27

〈だめだ、シェアト。押し切られる〉


 ブリーフィングルーム中央で通信が叫んだ。


〈もう少しで助ける。耐えてくれ、ラッツ!〉

〈いや。取り付かれた。浸水も始まってる。そういうわけだ、残りは頼んだ〉

〈ラッツ? 待て、早まるんじゃない!〉

〈やめて! やめなさい!〉


 通信にノイズが混じる。天井の向こうから降ってくる振動。自爆したらしい。


〈ラッツ機消失〉

〈いやああ!〉

〈こんのヤロウがあああ!〉


 戦闘は苛烈さを増していった。

 対して、観戦者に過ぎないわたしたちは冷めたものだった。


「βでまた戦死か……。今年に入ってもうふたりめだっけか」


 戦闘中という興奮がないせいで、その先にある不安が見え透くせいだ。

 シャウラの表情には悔しさや苛立ちややるせなさが入り混じっていた。

 いろいろなものが、頭をよぎる。ナオスに至っては、明らかに不機嫌そうだった。


「いまに始まったことじゃないさ。昨年も一昨年も、βで四人死んでるんだ。シェアトはいったい何をやってるんだ」

「そんなに亡くなって、大丈夫なんですか? パイロットが足りないんじゃ……」


 シェダルの不安はもっともだけど、レグルスは躊躇わずに口を開く。


「正直、ぎりぎりだ。シリウスのαとシェアトのβ。万が一に備えてふたつのアステリズムは維持しなければならない。そのために必要なパイロットは二十人」

「出生数は毎年四人。戦死者が四人だと、本当にぎりぎりよね」

「よくもまぁ、これでもってる」


 目つきを険しくするスピカに、アークは寄り添っていた。

 戦死を忌避する気持ちは当然だ。アステリズムβの損害はβだけの問題じゃない。人員の交換もあり得るし、特定のパイロットが連戦することも考えなければならない。わたしたちの士気や戦術にも関わってくる。


「手立てはあるのですか?」

「……他力本願」


 ウェズンとアナが、暖色の瞳ですがってくる。ふたりの小ささのせいで余計に悲壮感がある。


「αが戦死者を出さなければいいだけだよ。だから頑張らなくちゃ。ね、シリウス」

「うん、そうだね。ベルの言う通り」


 ベルの言葉が薄っぺらくならないよう、わたしも努めて声を張る。ベルの表情はみんなほど暗くはないけれど、それでも不安や心配がないわけじゃないだろうから。

 みんなの緊張が完全に解けるには、戦闘終了を待たなければならなかった。


〈アステリズムβよりアルマへ。戦闘終了。ラッツの機体を回収する〉

〈アルマ、了解〉

「ブリーフィングルームよりへ。わたしたちも待機状態を解除します」

〈了解。お疲れ様〉


 戦闘のオペレーションをしていたミモザが、わたしたちのことも労ってくれる。

 育ての親のひとことは、みんなを和ませる不思議な力を持っていた。

 ただ今日のわたしにとっては逆効果だった。こんなところで気を緩ませたくなかった。通信が切れるなりすぐイスから立ち上がって扉に向かう。


「シリウス、どこに行くの?」

「ちょっと射撃シミュに行ってくる」


 ベルに軽く返事をして、足を急がせる。

 ベルの言う通り、わたしたちは頑張らないといけない。どんな戦闘でも、ひとりの死者も出してはいけない。人類のためでもあるし、何よりベルが生きていくために。


 指揮官であるわたしの責任は重い。

 わたしの指示や動きひとつで戦局が変わりかねない。

 だからわたしが強くなって、αを、ベルを、支えなくちゃいけない。


 トレーニングルームに着いたら、オケアノスのコックピットを模した球形のシミュレーターに乗る。機体の設定を適用てシミュレーションの開始。

 実戦と同じように真っ黒なコックピット壁に濃緑がゆらぐ。照準を合わせて攻撃。


 ど真ん中。スコアが100増える。

 新しい深緑がこんどはふたつ。200。300。

 さらに400、500、600――。


 不定型な緑色が広がりだす。奴らの体液が深海に溶けていくさまも完全にシミュレートされていく。その緑色のもやのなかから、新しく十体。

 両手の引き金を倒して照準を調整。左右の引き金を同時に引いてレーザー発射。


 900、1000、1100――。


 引き金の感触はやけにスカスカだった。シミュレーションだからこその安心感。

 自分の機体との微妙な違い。仮想空間がより空虚なものになってしまう。

 気を張れ、わたし。実戦でもコックピットからの眺めはしょせん仮想のもの。映像の処理も見えかたも、何なら使われている装置の原理だって共通している。シミュレーションのなかで緊張感を保てるかはわたし次第。


