風鈴の音を聞くたびに思い出す
995号がいないだけで、二度目の朝食は美味しさが半減だ。
『田村凜子さまの
味噌汁をすすりながら、928号の話に耳を傾けるけど、やっぱり合成音声のナビゲートにしか聞こえない。
『それから、
「うん。わたしもラッセと話がしたい」
『かしこまりました。では、ご食事のあとにご案内いたします』
「う、うん」
995号なら今この瞬間にラッセを連れてきそうなのに、928号はマニュアル通りというかなんというか、事務的すぎる。
しかたがないから、黙々と食べ終えるしかない。
「ごちそうさま」
箸をおいて手を合わせると、食糧の生成
『では、ご案内いたします。
「はぁ、わかりました」
どうしても995号ならって考えてしまう。
マニュアルピンポン玉に文句を言っても、無駄なのがわかりきっているから、ため息しかでない。
995号なら、ため息一つで色を変えてあわわしそうなのに。
白い壁に音もなく出現したアーチ型の出口の向こうは、初めて巡る円環の本部を訪れた時の階段と同じ緑色の廊下だった。
「ピィ」
ズルズル床を這うピィちゃんは、ずっと元気がない。やっぱり、995号のこと気に入ってたんだな。
ラッセと話をしたら、せめてお別れくらいしたいとアルゴに995号に会わせてもらおう。わたしもピィちゃんも、このままお別れなんて嫌だ。
ぎゅっと拳を握りしめると、前を飛んでいた928号が止まった。
『こちらです。わたくしはお話の邪魔にならないように待機しております』
また音もなく右側の壁に穴が開いた。
この先でラッセが待っているらしい。
「行こう、ピィちゃん」
「ピィ」
もうすぐ
「元気ないわね、リン」
「あ、ラッセ」
宙を滑るようにして近づいてきたラッセは、わたしの肩に当たり前のように腰掛ける。
口元を布で覆っててくれてよかった。
ほとんど重さを感じない色ガラスの
「別に、元気ないわけじゃないよ、ラッセ。もうすぐ帰るんだと思うと、ちょっと寂しいだけ」
「そっかぁ。でもよかったよ」
「ん?」
ラッセの笑い声は、風鈴みたいに軽やかな音でずっと聞いていたくなる。
「異界人の中には、
「その気持ちもなんとなくわかるかも」
「やっぱり」
コツンッ
頭を叩いたラッセは、ふわりと金色の光をなびかせて肩から離れた。
「でも、リンは違ってよかった」
「うん。ちょっとした旅行にはいいけど、住みたくないかな」
わたしの顔の前に浮かんでいるラッセのビー玉の赤い目が笑った気がした。
「実は昨日、チームからダルが抜けて、しばらく暇になっちゃうんだよね、あたし」
「あ、そう、なんだ」
それはきっと、ダルがタムタムに弟子入りしたからだろう。
ダルはもともとタムタムに弟子入りしたかったみたいだし、わたしのせいじゃないんだけど、申し訳ない気持ちになる。
コツンッ
無意識のうちに足元を見ていたわたしは、ラッセが頭を叩いた音に顔を上げた。
「あたしも、ダルを馬鹿にしないで、
「ラッセも、最強になりたいの?」
「最強になるとかどうでもいいけど、脳筋に置いていかれるのは面白くないの」
うん、わかりやすい。
足首にスリスリしているピィちゃんと目があった。
「ラッセ、
「いいの?」
タムタムは、わたしが
想定内だったら、誓約書にサインをせまられたはずだ。
ラッセは、赤いビー玉の
もしかしたら、ダルの他にも最強の
歓楽の島でゴリラもどきを一斉に撃退した
「いいよ。でも、わたしが地球に帰ってから、声に出してよ」
「うんうん」
キラキラ目を輝かせて近づいてくるラッセが、タムタムの口癖を聞いたら、どんな反応をするだろう。
幻滅するかな。それとも、容赦ない口撃かな。
どっちにしても、わたしはラッセの反応を見られないのが残念だ。
別に小声になることないんだけど、近づいてきたラッセに内緒話のようにささやく。
「
「タム……うん、覚えた」
「ピィ」
死にたがり男の退屈しのぎは、多い方がいい。
コツコツ、リズミカルに頭を叩いているラッセは、とても嬉しそうだ。
あとで幻滅しなければいいけどとか、考えながらラッセの頭が奏でる軽快なミュージックに耳を傾けていると、無感情なショタボイスが割り込んできた。
『田村凜子さま、異界帰還
マニュアルピンポン玉め。
でも、
さっきから少しずつだけど、空気が悪くなっている。
換気していない部屋のこもった空気のような感じだけど、だんだんこれが合わなくなっていくんだろうなってのは、なんとなくわかった。
「じゃあね、リン。ありがとう。本当にありがとう」
「ラッセも、ダルに負けないように頑張ってね。ウノとトビーにもよろしくね」
コツンッ
手を振ると、ラッセは両手で頭を叩いた。
それがきっと、挨拶なんだろうな。
またねと言えないのは、とても残念だけど、どうしようもない。
たったの半日だけ一緒に過ごしただけなのに、目の奥が熱くなるなんて。
コツコツ、コツコツ、コツンコツン
ラッセも、わたしと別れるのが辛いんだろうか。
確かめるのは、やめておこう。
もう行かなきゃいけないし、もうラッセたちには会えないんだ。
「928号、いいよ。次はどうすればいい?」
どこに声をかければいいのかわからなかったけど、あえてラッセに背を向けて、あえて必要以上に声を張り上げる。
音もなく開いた出口の向こうから、マニュアルピンポン玉の928号がやってきた。
『それでは、異界帰還室にご案内いたします』
「うん、わかった。行こう、ピィちゃん」
「ピィ」
コツコツ、コツコツ、コツンコツン……
もう振り返らないと決めて歩きだす。
コツンコツン……
きっとこれから、風鈴の音を聞くたびに、ラッセのことを思い出すんだろうな。
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