新編 Nostalgia Episode7

不死鳥ふっちょ

新編 Nostalgia

序章

 空は不思議な色をしていた。


 透明度が恐ろしく高い水晶によって、覆い尽くされたというべきだろうか。何処からともなく天空を照らす紅色の光が、時折奇妙な反射を見せつつも天蓋を斑のある赤一色に染め上げている。


 紅玉を填め込んだレンズを通して、世の中を見ているかのように。


 それはただ、ひたすらに赤い。





 村が燃えていた。まだあちこちで炎がくすぶっているのか、幾筋もの煙が揺らめき、互いに絡まりながら天空へと昇っていく。

 動くものの気配はなかった。人ひとり、動物一頭すら、眼下の村の中を動くものはない。


 皆、死に絶えてしまったのか。それとも、元から住む者などおらぬ、捨てられた村なのか。


 よくよく近寄ってみれば、そのどちらであるのか、分かるはずであった。もし放棄されているのならば、村のあちこちから朽ちた農具や荒れ果てた畑などが見られるはずである。


 しかし、ここは離れた丘の上。村の全貌は見渡せても、その詳細を窺い知ることはできぬ。


 既に村を焼き尽くした炎はその勢いを弱め、じわじわと蝕むのみ。それとて、あと一両日もすれば自然と消えていくであろう、残り火。


 その光景を、丘の上から見下ろす二人の人影があった。


 一人は女性。年の頃は二十代後半、としたところか。


 緩やかな波を含む漆黒の髪は、折りしも吹きつけて来た夜の香りを含んだ風を受け、はらりと背を覆う。頬から顎にかけて、ほっそりとした線を持つその繊細な顔とは対照的に、彼女の身を包むものは武骨な鎧。鈍色の光を反射させ、そして甲冑の表面に時折天から放たれる煌きを受けつつ、じっと村を見つめている。


 手にあるものは、身の丈を上回るほどの重鎗。先端から半ばほどまでは重量を増す為に、幾重にも鋼を重ね、鍛え上げられた品だ。握りの部分は、信じられぬことに女の白くほっそりとした右の指に支えられ、切っ先は地より離れている。見れば総重量は馬数頭分、たとえ筋骨隆々たる大男が携えていたとしても不自然に感じるほどの槍を、その女は顔を歪めるでも腕を震わせるでもなく、ただ無表情のまま掲げ持つ。


 女の傍らの下草の上に腰を下ろしているのは、少年であった。


 麻の質素な服を着た何処にでもいる片田舎の少年は、その腕にしっかりと銀色の楽器を抱えていた。六弦をぴんと張った弦楽器は、一目でそれがかなり値の張る代物であり、少年の身なりからして不釣り合いなものであることが素人目にも分かるほどである。磨き上げられた銀の表面には瑕一つなく、左右から二人の森の精霊が頭上に腕かいなを掲げ、その先から伸びた枝が交差する装飾を施されている。


 二人の視線は交わる事無く、ただひたすらに眼下の村を見つめている。


 そのまま、どれだけの時間が経過したのだろうか。


 ふと思いついたように、女はついと視線を上げた。赤水晶に覆われたような煌きを宿す空を、黒い鳥の影が横切っていた。


 なおもその動きを目で追っていた女は、やがてふっくらとした唇を緩め、それまで胸の中に溜めていた息を吐き出した。


「もう、潮時かしらね」








 女はゆっくりと、自分が持つ槍にまで顔を俯ける。まるで、それを持っていたこと自体を忘れていたかのように。


 そしてしばらく逡巡したのち、おもむろに手を離す。相当量の重量があるそれは、支えを失って草を抉り、土に半ば埋もれるようにしてめり込むであろうと思われた。


「……おやすみ、<Georgius>」


 女の唇がその言葉を紡いだのは、槍が地に触れるよりもいくらか早かった。


 そして、見よ。言葉を女が発した刹那、槍はあとかたもなく消え去ったではないか。


 否、消えたのではない。あれだけの巨大な武器は、いまや指先から肘までの長さしかない樫の枝となって、草原の上に優しく落ちている。


 今しがた梢から折り取られたと見紛うばかりに、瑞々しい葉をつけたその枝。それが今まで、女が持っていた槍だというのだろうか。


「いいんですか」


「何が?」


 聞き返され、少年は言葉に詰まった。その様子を眺めていた女は、ややあって可笑しそうに顔をほころばせた。


「もう、いいの」


 いつのまにか、女の躰を護っていた重鎧もまた、影も形もなかった。


 ただ女は首から腰にかけ、絹で出来た前掛けのような幅広の帯を身につけていた。上質の白い絹布の縁に近い部分には金糸でかがられていたが、一際目を引くのはその中央である。三つ首の紅の龍が、それぞれの太い前肢に剱、槍、鉾を持つ紋章が染め抜かれていた。


「だって、あいつらがほうっておくとは……」


 少年がさらに抗議しようとしたとき、女はやおらその前掛けを引き毟るようにして身から引き剥がした。


 そして、最後にそれを忌々しく眺めたと思うと、女は腕を閃かせて布を思い切り投じた。布は上手い具合に吹いてきた風を孕み、一度大きくはためいたかと思うと、ゆっくりと風に乗って流れていく。


「これで、私は騎士団とは何の関係もないわ」


 やけにさっぱりとした顔つきで、女はゆっくりと丘を下り始める。少年は急いで立ち上がると、服についた草を払いつつ、女に声を投げかける。


「待ってください、どちらへ」


 一度振り向いた女は、微笑みながらもはっきりと口にした。


 あの、禁忌とされる湖の名を。

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