 なのにどうして、こんなに引き金が軽い。


「ほう、また記録更新するつもりか」

「シェアト……あなた、何しに来たの」

「気晴らしだよ。そうしたらたまたまきみがいた。ラッツの葬儀は二十三時間後だ」

「そう」


 スコアはもうじき六桁になる。


「毎日毎日更新とは。よくやるよね、きみも。指揮官の仕事だってあるのに」

「それがわたしたちの役目でしょ。あなたも少しくらい練習したら」

「ストイックなことで」


 斜に構えたもの言いと、大きなため息が耳障りだった。


「そっちが頑張ってくれないと、こっちまで大変なんだから」

「お互い様だろう?」

「どういうこと」


 思わず、視線をシミュレーションからずらしてしまう。

 シェアトの真っ赤な瞳が、痩せこけた頬のうえでらんらんと光っていた。

 充血を疑ってしまうほどに。


「相変わらず死人のような顔だ。いつにも増してひどいが。ちゃんと寝ているか?」


 気を遣われるのがどうも訝しい。


「別に心配されなくても」

「それは何より。きみが元気でいてくれないと、こっちが大変だからね」

「あなたの出撃が増えると、死人が増えるから」

「これは手厳しい」

「事実でしょ」

「確かに。昨年の戦死者はβで四人、αでゼロだ」


 何が楽しいのか口元は緩んでいる。もっとほかにすべき表情があるはずなのに。


「あなたのほうが睡眠足りてないんじゃないの。ナオスに代わってもらったら」


 彼のやる気を考えたら、シェアトよりはましな成績を出してくれるかもしれない。

 戦死者も減ってナオスも異動して、わたしには一挙両得なのに。


「忠告痛み入るが、それは艦長が決めることだ。自ら降りるつもりはないが」

「わたしがいま艦長になったら、最初にあなたを降ろす」

「言うね」

「その痩せ具合だって、体にガタがきてるんじゃないの」


 エビの触覚みたいに細い腕、リュウグウノツカイみたいに薄い体幹。わたしが指揮官に就任した二年前はもう少しましだったのに、見るたびにシェアトは痩せ続けている。大人たちのカロリー計算はちゃんとしてるはずだから、体の不調を疑うべきだ。


「きみには言われたくないね。目の下、真っ青だよ。もともとひどかったが、この二週間、アルが死んでからはますますひどくなっている」

「さっきから何。人の顔死んでる死んでるなんて」

「いやいや失礼。嘘はつけないんだ」

「そんなアピールはいい。本題は何」

「先輩からの忠告さ。その死んだ顔のことだが――」


 シェアトは細長い体を起用に折りたたんで隣のシミュレーターに押し込む。


「相変わらず狭いな……ひと勝負いいかな」

「……わかった」


 進行中だったシミュレーションを切って、シェアトと同期する。くだらない話を聞かされるくらいなら、シミュレーションで叩きのめしたってバチは当たらないはず。


「せっかくの記録が。もったいない」

「あなたとの話を早く終わらせたいの」

「なるほど」


 カウントダウンが表示される。ゼロになった瞬間、ふたり同時に引き金を引く。

 わたし、100。シェアト、78。


「アステリズムの全員を、完璧に生きて帰らせるなんてことはとてつもなく困難だ」

「そのために指揮官がいるんでしょ。的確に戦闘を進めるために。αとβがあるのもパイロットの生存率を高めるため。疲労とイレギュラーは何よりの敵だから」

「それでも難しいことに変わりはない。きみが言ったやりかたは結局、死人が出る確率を減らすためでもあれば、死者の数を減らすためでもある」

「どう違うの」


 わたし、600。シェアト、472。


「期待値の問題だよ。ゼロか1か、あるいは1か2か。ゼロを引き続けることなんて奇跡なのさ。相手は自然の驚異そのもの。どれだけ準備していようと我々の想定を上回ってくる。それが自然だからね。現に、きみは毎回の戦闘で損傷を負っている。いつ死んでもおかしくない」

「わたしのやりかたがあるの」

「他人に危険が及ぶくらいなら、自分が盾になる。それがきみのやりかたかい」


 さっきからシェアトの口ぶりが、気に食わない。

 わたし、1400、1500、1600――。

 シェアト、806、881、967――。


「どうせ、二週間前の戦闘でヴァスィリウスに接近を許したのもわざとだろう?

