第2話 旅立ち

ミコの決意が変わる前にとでもいうのか、師はその言葉を聴くと早速準備へと取り掛かった。

「いいかい?王子付き占術師ということはとても名誉あることなんだ。占術師としてそこを最終目標と定めている者も多いほどだ。それは理解できるね?」

師の言葉にミコは頷いた。自分の占術が国の政治、王子の未来を左右することすらあるのだ。

「その試験はちょうど十日後となっている。しかし忘れてはいけないのが、この時点ですでに事前調査や伝聞などにより各国の代表者は決まっているということだ」

それを聞いてミコは眉をひそめた。現時点でミコが代表者であるはずがなかったからである。

ミコはいままでこの村でなにか成果をあげられたと感じたことがひとつもなかった。それ以前に、村人が占術に訪れたことすらないのだ。成果など聞かれても皆無であるし、以上のことから伝聞などもまずありえない。事前調査の段階で名が挙がることもないかもしれない。そもそも占術師として認められていないかもしれない。ならばミコが代表者になるはずはない。

では師の言う王都へ行き、試験を受けよというのはどういうことなのか。

そんなミコの疑問を受け取ったのか師は淡々と言葉を続ける。

王子付きの占術師に関しては予め候補が決められる。一国ではなく全ての国と平等な結びつきを示すために各国一名ずつの候補者が集うのだ。その候補者というのは主に伝聞による報告で絞られる。そして報告を元にし、王子との相性等を考慮し六議会と王子の計七名で最終的に決められる。

六議会いうのはそれぞれの王、または王子お抱えの六人の従者のことである。

やはりこの六人も各国から一名ずつ選出され、学問、武術、交渉術、情勢等各分野に秀で、主をサポートすることが仕事だ。

だが、師によれば試験の日程が決まった時点で六議会による最初の選考はすでに終わっているらしい。

ミコはますます意味がわからないと困ったように首を傾げた。そんなミコに師は安心させるように微笑んで見せる。

「しかし、六議会の決定よりももっと重要視されることがある」

そう言って師はなにも心配などいらない、と、国の代表にならないことくらい厭わないとでもいうように強気に笑む。

「師による推薦状だ」

「お師匠様、の……?」

ミコの問いに師はこくりと頷いた。ミコはといえばますます不安そうな表情をし、師の次の言葉を伺うかのようにじっとその表情を見る。

「師による推薦状というのは必ず六議会の目を通る。セントリアと関わりのある占術師というものは意外といるものだからね。しかし、その師と弟子が第三者から見て結びつくのは双方有名なときだけだ。そのせいで大事な師の弟子を候補から外したとなればそれこそ後々大事だろう?だからこの試験開始の通達は全占術師に知らされ、推薦という措置が取られる。つまり推薦状は最後の足掻きとでもいえるわけだ」

そう言って師はミコの目の前に先程届いたという通達を持ってくる。鼻を掠める古紙の香り。それを手に取ればがさりと嵩張る感覚。どうやら紙は二枚あるようだ。一枚目には今回王子付き占術師を決めることとなった旨が、二枚目にある紙を見ればそこには「推薦状」の文字がある。

占術師自身と師の情報等を書く欄もあり、記入欄を見るからになるほど、こちらは占術師自身よりも師の方が重視されるらしい。

「この推薦状は試験が始まる前日まで有効だ。試験前日までに城へ推薦状を届けることが出来れば六議会の目を通る。そして六議会との内半数が認めれば各国の代表者と一緒に試験を受けることが可能なんだ。だから国の代表者になれていないことはさほど問題ではないんだよ。特に今の王子付きの六議会は仮六議会だからね。当日までにこの推薦状が届けば必ずミコは試験が受けられるのだから」

その言葉にミコは首をかしげる。まるでミコがその選考に通るのは当たり前だとでもいう口振に、違和感を感じる。もしかしたら、師はセントリアになにか関わりを持っているのかもしれない。

「私の名で推薦状を書こう」

「お師匠様は、なにかセントリアに関わりがあるお方なのですか?」

ミコの問いに師は笑って見せた。作り笑いと分かるそれは、答えるつもりはないとでもいうような笑みだ。

「知るべきときがきたらきっと知ることになるよ。もしそうでなかったらそれは知るべきことではなかったということだ」

はぐらかされたのだろうか。結局関わりがあるのか、ないのか。きっとあるのであろうこの師にこれ以上の質問が出来るはずもなく、促されるままにミコは自室へと向かい旅立ちの準備に取り掛かった。


