「先輩のくせに……」

「なあ、後輩よ」

「なんですか、先輩?」


 隣の後輩がこちらを見上げる。

 俺と彼女の身長差は確か15センチ以上あるのでどうしても俺が見下ろして、彼女が見上げる形になってしまうのだ。


「お前は『後輩』って呼ばれてもおかしいとは思わないのか?」

「まあ少しは思いますよ。私には水瀬みなせゆいって名前があるわけですし」

「だよなぁ」


 普通は後輩のことを『後輩』とは呼ばない。俺もこいつ以外はだいたいが苗字か名前を呼び捨てだ。

 逆に先輩に対しては『先輩』と普通に使う。

 このことがふと頭に浮かんだのだ。


「でも先輩に言われるのは慣れちゃいましたからね」

「そっか」


 直そうとしたら大変だろうな、なんて思っていたのだ。

 その心配は不要になったわけだが。


 すると後輩がにやりと笑みを浮かべて俺に顔を向けた。


「昨日みたいに『唯』って呼んでくれてもいいんですよ?」

「昨日のあれはお前の気を引くためだ。もう言わん」

「えー、私嬉しかったのに」

「お前を喜ばせるために言ったわけじゃないんでね」


 昨日のあれは失敗だったな。あそこで名前を呼ぶなんてこいつが調子に乗るだけだってちょっと考えればわかっただろう。

 その証拠に後輩は挑戦的な笑みを浮かべて俺を眺めている。

 悪魔の微笑み、と比喩するのが一番しっくりくるだろう。とても可愛らしい悪魔だ。

 だけど中身は悪魔。油断すれば魂を取られてしまうだろう。


「ケチですね」

「ケチでいいよ。名前なんてもんは気安く呼ばせていいものじゃない」


 名前は魔法のを使う上で重要な要素だ。

 名前は簡単に変えられるものではないから魔法を使う上で個人を指定するのにとても便利なのだ。

 便利な反面、時には命取りになる。

 どこに居ても名前で指定すれば基本的に魔法はかかってしまうのだ。

 だから魔法使いは基本的に名前を隠す。


「気安く呼ばせないって、私、先輩の名前呼ぼうと思えば呼べますよ?」

「そうだな」


 だけどそれは魔法使い同士の話だ。

 魔力を纏められないこいつは魔法使いじゃない。

 微量だが絶えず魔力を放出してるこいつはただの人間の類だ。

 魔法使いなら魔力は逃さずに集めて溜めこむはずだ。


「そうだなって……なんで上の空なんですかっ! 私を前にして考え事は許しませんよ!」

「お前な、それはちょっと傲慢だろ」

「女の子はちょっとワガママなくらいがいいんですっ」


 お前はワガママすぎると思うが……?


「はいはい、わかりましたよ、お嬢様」

「わかればいいんですっ」


 腕を組んで、ふいと明後日の方向を向いてしまう後輩。

 頬が微かに赤く見えるのは見間違いじゃないだろう。

 お嬢様で照れるって意外と初心うぶなんだな。容姿以外にも可愛いとこあるじゃんか。


「先輩のくせに……」

「先輩のくせに、なんだ?」


 後輩は驚いたようにこっちに振り向いて、不機嫌な表情を浮かべる。そして……


「先輩のくせに生意気ですっ!」


 と言って、また明後日の方向を向いてしまった。


 生意気って、何か気に障るようなことを言っただろうか?

 お嬢様、という呼び方が気に入らなかったのか?


 後輩は予鈴が鳴るまで黙り込んだままで、不機嫌になった原因はわからなかった。


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