第6話 ガジュマルの男


 結構人気なんですよ、とペペロミア・ロッソを紹介してくれた誠二せいじに、あ、はい、と答えながら、葉名はなは、


 このペペロミアは運気が上がるとかないのかな?

と思ってしまっていた。


 悪王子に毒されているようだ。


 ……悪王子。


 いや、准は直感で今の会社を選んだだけだと言っていた。


 ならば、彼は、会社が傾くかもしれない情報を隠蔽していたわけではない。


 ただ顔が整いすぎて胡散臭いだけの人で、悪王子ではなかったのかもしれない。


 しかし、『悪』を無くすと、ただの王子になってしまうのだが……。


 いやでも、物語に出て来る王子様みたいじゃないよなー、と思いながら、身を屈め、ぼんやり、変わった形の観葉植物を見ていると、


「ガジュマルもいいですよね」

と後ろに立つ誠二が言ってきた。


 太いニンジンが絡み合ったような根が土の上に出ている可愛らしいガジュマルが素敵な白い陶器に入っていた。


「ガジュマルは幸せを呼ぶ精霊の住む木と言われています。

 願い事が叶うそうですよ」

と微笑む誠二に、


「へえ、じゃあ、これも運気が上がるんですか?」

とつい、訊くと、誠二はガジュマルを見下ろし、


「そう……、運気が上がるんですよ」

と何故か思い詰めたような顔で言ってくる。


 いや、なんか怖いんですけど……とガジュマルを見ている前傾姿勢のまま、誠二を見上げると、彼は最初の笑顔に戻り、

「健康や金運アップにもいいらしいですよ」

と言ってきた。


「そ、そうなんですか」

と答えると、誠二はふたたび、笑顔を止め、真顔で言ってくる。


「でも……ガジュマルは生命力が強過ぎて、木やコンクリートを浸食して壊してしまうんです。


 アンコールワットの遺跡もガジュマルが覆い被さって、神秘的なんだか、ホラーなんだかわからない感じになってますよね。


 だから、ガジュマルには、『絞め殺しの木』という別名もあるんですよ。


 とりついて、宿主を枯らしてしまうから」


 ひい、と思っていると、誠二はまた笑顔になり、


「というくらい、生命力が強いということです」

と言ってきた。


 今のは――


 今のは小芝居ですか?


 客を話に惹きつけるための小芝居ですよね?


 ね?


と心の中だけで確認していると、誠二は、

「いらっしゃいませー」

としきみを買いに来たおばあちゃんに爽やかな笑顔を向けていた。


 しかし、ガジュマルに強い生命力があるというのは確かなようだ。


 悪王子に負けないように、ひとつ育ててみるか、と思いかけ、


 おっと、悪はいらないんだったな、と気づく。


 王子に負けないよう、ひとつ、育ててみるか。


 いや、そこは負けてもいい気がする、女子として……、と思いながらも、葉名は、


「すみません。

 これください」

と誠二に言った。


「はい。

 ありがとうございます」

と誠二が爽やかに振り向く。


 おばあちゃんの手にある包装紙で軽くラッピングされた榊を見ながら、ま、悪魔避けにはこっちの方が即効性がありそうだけどな、と思っていた。





 そんな感じに楽しくお散歩して帰ってきた葉名だったが、おのれのマンションの玄関ドアを開けた瞬間、立ちすくんだ。


 どうやら、泥棒が入ったようだ、と思ったからだ。


 玄関から、開けっ放しのリビングが見えるのだが。


 リビングの中は、此処から見える範囲だけでも、泥棒が入ったとしか思えない惨状だった。


 何故、家というものは、一日でこんなに散らかるのだろうな、とノブをつかんだまま、葉名がぼんやり立っていると、


「ジャングルか」

と耳許で声がした。


 わっ、と振り返ると、廊下にじゅんが立っていた。


「昨日、片付けたのにな……。

 何故、一日でこうなる」

と一緒に片付けた准が物悲しげに言ってくる。


「い、今から片付けますっ」

と葉名は慌てて中に入ろうとしたが、その肩を、


「待て」

と准はつかんできた。


「待て、片付けるな」

と言う彼を、ええっ? と振り向く。


「ちょっと思い出しながら、検証してみろ。

 何故、此処まで散らかってしまったのか」


 ええっ?

