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監視対象20[??]-1-56の記憶



 これは、私がまだ大学院生だった頃の話だ。



 私は幼い頃からパズルゲームや謎解きが好きだった。それ故、十代の頃の趣味といえば専ら、数独やコンピューターを用いた暗号解析などであった。

 そして大学へ進んでからは、さらにその世界を広めようと、同様の趣味を持つ人間が集まる掲示板やフォーラムに参加するようになった。

 あの暗号も、そこで発見することとなった。



 ある時、いつも通りフォーラムの仲間たちと暗号関連の話題に花を咲かせていると、掲示板上へ突然、前置きも挨拶もなく一つの暗号文が投稿された。

 匿名によるそういった投稿は大抵、か場違いな初心者であると相場が決まっているため、当初私達も知らぬふりをしたのであるが、一人が気まぐれから中身を覗いたところ、その暗号が凡そ荒らしや初心者が作ったものとは思えないほど精巧であることに気が付いた。

 一転してその暗号は私達の槍玉にあがることとなり、また投降者が匿名であった点が俄然私達の興味をそそった。

 以降、フォーラムはその暗号の話題で持ちきりとなり、私達は協力してそれを解くことにした。

 また後日知った事であるが、それと同じ暗号は私達のフォーラムだけでなく、似たような趣向の掲示板やチャットへも投稿されていたようである。



 さて当の暗号文は、蓋を開けてみればさして難しいものではなく、複雑ではあるが古典的な手法に則ったもので、コンピューターによる解析で容易に解くことができた。

 解析の結果現れた文字列は、URLと思しきものであった。

 手の込んだ悪質なチェーンメールの類かとも疑ったが、十分注意してページに飛んでみると、そこにはなんの特徴も無い画像が一枚表示されているだけであった。

 暗号解読に共に取り組んでいた仲間達は、このページを目にするや否や、所詮何者かによるからかいだったと結論付けて皆離脱していったが、私だけはこの画像にも何らかのヒントが隠されているのでないかと考えていた。

 案の定、解析したところ、画像内にステガノグラフィーが施されていることが分かった。つまりその画像内部にとある文字列が隠されていたのであった。


 画像内に埋め込まれていたのは何かのコード。それがISBNを示している事に気が付くのに時間はかからなかった。

 そのコードが示した図書は、私も知っている古典的なベストセラー本の英訳版であって、過去何度も改訂・再版されてきたものだ。

 早速、書籍をネット購入し内容に目を通すも、特にヒントと思しきものは見当たらず、暗号解読もここで終点かと思われた。

 だが、ふいにとある暗号解析のプロトコルを思い出し、その書籍に刷られている文字を一定の間隔で拾っていくという解析法を試みたところ、ある間隔の時、意味ある文章になることに気が付いた。


 その文章が示したのは人名と、論文のものと思しき題名であった。

 大学図書館でそのワードを元に検索すると、それらしき物を見つける事ができた。

 その論文の内容は、日本のいわゆる「神代文字」と呼ばれるものに関する研究であったのだが、門外漢の私に言わしてみても、どうにも眉唾であると言わざるを得ない代物であった。

 とはいえ、仮に神代文字が近世の人工言語的なものであったとしても、システマティックに構成された物であるという事に変わりはなく、つまり暗号としての機能は十分に果たすものだと考え、その暗号にはまだ先があると私は信じた。


 まず、論文の著者を探し当てようと大学へ問い合わせをしたのだが、著者となっている人物はデータ上存在していないとの回答を得た。またその際、私と同様の質問をした人間が既に何人もいた事も知った。

 その後、論文の内容を分析するうちに、参考文献としたページの中に一つだけ毛色の違う物が混ざっていることに気が付いた。

 それは、日本のとある座標を示したページであり、さらにそのページを典拠とした論文の一文には、「鬼の墓場」という記述があった。

 

