第4話 ゴミは不要1

※お食事中の方は、一部不快な表現があるかもしれません。ご注意ください。


「毛利先輩、ほらっ。電車来ちゃいますからっ」

 溶接科一年の石田の声は聞こえるが、姿は毛利先輩の陰に隠れて見えない。

 どうやら、だらだらと歩いている毛利先輩の背中を後ろから押しているのだろうが、巨体に隠れて石田の小柄な姿は消え失せていた。


 俺はそんな様子にハラハラしながら。

 俺の隣に立つ武田先輩に視線を走らせる。


 彼女は。

『怒髪、天をつく』、という表現を具体化した形で駅ホームに降臨されていた。


「……織田君。石田を手伝いなさい」

 武田先輩が静かに俺の名前を呼ぶ。「はい」。俺は怯えながら返事をし、防具バックを一旦ホームの脇に置いて毛利先輩の元に駆け寄った。


「先輩、どうしたんですか。防具が重いんですか?」

 巨漢巨体の毛利先輩にそれを尋ねるのもばかばかしいと思いながら、俺はとりあえず穏やかに微笑んで尋ねる。


「織田。おれ、腹が痛い」

 毛利先輩は太く短い眉をハの字に下げ、俺にそう言った。「知るかっ」。そう怒鳴りたい衝動に駆られたが、石田が毛利先輩の背後で悲鳴を上げる。どうやら毛利先輩が屁をしたらしい。


「最低っ! ゆう君、最低!」

 いつもは『毛利先輩』と呼ぶ石田が怒鳴り、昔呼びで毛利先輩の背を殴った。その隣では、機械科の伊達が「うげぇぇぇ」と嘔吐寸前の声で呻いている。俺は、毛利先輩の背後に伊達もいたことに驚いた。どうやら2人がかりで背中を押してもあの遅々とした進みだったらしい。


「本当に腹の調子が悪いんですか?」

 俺は間近にある毛利先輩の顔を見つめた。


 基本、この先輩は「サボり」だ。

 真面目に部活動には顔を出すのだが、手を抜いてみたり、錬成は極力休もうとする。


 だが。言われてみれば、今日は生気が無いというか顔が青白い気がするし、目の下にも隈っぽい物が見える。「ああ」。ため息とも返事ともつかないものを毛利先輩は吐いた。


「昨日、何食ったんっすか」

 俺が尋ねると、毛利先輩は切なげに言った。


「唐揚げ23個」

「あんた、アホだろ!」

 石田が毛利先輩の横に移動し、ジャンプしながら肩をパンチする。


「今日、錬成会だって、ちゃんと昨日の稽古終了後言ったじゃん!」

 殴った後、バタバタと地団駄を踏む石田は、毛利先輩の肩口辺りしか背がなく、下手したら女子の武田先輩より背が小さいんじゃ無いかと思う。毛利先輩とは小さな頃から道場が一緒のようで、この黒工くろこうに誘ったのも毛利先輩だと聞いた。


「なんでそんなに食ったんっすか」

 呆れたように俺の隣にのっそりと姿を現したのは、伊達だ。俺と同じで細身の長身で、一見剣道部員とは思えないような容姿をしている。


「昨日、市黒西高の女子と合コンでさ」

 途端に毛利先輩がにやりと笑った。

 また女か。俺と伊達は顔を見合わせてひっそりと息を吐く。武田先輩には聞かせられない理由だ。


「カラオケ行って唐揚げ頼んだんだけど、女子が『もう食べらんない』とか言うからさ、『おれ食う!』って。ばこばこ食べたらウケてさ」

「ゆう君は馬鹿だ、アホだ、あんぽんたんだっ」

 背伸びしてまでぽこぽこ胸を連打した石田に、毛利先輩は「ヴェ……」と不穏な声を漏らす。


「トイレっ! ほら、トイレにっ!」

 俺が慌てて背後の階段を指さすと、毛利先輩は勢いよく防具バックと竹刀を地面に落とした。その後、流れるように『回れ右』をする。流石、俺達より一年長く体育で『集団行動』の行進練習をしているだけある。その『回れ右』には無駄がなく、そのまま自衛隊に入隊しても遜色がないほどに見えた。


「……どうすんだよ、これ」

 一八〇㎝、九五キロの巨体が猛烈な勢いで階段を駆上がるのを眺めていた俺に、ため息交じりの伊達の声が聞こえる。俺はゆっくりと彼に視線を向けると、伊達はホームに投げ出された防具バックと竹刀袋を眺めていた。


「とりあえず、端っこに移動させて……」

 俺はホームに首を巡らせ、置き場所を探した。


 平日であればラッシュの時間帯だが、今日は日曜で助かった。ホームというか、駅自体に人が少ない。

 それでも当然無人というわけではないので、ホームの中央なんかに置いておけば往来の邪魔になることは必至だ。防具バックにも竹刀袋にも高校名がばっちり記名されている。学校に連絡でも行こうものなら科長と担任にしばかれるだけじゃすまない。


「……武田先輩、こっち見てっぞ」

 ぶつぶつ言う石田を促して俺と2人、とりあえず壁際に毛利先輩の荷物を移動させていたら、ぼそりと伊達に言われた。慌てて顔を上げると、腕を組み、仁王立ちした武田先輩がすごい形相でこちらを睨んでいる。


 やばい。怒りの矛先がこちらに向き始めている。

 とんでもないとばっちりだ。


「……ねぇ、それ捨てて」

 目が合った途端、武田先輩は腕をほどき、びしりと俺と石田が持つ毛利先輩の荷物を指さした。

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