「だからこれは俺のわがまま」

「好きです、先輩」

「…………」


 左側を向いて顔を背ける。鏡を見るまでもなく顔は赤いだろうし、心臓は早鐘を打っている。こいつは俺が照れると知っていてわざとこういうことをしているのだろう。その証拠にこいつは少しも恥ずかしがる気配がない。


「先輩、大好きです」

「…………っ」


 こいつは昼飯を食べ終わってからずっとこんな調子だ。

 理由はわかっている。昨日の後輩の最後に言ったセリフの催促だろう。

「私をちゃんと捕まえてくださいね?」……つまり俺から告白して付き合え、ということだろう。

 別に面倒くさいだとか生意気だとかと思っているわけじゃない。元からこいつは少し面倒くさい奴だし、俺が年上だからって遠慮したりしなかった。俺はそういうこいつが好きだし、彼女も同じ気持ちならそれはとても嬉しい。


「先輩、こっち向いてくださいって」

「いやだ……」


 でも今は別だ。こうも羞恥にさらされ続けると、言おうとしていたことも言えなくなってしまう。


「先輩……世界で一番好きです」

「それはちょっと重いよ……」

「そうですか? じゃあ先輩はどうなんですか?」

「……どうなんだろうね?」


 こいつ、俺の気持ちがわかってて意地悪をしているので扱いに困る。俺がここで白状すればそれで終わるかもしれないがこいつのせいでそれも言い出せない。

 いや、俺の心の問題か。俺が逃げているだけだ。こんな俺には勿体ない人と付き合ってもいいのか、俺と付き合って彼女は幸せになるのか、そんな不安がどうしても頭に走って逃げてしまう。


「そんなこと言って、自分からキスするくらい私のことが好きなんですよね?」

「あ、あれは……」


 ……事実だけれども、あれは不可抗力みたいなもので……。

 ほら、どんどん言いにくくなっていく。後に引けば引くほど気まずくなっていく。確か悠真がそう言ってたっけ。貴方の言う通りでした、悠真さん。

 ほら、今なら言える。チャンスを逃がすな。誰も不幸にはならないだろ? ならやっていい。躊躇うな……。


「……そうだよ、お前のことが好きなんだよ……」


 少し後輩の様子を窺う。すると珍しい光景が見えた。

 後輩が目を丸くし、口は何かを言いかけたように開きかかっているところだった。

 しかし次の瞬間にはいつもの笑顔に戻ってしまった。


「はい、知ってました」


 そして満面の笑みのおまけつき。正直反則だと思う。こうやって俺だけ後輩の可愛さにやられて、でも俺は何もできないんだから、ずるい。後輩ばかり俺のことを惚れさせて。


「そうか、じゃあ……今から言うのは俺のただのわがままだ。だけど聞いてくれ」

「……なんですか?」


 少し時間を使って深呼吸をする。大事なことなんだ。失敗できない。だから、慎重に……。


「俺はお前にずっと笑って欲しいと思ってる。悲しい思いはさせたくないし、泣きかせたくない。

 でもお前が誰かと一緒に居て笑ってたり、嬉しそうな顔をしてるとちょっと嫌な気分になる。笑って欲しいけど、そういうことじゃないって思っちゃって。

 俺だけに笑って欲しい。他の人に見せてほしくない、って気持ちがどんどん大きくなって。

 だからこれは俺のわがまま。




 ……俺と付き合ってください」


 目を逸らさずに返事を待つ。

 後輩は少し視線を落として数秒考えると、真剣な表情で俺の目を見た。

 いつになく真っ直ぐで、純粋な視線。黒い瞳に吸い込まれてしまうような錯覚に陥る。


「遅いです……」

「ごめん」

「いつまで待たせるんですか」

「ごめん」


 すると後輩はため息をついて、少し怒ったように口を尖らせた。


「レディは待たせちゃいけないって教わらなかってんですか?」

「ごめんなさい」

「あー、もうっ、謝らないでくださいっ」

「ごめ……わかった」


 それで後輩の怒りは治まったようで、またいつもの笑顔に戻った。

 こっちは緊張で心臓がはち切れそうなのに……。


「それで返事は……?」


 これでノーということは無いと思う。でも不安は消えない。最後の一瞬まで何が起こるかわからない。

 後輩は一度、考えるように下を向いてから、もう一度俺の目を見た。

 そして無邪気な笑顔を浮かべた。


「はい、こちらこそ」


 心臓が止まるかと思った。嬉しさのあまり飛び跳ねてしまいそうだ。


「ただし、一つだけ条件があります」


 後輩が人差し指を立てて左右に揺らす。

 ここで条件、って何だろう。浮気をしない、とか?


「浮気をしないってキスして誓ってください」

「……はい?」


 半分正解。ただ、キスしてっていうのは……。ハードルが高いというか、まだ早いんじゃなかろうか?


「早くっ、ん」


 後輩が目を閉じて俺に向かって顔を少し上に向ける。

 こういう時、こいつはずるいと思う。自分の好きなようにしてしまうんだから。

 だから諦めてこいつに乗せられよう。


 俺はゆっくりと後輩に顔を近づけ、そのまま唇同士を触れさせた。

 触れるだけの簡単なキス。だけど、なにかもっと重要な意味を含んでいる気がした。


「目移りしちゃダメですからね?」

「するわけないだろ?」

「それもそうですね」


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