 この頃、その暗号にすっかり魅せられていた私は、手間も厭わずページが示す地点へと単身赴き、付近に何か次のヒントがないかあまねく捜索した。

 すると、論文に記されていた単語と同様、『鬼の墓場』と呼称される遺跡が近くにあることを知った。


 鬼の墓場と呼ばれるそれは、古墳時代に建造された円墳であった。

 埋葬者はかつてその地を治めた豪族であると目されていて、発掘された人骨は副葬品類とともに、近くの町営の博文館に展示されていた。

 古墳内部へは一般人も立ち入れるようになっており、また博物館の展示物なども注意深く観察したものの、次の手掛かりとなりそうなものは残念ながら発見できなかった。


 数日滞在したものの、その期間に目ぼしいものは発見できず、とうとう帰省する日と成った。

 帰る直前、惜しみ深く古墳近くの小野神社という場所へ寄ったのだが、その時、偶然にも気が付いた事があった。

 古墳が鬼の墓場と呼ばれるのは、その神社の名称「小野」が訛ったか或いは「鬼」が「小野」として伝えられたのではないかと思い至り、気になって付近を調査してみると、境内に比較的新しい石碑が立っていることに気が付いた。

 そこには、半世紀前その地で神代文字の一つである「小野文字」で記された書物が発見されたことが記されていた。そして、日本語の解説文の隣には、その解説文を「小野文字」に訳したものと思われる、鉤状の文字で構成された奇怪な文章も彫られていた。

 私は言いしれぬ違和感を覚え、後日、撮影した写真をもとに例の論文に掲載されている対応表と照らしてみたところ、石碑の神代文字が解説文とは全く別の内容を示していたことを知った。


 石碑に記された内容はこうであった。


 『イニシヘノ ヤクソクセシヲ ワスルナヨ カワダチオノコ ウジハスガハラ』


 この文章をインターネットで検索するとすぐに該当するものがあった。

 どうやらこれは「古への約束せしを忘るなよ、川立ち男、氏は菅原 (かつて約束した事を忘れることなかれ、河童よ我は菅原であるぞ) 」という、和漢三才図会の「河太郎」の頁に記された一節であるという。

 この句は極めて抽象的で、そのうえ大変示唆に富む内容で、様々なワードとの関連が考えられたが、どれも関連性は希薄としか言いようがなく、暗号解読は再び暗礁に乗り上げた。


 そこで再びヒントを例の論文に求め、論文内の他の神代文字の対応表を論文以外の資料と照らし合わせて精査してみたところ、一部の対応表において恣意的に改竄された部分があることに気が付いた。

 特に、この句に関わりのある橘氏に伝わるとされる『斎部文字』にそれが見られたことから、この対応表に則って再変換を試みたところ、ある地名を指す文章と『クナド』という単語が得られた。


 調べた所、クナドとは久那斗神(くなどのかみ)をさすもので、それは古くから「塞の神」などとも呼ばれ、その後道祖神信仰に合祀されていった神であるらしかった。

 また暗号で示された地においては道祖神信仰が盛んであることも分かり、極めつけに、その地には神代文字の記された古い道祖神があるとのことであった。

 その道祖神は、由来不明・碑文不明の石碑として、インターネット上でも何カ所かに画像と共に掲載されていたため、幸いわざわざ現地へと赴く手間は省けた。

 件の論文に掲載された対応表で該当する文字を探し、ネット上の画像を元にその碑文を解読した所、とある神名と思われるワードが現れた。


 この神名を検索にかけてみたもののヒット数は少なく、どうやらこの神を祀る社は日本にも一社しか存在していないようであった。ただ、その社はパワースポットとしては有名であるそうで、その為インターネット上には有象無象の情報が錯綜しておりネット上の調査では次の手掛かりを発見するのは困難と考えた。