これからミコの向かう、王都セントリアはなんでも手に入る街と言われている。しかし、だからと言って安心してはいけない。ミコは一人頷いた。

先程師の言っていた通り、見たことのないものを文字だけの世界で知り、知ったようなつもりになっていることは危険だからだ。

「とりあえず、占術に必要なツグミの実と、サカシの葉と……聖水、は、どうしたらいいのかな」

水というのは結構な重みがある。旅立ち用の飲水の他に占いに使用するための水となるとそれだけで荷物がいっぱいになりそうだ。

ミコは自室の中央に立ちぐるりと室内を見渡してみた。

白い壁も小さな出窓も、夜天窓から覗く月も、全てがミコにとって宝物だった。

出窓の横にある本棚にはミコの好きな物語がたくさん詰まっていた。臙脂に深緑に群青色、様々な色の背表紙に指先を這わせる。

自分にはできないことだと思っていた。だから自分の知らない世界に連れていってくれる物語が好きだった。

「これも、重いから持っていけないね……」

悲しそうに呟いて、ミコは本棚に布を被せる。

自分のいなくなった後を想像し辛くなり、視線を逸らせば目に入ったのは机だった。

ちょっとした書き物や読書に最適だったその机の引き出しには、鍵付きの秘密の日記がしまってある。

その日あったこと、一番印象に残ったことを書き綴ったその日記は決して幸せなことばかりではない。

持っていくべきか迷い、ミコは自らのショルダーバッグへと入れた。

何着かの着替えと占術道具をトランクへとしまい込む。

自分の持てるぎりぎりのラインより少し軽めにしたその荷物を、ミコはベッドの上へとそっと置いた。

「……まさか旅立つことになるなんて、昨日の私は思ってなかったのになぁ」

そう苦笑しベッドへと腰掛ける。白を基調とした部屋にひとりでいると落ち着くことが出来た。

「もうここに帰ってくることはないんだよね……」

事実上の破門であると感じ取っていたミコは、ばたりとベッドに仰向けで倒れ込む。涙が溢れないようにジッと天井を睨みつけた。

決して広くはなかったけれど、それでも自分の好きを詰め込んだ自分の安心できる場所だった。

シンと静まり返った部屋ではぐるぐると、悪い方へと思考が進む。

王子付き占術師なんてなれるわけない、そう思えば思うほど息苦しくなった。受からないことは目に見えている。なのに何故師は行かせようとするのだろう。破門である自分は、王子付き占術師になれなかった場合どこに行けば良いのだろう。

落ちこぼれだという自覚はあった。いつだって師の言う通りに占術を行えたことがないのだ。

もう少し自信を持って、はっきりと言ってごらん。

ミコは師にいつもそう言われていた。

怖い。この部屋を出ていくことが。師の側から離れることが。

恐怖がミコの胸中に巣食う。


ーーノアくん……


それは誰よりも大切な幼馴染の名だった。

心の中で呼んでみてももちろん返事があるはずもない。

幼い頃から一緒だった。落ち込むとよくそのタイミングで窓の外から現れたものだった。

上体を起こし、いつもノアが現れた出窓を見るもそこにはやはり彼の姿はない。窓の向こうで悪戯げに笑い「どうした?」と問うてくる彼の姿はない。


今から、ノアくんのいない世界にいくんだ。お師匠様のいない世界に行くんだ。


「ばいばい、ノアくん」


小さく呟いて、そして出窓のカーテンを閉めた。

肩に下げた小さなバッグと、ここへもう戻らないようには見えない小振りのトランクを持ってミコはサクレイドを後にする。

ギィッと音のなる戸を閉めて、サクレイドに向かい深く頭を下げた。

「行くのかい?」

背後から聞こえた声に振り返り、こくりと頷く。

師はいつもと変わらない穏やかな笑を浮かべそこに立っていた。

「寂しくなるね」

そうしみじみと言い、師はミコの手を取るとそこに筒状に丸めた一枚の古紙を握らせた。

「推薦状だ。いいかい?有効期限は当日だ。仮六議会に渡すんだよ。決して、諦めずに」

その言葉にこくりと頷く。話せば泣いてしまいそうだった。

嫌です、行きたくありません。そんな言葉が今にも口を付いて出てしまいそうだった。

「ミコ、世界を見ておいで」

そう師は言ってミコの頭を撫でた。

肩口でふわりと癖のある髪が揺れる。

「出会いがきっと、お前を変えるよ」

師の言葉についに涙が一筋頬を伝った。これが最後の教えだとでもいうように、その言葉はすとんととミコの胸に落ちる。

歪んでいた世界が、一瞬にして綺麗になった。

「行ってまいります、お師匠様」

しっかりと前を見据えそう言い切ったミコに師は一時目を見張り、そして寂しそうに笑った。

隠れてばかりだった。いつもなにかに怯えていた。

村の始まりの森にさえ足を踏み入れることが叶わなかった。

そんな齢十四の少女が今、一歩足を踏み出した。師の言う世界を見るために。

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