 弾幕だけで敵の進行を防ぎきることは不可能だった。それなら自分のほうに誘導すればいい。自分で対処しやすくなるし、少なくとも味方が死ぬことはない」

「文句があるならはっきり言ったら?」


 思わず口調が刺々しくなってしまう。でも、このまま任せてしまいたい。


「文句じゃない。心配なだけさ。毎回毎回自分が盾になっていたら、いつか本当に死ぬことになる」

「あなたに言われたくない。どこかの誰かと違って、わたしは戦死者を出していない。だったら、わたしのやりかたは間違っていないってこと」

「運の問題だよ。たまたま。これまでの状況が生き残れる範疇を逸脱していなかっただけだ。死人が出ていないのも単に運がいいだけ。だが、いずれ運も尽きる。そのとき、きみは死に、ほかのパイロットも死ぬことになる」


 わたし、3098。


「あ……」


 動揺しそうになって、歯を食いしばった。

 3198、3298――。


「そこをどうにかするのが指揮官の役割じゃないの。甘えたこと言わないで」

「心意気は素晴らしい。だがね、運に恵まれていることを自覚しないと、きみは潰れることになるよ。自然のきまぐれを完璧にカバーしようなんて人間には荷が重すぎる。毎朝、自分の顔はチェックしているかい? せっかくのかわいい顔が台無しだ」

「口説くならルケにしたら。文句なしに可愛いでしょ。仲も良いみたいだし」

「彼女はパスだな」


 シェアト、2337、2437、2499――。


「……幸運を太陽に感謝しろ、っていうのがあなたの言いたいこと?」

「だめだったときの言い訳にしてもいい。今日のミスは運が悪かったんだ、ってね」

「馬鹿らしい。何度でも言うけど、運に関係なく全員を生還させるのがわたしたちの役割でしょう。戦闘に運が干渉する余地はない。あったと勘違いするのは最悪を想定する力が足りなかっただけ。でも、そんな実力不足は言い訳にならない」

「ストイックだね。歴代の指揮官のなかでも群を抜いてストイックだ」


 皮肉にしか、聞こえない。


「ただ、誰かが死ぬことには慣れておいたほうがいい。いや、それこそ想定、と言ったほうがいいかな。最悪を想定するのが指揮官の役割なんだろう?」


 わたし、8398、8498、8597――。

 シェアト、3978、4049、4116――。


「わたしが、失敗するって言うの」


 引き金が軽い。口のなかが熱い。

 シェアトはため息をひとつ。


「失敗とか成功とかいう次元じゃないのさ。戦闘で人は死ぬ。誰かの死を過剰に背負っていると、きみがもたなくなる。それは指揮官だけじゃない。ほかのパイロットにも言えることだ。アルが死んでからのきみたちを見ていたら、それが心配でね」

「ふざけないで」


 9697、9780、9880――。


「ふざけてないさ。ちゃんとしたアドバイスだ」

「余計なアドバイスはいらない。馬鹿にしないで」


 誰かが死ぬ?

 ありえない。

 みんなの腕と、わたしの指揮があれば、どんな状況だって切り抜けられる。

 それだけの努力を全員で積み重ねてきた。

 シェアトなんて今まで何人ものパイロットを犠牲にしてきて、それなのに他人が死ぬことに慣れろだなんで、どの口が言ってるの。


「きみなら、他人の死に慣れることができる。僕はそう思っているよ。僕と同じ、指揮官に選ばれた人間なんだからね。いや、次期艦長であることを考えれば僕以上かもしれない。そのための資質を、他人の死に鈍感になれる資質を、きみは持っている」

「わたしはそんな人間じゃない」


 頭が破裂しそうになった。

 いい加減にしろ、この――


〈シミュレーション終了。シェアト機は撃墜されました〉


 泡に針が突き刺さるように、システム音声がわたしの熱気に水を差した。


「おっと、いいところだったんだが……。よければまた頼むよ」


 気が付くと、喉はカラカラだった。

 大きく息を吸い込むと、喉の奥がひんやりとする。

 と、いきなり、頭のうえに何かが置かれた。触ってみるとふわふわして柔らかい。


「シリウス」

「きゃっ……。もう、ベル。どうしたの、いきなり」


 手繰り寄せてみると、ただのタオルだった。


「汗だくになってるよ」

「え? ……ほんとだ」


 額を触ってみると、手の平がじっとりと濡れた。

 押し出された水滴がしたたって、眼鏡の内側に雫をつくりだした。


「流さないと風邪ひいちゃうよ。お風呂、いっしょに行こ」

「……うん、そうだね」


 手を引かれる。

 ベルの手は、チョウチンアンコウを見つけたときのように熱い。

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