前を二度と誰かに向かって『キモい』と言えないようにしてやる」


男は去勢を張ってシラけたジェスチャーをする。


「あー、めんどくさい。おまわりさん、もういいですよ。こんなイっちゃってる奴に構ってられません」

「今更なに言ってんだ」

「え」


警官の目がすわっている。


「被害届、出してくださいよ。そうしないとこの医者を懲らしめられないでしょう?」

「え・・・いや、私は・・・」

「あれ? さっきまで『俺』って言ってたのにいきなり『私』なんて言わないでくださいよー。ねえ。被害届、出してくれなきゃ・・・俺、困るんだよ!」


奥で記録を取っていた年配の警官が立ち上がってこちらにきた。


「おい、もうやめろ」

「だって、ツカさん、俺・・・」

「やめろ、つってんだ! さあ、皆さんすみませでしたねえ。じゃあ、誰も被害はなしってことで。それでいいですね?」


なんだろう。この年配の警官の言葉にはなぜか素直になれる。全員、こくっ、と頷く。


「それでねえ、会社にお勤めのおふたりさん」

「は、はい」

「自分の娘や女房が『キモい』なんて言われたら男としてどうなんですかねえ。私だったらそいつら、ぶちのめしますがねえ」


・・・・・・・・・・


「モヤ、ありがとう」

「え? なんでタカイさんが」

「いや・・・ほんとは僕が真っ先にあいつらに抗議すべきだった」

「ああ・・・でも、タカイさん、やっぱり男だね。交番でちょっと惚れそうになっちゃった」

「あの、タカイさん、モヤ」

「うん」

「ありがとう・・・2人とも、男らしかった」


数秒セエノの言葉の意味を考えた後、僕らは吹き出した。


「ぷっ。はははっ! セエノ、わたしが男らしいって?」

「ふ・ふ。いや、モヤは男らしいよ。男前のいい女だ」

「タカイさんまで笑わないでくださいよ。わたし、真面目に言ったんですから」


僕らは池袋のサンシャイン通りの道のど真ん中を3人並んで闊歩した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る