風鈴の音を聞くたびに思い出す

 995号がいないだけで、二度目の朝食は美味しさが半減だ。


『田村凜子さまのハロ順応率は、現在68.4パーセントです。今後、既定値を下回る前に、第10892世界『地球』に帰還していただきます』


 味噌汁をすすりながら、928号の話に耳を傾けるけど、やっぱり合成音声のナビゲートにしか聞こえない。


『それから、彩氷族さいひょうぞくのラッセが、お話いたしたいそうです。いかがいたしましょう?』


「うん。わたしもラッセと話がしたい」


『かしこまりました。では、ご食事のあとにご案内いたします』


「う、うん」


 995号なら今この瞬間にラッセを連れてきそうなのに、928号はマニュアル通りというかなんというか、事務的すぎる。

 しかたがないから、黙々と食べ終えるしかない。


「ごちそうさま」


 箸をおいて手を合わせると、食糧の生成ハロ式の魔法陣ごと空になった食器が消える。


『では、ご案内いたします。ハロ順応率が低下中の田村凜子さまには、ハロ式の使用は最小限となりますので、ご不便ですがご自身で移動していただきます』


「はぁ、わかりました」


 どうしても995号ならって考えてしまう。

 マニュアルピンポン玉に文句を言っても、無駄なのがわかりきっているから、ため息しかでない。


 995号なら、ため息一つで色を変えてあわわしそうなのに。


 白い壁に音もなく出現したアーチ型の出口の向こうは、初めて巡る円環の本部を訪れた時の階段と同じ緑色の廊下だった。


「ピィ」


 ズルズル床を這うピィちゃんは、ずっと元気がない。やっぱり、995号のこと気に入ってたんだな。

 ラッセと話をしたら、せめてお別れくらいしたいとアルゴに995号に会わせてもらおう。わたしもピィちゃんも、このままお別れなんて嫌だ。

 ぎゅっと拳を握りしめると、前を飛んでいた928号が止まった。


『こちらです。わたくしはお話の邪魔にならないように待機しております』


 また音もなく右側の壁に穴が開いた。


 この先でラッセが待っているらしい。


「行こう、ピィちゃん」


「ピィ」


 もうすぐハロワールドとお別れなのに、995号に「さよなら」を言えなかったことが、びっくりするほど心の中に影を落としている。


 ハロワールドで出会った奇妙な住人たちの中で、唯一の同性(たぶん)のラッセは白い何もない部屋で待っていた。


「元気ないわね、リン」


「あ、ラッセ」


 宙を滑るようにして近づいてきたラッセは、わたしの肩に当たり前のように腰掛ける。

 口元を布で覆っててくれてよかった。

 ほとんど重さを感じない色ガラスの妖精フェアリーのラッセは、あのサメみたいな鋭い歯が並ぶ口さえ見えなければ、どこからどう見てもかわいい。


「別に、元気ないわけじゃないよ、ラッセ。もうすぐ帰るんだと思うと、ちょっと寂しいだけ」


「そっかぁ。でもよかったよ」


「ん?」


 ラッセの笑い声は、風鈴みたいに軽やかな音でずっと聞いていたくなる。


「異界人の中には、ハロワールドに移住したいって駄々こねる奴も多いって聞いてたからさぁ」


「その気持ちもなんとなくわかるかも」


「やっぱり」


 コツンッ

 頭を叩いたラッセは、ふわりと金色の光をなびかせて肩から離れた。


「でも、リンは違ってよかった」


「うん。ちょっとした旅行にはいいけど、住みたくないかな」


 わたしの顔の前に浮かんでいるラッセのビー玉の赤い目が笑った気がした。


「実は昨日、チームからダルが抜けて、しばらく暇になっちゃうんだよね、あたし」


「あ、そう、なんだ」


 それはきっと、ダルがタムタムに弟子入りしたからだろう。

 ダルはもともとタムタムに弟子入りしたかったみたいだし、わたしのせいじゃないんだけど、申し訳ない気持ちになる。


 コツンッ


 無意識のうちに足元を見ていたわたしは、ラッセが頭を叩いた音に顔を上げた。


「あたしも、ダルを馬鹿にしないで、灰色の男グレイマンの名前当てるの手伝えばよかった。しばらく、観測する者サーチャーのスキルアップを頑張ろうと思うけどさぁ。なんか、あの脳筋にかなわない気がするんだよね」