 一体その暗号の連続がどこまで続くのか、まったく見当が付かなかったが、折しも長期休暇だったこともあり、その社まで直接赴いてみる事にした。


 某県の北部。開けた盆地にぽつねんと佇む台地上の山の頂上に、その神社は建てられていた。

 創建は古く、造りは荘厳で立派な物であった。

 暫く神社付近を捜索したが境内は広く、当てずっぽうでは手掛かりを見つけるのは難しいと感じ、捜索範囲を絞る事にした。

 思い当たったのは、小野文字で書かれていた例の句である。

 句に詠まれている菅原とは、学問の神菅原道真公の事であると言われている。菅原道真を祀るのは天満宮であるので、まずその神社の敷地内に併設された天満宮周辺を捜索する事にした。

 すると、天満宮の社の脇に立てられた案内看板に気が付いた。

 真新しい案内看板にはQRコードが記されており、当世風に洒落こんでのことか、スマホアプリによるAR案内が利用できるとの事であった。

 それまでの捜索に手詰まりを感じていた私は藁をも掴む思いでアプリをインストールしてみることにした。

 アプリを起動してスマホをかざしてみると、画面にはポップな文体によるチープな解説画面が表示され、その退廃感に益々気が滅入ってしまった。

 侘しい気分になりながらも、とりあえず周囲一帯を映して見た時、ちらりと画面に映り込んだあるものに、私は思わず目を奪われた。

 

 境内の石畳の上へ、まるで経路表示のように小さな神代文字が表示されていたのであった。

 慌てて、持参していた例の論文で訳してみたところ、それが方角を示していることを知った。

 神代文字の道標が示した方向へ歩いていくと、その先、又その先にと、次々と新たな道標が現れて行先を示し、まるで私を何処かへ誘っていくかのようであった。



 夢中で辿っているうち、私はいつの間にか台地の中腹に延びる細い林道へと立ち入っていた。

 そこに至ってアプリに表示される道しるべは途端に途絶えており、私はとりあえず林道を道なりに進むことにした。

 暫く歩くと、林道がふつと途絶えた先に、森の木々とは印象を異とする暗色の人工物の姿を見た。


 近づいて改めて観察してみると、それは一般的な家屋より遥かに大きいコンクリート造りの建造物であった。

 しかし、そこには人の気配は一切なく、いわゆる廃墟の体を為していた。

 規模と構造からして、昭和初期頃の病院かサナトリウムといったものを彷彿とさせ、晴天の昼時であるというのに、陰鬱でじめっとした、背筋に冷たいものを感じるような雰囲気を醸していた。


 その外見に少々狼狽えはしたものの、そこまで至った以上、中に何があるかを確認しなければ引き返せないという感情に駆られ、私は意を決して中へ入る事にした。

 ツタの絡まる赤錆びた鉄門を跨いで敷地内へ降りると、そこには辺り一帯雑草が生い茂って、荒れ放題となっていた。

 しかし、私のちょうど足元から廃墟の入り口へ向かう直線距離凡そ20m、幅50㎝ほどにわたって、下草が不自然に横たわっている事に気が付いた。

 それはまるで、少し前にそこを通った何者かの痕跡を示しているようにも思えた。


 草地を踏み分けて廃墟の玄関部分へ至ると、かつてそこを仕切っていたであろう木製の扉は既に朽ちて向う側へ倒れており、薄暗い廃墟の中が外からでも窺えた。

 廃墟内部へ入ると、外の蒸し暑い気候とは一転して、ヒンヤリとした空気が首筋を撫で、また辺り一帯には黴臭さが充満していた。

 破れた窓からは蔦植物が侵入し、廃墟内の至るところに繁茂していたため歩ける場所は限られており、一階部分で立ち入れる部屋は粗方捜索したが、何も手がかかりらしきものは無かった。

 コンクリート造りで比較的綺麗なままの階段を、足元を確認するようにゆっくりと昇って二階へ至る。

 二階は一階と異なり、植物の侵入は深刻でなく、殆どの部屋へ立ち入る事が出来た。だが私は不思議なことに、他の部屋を一顧ともせず、何かに惹かれるようにとある一室へと真っ直ぐに進んでいった。


