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 私は菜緒の寝顔を見るのが好きだ。正しく言うなら、寝顔というよりも、寝ているのかどうかわからない顔である。

 菜緒の目はいつも閉じられているから、横になって、黙り込んでいると、眠っているように見える。本当に眠っている時もあれば、ただ静かな時もあろう。私はそういう菜緒を言葉もなく眺めていると、真空に身を投げ出すようなやさしさに包まれる。

 彼女の死人のような白い顔は、夢のなかにあるとも、そうでないともつかぬ曖昧な面差しで、ささやきに似た可愛い息遣いをもらす。私は沈静した心で、今この瞬間こそが夢のなかのようにさえ思う。やわらかな無常へ流れてゆく。

 菜緒は、私が風呂に入れてやると、ひどく喜ぶ。目が見えぬとはいえ、自分で身体を洗うことぐらいは容易いらしいが、入れて欲しいとしょっちゅうねだる。私もまた、菜緒を風呂に入れるのが嫌いではないし、甘える時の菜緒のだらしなさを好んでもいるので、いつも応えてやる。

 湯船に二人で浸かったまま、菜緒の長い黒髪を洗う。傷んでいるから、濡らすとぎしぎし縺れるその髪を、私は痛がらせないように注意し、丁寧に揉み洗う。

 泡を洗い流すのも湯船でするのは、菜緒が泡にまみれた湯に浸かるのを気持ちよがるからだ。彼女は私に背を向けて、頭の後ろを私の胸に寄りかからせる。私は湯船の水で、菜緒の髪の泡を流していく。

 そうして、ある日、私は菜緒が泣いているのに気がついた。髪から滴る泡と水が彼女の顔を伝っていく。だからわかりづらいが、洗い終えても、頬を純粋な水滴が流れてゆく。よく見ると、目からするすると滴がこぼれているのだ。

 声を出さないのも、泣いているのをわかりづらくしていた。それどころか面差しは、心なしか微笑んでいるようにさえ見えるのだ。

「なんで泣くんだ」

 私が聞くと、菜緒は常と変わらない、幼いけれど穏やかな口ぶりで答えた。

「なんでって、泣くのに理由なんかないよ。かなしいの」

 そう言いながら、菜緒の閉じた目からは涙が溢れ続けていた。微笑を湛えているようにも見えながら、涙を流し続けるのだった。

 私は、なんと美しいかなしみであろうと思った。

 かなしみが、これほどあわれなむなしさでありうると、私はしらなかった。涙が、かくも清らかに、まるで空の青が一滴こぼれたように流れるなどと、夢にも思わなかった。

 滔々とやむことのない涙を私は時折指で拭ってやりながら、波間に揺蕩うような深い陶酔に沈んだ。

 涙もぼんやりと流しているような菜緒だから、放心しているような姿は、たびたび目にした。

 晴れていると日向ぼっこをするのが、菜緒の日々の楽しみの一つである。彼女の部屋には、ベランダへと続く壁一面のガラス戸があって、晴天の昼下がりになると、陽がいっぱいに差し込んでくる。菜緒はよく、その明るいところに座っている。ガラス戸に垂直の壁へ背をあずけて、足を伸ばして、腿のあたりに手を重ね、人形のような姿勢で陽光を全身に受けている。

 そのあいだは、声をかけても、あまりはっきりとした答えは返ってこない。うん、とか、ううん、とか、その程度である。私は時々いたずら心で、鬱陶しいほど話しかけてみたりする。そうすると菜緒は、ふっとガラス戸の方へ顔をやって、子どもが遊びに熱中するように、もうなにも言ってくれなくなる。

「お日さまにあたってるとね、ぽかぽかして、なんにも考えられないの。だから好き」

 菜緒はそう語ったことがあった。

 私は陽だまりに安らぐ菜緒を、光合成する植物のように美しいと思った。生きようとして生きるのではない、ただ生きている、そういう植物的な純粋を私は菜緒に感じるのである。ガラス越しに静かに差す清冽な日の光のなかで、菜緒は天国からの声に耳を澄ましているように幸福そうだ。疲れきった魂が鎮まるようにも見える。

 私は菜緒といると、いつも美に救われて、我を忘れる。私は菜緒に再会してからというもの、私というものからさえ解放されたという気がするのだ。

 もはや私は、菜緒を見つめる一つの眼に過ぎぬのではないか。


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