「ラッセも、最強になりたいの?」


「最強になるとかどうでもいいけど、脳筋に置いていかれるのは面白くないの」


 うん、わかりやすい。

 足首にスリスリしているピィちゃんと目があった。


「ラッセ、灰色の男グレイマンの名前、教えてあげる」


「いいの?」


 タムタムは、わたしがハロワールドの住人に名前をバラすって想定しなかったんだろうな。

 想定内だったら、誓約書にサインをせまられたはずだ。


 ラッセは、赤いビー玉のをキラキラ輝かせている。

 もしかしたら、ダルの他にも最強のハロ使い灰色の男グレイマンのファンはたくさんいるのかもしれない。

 歓楽の島でゴリラもどきを一斉に撃退した灰色の男グレイマンは、確かにかっこよかった。ピィちゃんのことがなかったら、尊すぎてテンションがやばかったはずだしね。


「いいよ。でも、わたしが地球に帰ってから、声に出してよ」


「うんうん」


 キラキラ目を輝かせて近づいてくるラッセが、タムタムの口癖を聞いたら、どんな反応をするだろう。

 幻滅するかな。それとも、容赦ない口撃かな。

 どっちにしても、わたしはラッセの反応を見られないのが残念だ。


 別に小声になることないんだけど、近づいてきたラッセに内緒話のようにささやく。


灰色の男グレイマンの名前は、タム・リン」


「タム……うん、覚えた」


「ピィ」


 死にたがり男の退屈しのぎは、多い方がいい。

 コツコツ、リズミカルに頭を叩いているラッセは、とても嬉しそうだ。


 あとで幻滅しなければいいけどとか、考えながらラッセの頭が奏でる軽快なミュージックに耳を傾けていると、無感情なショタボイスが割り込んできた。


『田村凜子さま、異界帰還ハロ式の準備に移らせていただきたいので、お話を切り上げてください』


 マニュアルピンポン玉め。

 でも、ハロ順応率が下がっているのは、多分間違いない。

 さっきから少しずつだけど、空気が悪くなっている。

 換気していない部屋のこもった空気のような感じだけど、だんだんこれが合わなくなっていくんだろうなってのは、なんとなくわかった。


「じゃあね、リン。ありがとう。本当にありがとう」


「ラッセも、ダルに負けないように頑張ってね。ウノとトビーにもよろしくね」


 コツンッ


 手を振ると、ラッセは両手で頭を叩いた。

 それがきっと、挨拶なんだろうな。


 またねと言えないのは、とても残念だけど、どうしようもない。

 たったの半日だけ一緒に過ごしただけなのに、目の奥が熱くなるなんて。


 コツコツ、コツコツ、コツンコツン


 ラッセも、わたしと別れるのが辛いんだろうか。

 確かめるのは、やめておこう。


 もう行かなきゃいけないし、もうラッセたちには会えないんだ。


「928号、いいよ。次はどうすればいい?」


 どこに声をかければいいのかわからなかったけど、あえてラッセに背を向けて、あえて必要以上に声を張り上げる。

 音もなく開いた出口の向こうから、マニュアルピンポン玉の928号がやってきた。


『それでは、異界帰還室にご案内いたします』


「うん、わかった。行こう、ピィちゃん」


「ピィ」


 コツコツ、コツコツ、コツンコツン……


 もう振り返らないと決めて歩きだす。


 コツンコツン……


 きっとこれから、風鈴の音を聞くたびに、ラッセのことを思い出すんだろうな。

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