 恥ずかしいから、検証したくないんですけどっ、と葉名は思っていたが、准は、


「散らかるにいたったお前の行動をどうにかすれば、今後、部屋は散らからなくなるんじゃないのか?」

と冷静に言ってくる。


 さすが、社長。

 失敗したプロジェクトの見直しをするかのようだ……と思っている葉名より先にリビングに入った准は、部屋の中を見回し、うん、と頷く。


「桐島」

と上官が二等兵を呼びつけるように呼んできた。


 つられて、

「はいっ」

と返事をすると、


「まず、あのソファ周辺の服はなんだ?

 昨日も散乱していたが」

と准は言ってくる。


「あ、あれは、朝、なにを着ていくかまよって……」

と言い訳しかけたが、


「前日に用意しておけばいいじゃないか」

と准は言う。


「入社して、しばらくはそうしてたんですけど。

 この季節、いきなり暑かったり、寒かったりするものですから」


「じゃあ、気温に合わせて二枚出しておけばいいだろ。

 着なかった方は、とりあえず、ハンガーにかけてそこらに引っ掛けておけ。


 ソファや床にぶちまけるより、マシだろう。


 次」

と准は床を見た。


「この散乱したゴミはなんだ……」

と足許を見て言う。


 ああっ、と慌てて葉名はしゃがみ、ゴミと猫耳のついた丸っこい形の黒いゴミ箱をつかんだ。


「こっ、これは、時間がなかったので、髪をかしながら、急いで出ようとしたら、ゴミ箱に蹴躓けつまずいて、ぶちまけて、そのまま。


 この猫のゴミ箱、可愛いけど、不安定なので、しょっちゅう転がるんです」

と説明している間に、行動の早い准はしゃがんで一緒に拾ってくれようとする。


「あっ、社長っ。

 自分でやりますっ」

と慌てて止めたのだが、


「准でいい」

と言いながら、准はゴミをつかんだ。


 そんな申し訳ないっ、と葉名は慌てて、それを取り返しながら、


「じゃ、じゃあ、私も葉名でいいです」

と言うと、准は顔を上げて笑った。


 ……か、可愛いではないですか、笑ったりすると。


 悪の部分が消えてますよ、と思いながら、少し赤くなる。


 だが、准は、すぐに立ち上がり、部屋を見回し、頷き始めた。


 だ、だから、散乱した部屋をじっと見ないでくださいってばーっ、と焦る。


 今日からは、どんなに眠くても片付けて寝て、朝はどんなに遅刻しそうでも、とりあえず、ささっと片付けようと誓った。


 社長、もうなにも検証しなくても、貴方のその冷静な視線で部屋の中を見られるはずかしめを受けただけで、もう二度と散らかしませんよ、と葉名は思っていた。


 だが、容赦ない准の分析は続く。


「他にも雑誌や新聞がテーブルに重ねてあるな。

 食べ残しや食器類は出ていないから不潔な感じはしないが、雑然としすぎだろ」


 ひい……。


「そもそも物が多過ぎるから、さっと片付けられる場所がないんだろ」

と悪ではなかった王子は鋭いところを突いてくる。


 いや、悪でないのなら、ただのイケメン御曹司なのだが……。


「ほら、よく言うじゃないか。

 一日十個ずつでも捨ててみろとか。


 少しずつでも、日々積み重ねていくことが大事だ。


 捨てるときのめんどくささを考えたら、買うときも考えるようになるだろ。


 葉名」

と呼ばれて、どきりとする間もなく、准は、


「とりあえず、家の中のもの、十個捨ててみろ。

 今すぐにだ」

と言ってきた。


「えっ?

 今すぐですか?」

と葉名は訊き返す。




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