第一話 刃と琴弾き ④

「朗報と悲報が一つずつございます」

「どちらからでも構わん。話せ」

 月の国の君主スルタン吟王ぎんおうと呼ばれる男は続きを促した。

「北部について。獅子狩将ししかりしょうの奮戦により、雪の国の敵将軍勢は国境付近から撤退しました。狼兵ろうへいたちは自領を回復させるべく、更なる追撃戦を展開する模様です」

「狼ども、味方に付けると心強いものだな」

「はい。しかし彼らとの同盟は陛下の御威光あってのもの」

 見目麗みめうるわしき大宰相だいさいしょううやうやしく頭を下げた。


世辞せじはよい。続けろ」

かしこまりました。東部について。申し上げにくいことですが、かんばしくありません。東の都市のいくつかは、既にしゃの国の支配下に置かれました」

「芳しくない、とは随分ずいぶんひかえめな物言いだな。北はもう十分だろう、残存兵力を全て東に回せ。奪回だっかいせよ」

「既に命は下しております」

 そう言いながら、手に持った紙束の一つを開いて見せた。そこには部隊の名称と、将の署名が列挙されている。その兵数は四万に及んだ。しかし、君主の表情は険しいままだった。

「して、あの噂の信憑性しんぴょうせいについては、何か手掛かりがつかめたか?」

「それが、調べれば調べるほど、真実であるように思えてなりません。それにあの男が蘇ったとすれば、これほどまでに苦戦を強いられることにもうなずけます」


 今でこそ強盛をほこる月の国だが、かつてあの男――跛王はおうの侵攻によって、崩壊寸前までに追いやられたことがあった。その行軍は彼自身の死によって止まるまで続いた。およそ半世紀も前のことである。それは確かに国にとって未だにえぬ傷であろうが、当然ながらその脅威は既に去った。終わったことであるはずだった。それが、何故今になって再び。

「よもやあの者……ぐっ」

「陛下、あまりご無理をなさらぬよう……」

 大宰相は速やかに侍医じいを呼び、対応に当たらせる。これまで幾度も行われている処置ということもあり、医の者たちの手つきは手慣れた様子である。程なくして王は小康を取り戻した。


 月の国は突如として、北と東の二面からほぼ同時期に侵攻を受けた。吟王はそれに対処するため、ここ数カ月の間昼夜無く働き詰めであった。そのことが与えた心労は如何程のものであったか。王の白髪も、深く刻まれた皺も、およそ年相応のものとは思えぬ様相を呈していた。

(労しや、我が主……)

 近臣風情ふぜいが神の代行者である君主の心中を察するなど、不敬の極みとは百も承知のこと。しかし病床に伏せ、痛々しく咳き込む姿を見てしまうと、どうしてもそう思わずにはいられなかった。

「ご子息が、いま少しでも王らしくなられていたら……」

 女は我知らずつぶやく。それは誰に向けるでもない、この国に生きる一人の人間としてのただ純粋な願いだった。

「そうなげく気持ちも分かる……」

 君主は枕から首を僅かにもたげ、弱々しく言った。大宰相ははっとして、床に身体を投げ打ちゆるしをうた。

「先ほどの言葉、しんにあらざるべきものでした。どうか――」

「よい、よいのだ。余は罰する気などない。しかしな、これはとても……難しい問題なのだ」

 そこまで話すと、吟王は目を閉じ再び床にせた。

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