上からではなくて、下から

 とりあえず、今まで起きたことを整理しよう。


 ことの発端は、間違いなく犬ドロボーだ。間違いない。

 ピィちゃんを拉致した灰色の男を追いかけていたら、目の前が真っ暗になったところまでは、覚えている。

 転移してきたのは、わたしだけだってラッセは言ってた。けど、灰色の男も実はハロワールドにいるんじゃないかって気がしている。完全に女の勘ってやつだけど、ピィちゃんもこの変な異世界にいるような気がする。


 ウノが言うには、アルゴって人が一番このハロワールドを知っているらしい。それこそアルゴがわからないことは、誰にもわからないってくらい知りつくしているらしい。


「ハロー、ワールド。これって、チャンスじゃないの」


 膝の上で両手を握りしめて、ピィちゃん救出の決意を新たにしたんだ。


 それにしても、大鳥ビッグバードって便利な生き物だ。

 丸呑みにされた時は死んじゃったんじゃないかって思ったけど、この亜空間体内はなかなか快適だ。

 立ちっぱなしで疲れたと言えば、こうして座り心地のいいソファーを用意してくれた。

 白一色でちょっと息苦しいというのが欠点だけど、もう慣れた。

 かなりハロ使いの方々と仲良く慣れた気がする。

 もうすぐ本部ってところにつくらしいけど、それまでに少しでもたくさんハロワールドのことを知っておきたい。


「そう言えば、わたしの前にも地球から来た人がいたみたいなこと言ってたけど、その人たちはみんな帰ったんですか?」


「もちろんである。我のように移住が認められる方が少ない」


 ウノは意外とおしゃべりなやつだった。

 目の前に浮かんだウォーターボールに表情はないけど、高校の数学の中年男性教師の得意げな表情と重なる。好きか嫌いかってなると、嫌いじゃない先生だ。数学は得意じゃないけど、自分の教科に自信を情熱を注げるのは、暑苦しいけど嫌じゃない。

 たぶん、ウノみたいなイケボだったら、嫌いじゃないよりももっと好感度高かっただろうな。


「移住の条件は、ただ一つ。帰る世界がないことである。例外もまれにあるが、な」


「じゃあ、ウノの世界は……」


「そのような顔をするでない。世界は無数にあるのだ。今この時も、我の故郷ザナドゥのように、消滅する世界もあれば、生じる世界もある。我がザナドゥで生を受けたときには、荒廃がかなり進んでおったからな、むしろハロワールドのほうが住み心地が良い」


「そ、そうな、んだ」


 せっかく、触れてはいけないことに触れてしまったのかと気を遣ったのに。

 空気のような奴なのに、ウノは空気がよめないやつなのかも。


「我はザナドゥとともに消滅するはずだった命を、このハロワールドで有効に使えることを、誇りに思っておる。おまけのような人生だが……」


「こいつ、喋りだしたら止まらないから、適当に聞き流していいよ」


 肩に腰掛けているラッセが、耳元で囁いてきた。

 たしかに適当に聞き流すしかなさそうだ。下手に相づち打ったりしたら、さらに話がややこしくなって長くなりそうだし。

 いや、でも、放っておいても、このままずっと喋りっぱなしかも。それはそれで困る。

 気になることがあるのに、解決しようにも面倒くさそうで困っていると、床で伸びてたダルが尻尾で床を強く叩いた。


「るせぇよ、ウノ。少しは静かにしてくれよ」


「なんだと、脳筋が……」


 ダル、ナイスです。

 たぶん、今までも黙って聞き流しておけばいいものを、下手に口を挟んで猛口撃もうこうげきされてきたんだと思う。だとしたら、脳筋って呼ばれるのも当たっているかもしれない。

 案の定、二人が不毛なやり取りを始めると、ラッセがコツっと頭を叩いた。


「こりないよねぇ、ダルのやつ」


『ですが、ダルとウノのコンビネーションは、巡る円環の阻止する者ブロッカーの中でも優秀です』


「あーそれって、二人で一人分の優秀ってことでしょう?」


『もちろんです』


 しれっとトビーもラッセもひどいこと言ってる。この二人は、たしか観測する者サーチャーだったけか。

 相性が良いのか悪いのかよくわからない四人組フォーマンセルだ。

 そんなどうでもいいこと考えてながら、次に何を訊こうかちょっと迷っている。まだまだわけがわからないことが多すぎる。もし、ピィちゃんがこのハロワールドにいるなら、少しでもハロワールドのことを知っておきたい。


『まもなく本部に到着します。排出準備を開始します』


 中性的で抑揚の少ないトビーの声が、ことさら事務的に告げてきた。

 床に伸びていたダルが気だるそうに立ち上がったり、肩に座っていたラッセも金色の栄光の暈グローリーハロをなびかせて宙に浮かぶ。


「排出って?」


 なせだか不穏な響きに、不安になってしまう。


『リンも立ってください。排出卵エッグの殻で包まなければ、わたくしは排出できませんから』


「エ、エッグって、まさか……」


 それは、排出ではなくて産卵ではないか。


 おそるおそる立とうとしたけど、腰が引けてしまっているわたしの目の前で、ダルとラッセの体が一回り大きな白い卵になってしまった。その向こうには、ワゴン車くらいある大きな卵もある。きっと中には、幻影族げんえいぞくのウノが入っているんだと思う。


『リン、できるだけ直立してください。排出は一瞬ですみますので、早く直立してください』


「は、はぃ」


 そうだった。ここはあのバカでかい目付きの悪い鳥のお腹の中だった。

 リバース上からよりかは、産卵下からのほうがマシかもしれないって言い聞かせながら、気をつけすると目の前が真っ暗になった。たぶん、わたしも外から見たら白い卵になっているはず。

 閉所恐怖症とか暗所恐怖症じゃなくて、本当によかった。


『それでは、排出のカウント開始します。10、9、8……』


 思わず止めていた呼吸をうっかり再開したけど、息苦しくない。

 っていうか、一瞬ですむのは排出だけで、カウントダウンはふくまれていないのか。


『……4、3、2、1、排出卵エッグ、排出いたします』


 一瞬、エレベーターが下降するような浮遊感があったけど、すぐに目の前が明るくなった。


 大いなる暈グレートハロの薄紅色の光は、地球の太陽よりもずっと目に優しい。だから目がくらむこともなく、視界に飛びこんできた光景にまばたきを繰り返した。


「これが、本部ってとこ?」


 それは、まるで巨大な深緑色の天球儀だ。


 わたしは、巨大な天球儀の一番外側の帯の内側に立って、頭上でゆっくりと動いている深緑色の帯たちは、とても神秘的だった。

 わたしなんか、ちっぽけな存在だと突きつけてきた。

 無数にある世界の中で、地球の中でもちっぽけなわたしが、ピィちゃんを取り戻せるのか、泣きたくなるくらい不安になった。

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