 その部屋に入ってすぐ、私の視線はあるものに釘づけにされた。

 部屋の北側の壁一面。

 南の窓から齎される僅かな光で照らされたそこには、まるで鮮血のように真っ赤なペンキで大きくこう書かれていたのだ。



 『おめでとう。正解だ』



 私は、恐怖なのか疲労なのか分からない感覚に打ちひしがれて、その場に硬直したように立ち竦んでいた。

 その壁に記された文字は、一見杜撰で拙く精彩にかける書体ながら、どこか深遠な知性に裏付けられた懐の広い余裕のようなものをうかがわせ、またその一方で融通無碍な遊び心をも内包しているような気がした。


 その時私は、その文字からなのか、はたまた何処か別の場所から、ジッとこちらを見られているような気がして身震いを覚えた。


 私は逃げるように廃墟を飛び出た。

 下草に足を取られそうになりながら脇目もふらずに走っていると、突然目の前が開け、アスファルトで舗装された道に出た。

 そこで膝に手を着いて息を整えつつ振り向くと、不思議とそこには自分がいままで駆けて来たはずの林道は見当たらず、まるで神隠しにでもあったかのような気分に襲われた。


 その日の炎天にそぐわぬ寒気を覚えたまま、私は山を下って帰路に就いた。

 帰る道中、明るく喧噪のある場所にいても、先刻に感じた貼りつくような視線がずっと付き纏っているような気がして終始落ち着かなかった。


 自宅に着いてからは、先程までの視線を感じる事はなくなったものの、不安に駆られて、暗号解析に用いた資料や例の論文なども、一切を処分してしまった。

 その時になって初めて、自分は解いてはならない暗号を解いてしまったのではないかと、後悔の念を抱いていた。


 その後しばらくは例の暗号の件を思い出さぬよう、フォーラムへの参加などは意識して避けてきたが、休暇が終わって再び大学へ通うようになった頃には、あの暗号に関する不安感も徐々に薄れていった。


 ところがある日、私の携帯電話へ非通知の電話がかかって来た。

 件の暗号の事などすっかり忘れていた頃で、なおかつちょうど就活シーズンであったことから、すっかりその手の連絡だろうと高を括って、なんの警戒もせず出てしまった。

 電話の主は第一声、「○○君かな? どうも初めまして」と、落ち着いた様子で切り出したのだが、不思議なことに私はこの時すぐさま例の暗号と廃墟の赤い文字の事を想起して、さらに電話の主があの赤い文字を残した人間であると悟ったのであった。


 私は突然の事に暫し言葉を返せないでいたが、電話越しの彼は構わず滔々と話し続け、まるで自身が企業の人事担当である体を装うかのように、一方的に場所と日時を指定してきたのであった。

 茫然としながら話を聞いていた私であったが、男の声は耳に貼りつくような不思議な響きで、彼の話した内容は私の脳内に反響するようにしながらこびりついた。

 私は終始言葉を発することは無かったが、男は結局私に一度も応答を求める事は無く一方的に情報を述べるのみで、最後に「では……」と言い残すと電話を切った。


 まるで世界から切り取られたかのようであった僅か数分の通話を終えると、私の心には徐々に落ち着きが戻って来た。

 すると、その前までは驚きと恐怖で満たされていた心に、僅かながらの好奇心が萌芽して、それは時を経るごとに大きくなっていった。

 好奇心の膨らみに対して、戸惑いや恐れは、徐々に薄まって……否、麻痺していくように思えた。当初、暗号を解いている時に感じた興奮が呼び起こされるかのように、男の指定した時間にその場所へ行くと何が見られるのか、それが気になって仕方が無くなって来た。


 

 そして私は意を決して男の指定した場所へ向かう事にした。

 例え、その身に危険が及ぼうとも、この機会を避けて安穏と暮らしたならば、きっとそののち後悔するであろうと、私の好奇心が囁いたのであった。




 そうして、当日、約束の場所へ向かい、そこで私が見たものは……












 


 

 


 ―― 監視対象20[??]-1-56から任意に抽出された記憶は以上となります。処理に関しては、レベル3以上の担当職員の指示のもと、これを行ってください ――

 

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