第五部 第1話

「ぁのぉ……」

 昼食を終えて適当に駄弁っていた俺達に、その声は届いた。

 引き戸の音がしないようにひっそりとこちらを覗いている目は大きい。同じ一年生だろうか、俺はきょとんとしてしまう。この部室に人が来た事なんてなかったからだ。ましてや一年、ここが『探偵部』の部室だと知るものもいるまい。あら、と目を丸くしたのはキツネさんだった。

「ことりちゃんじゃない。どうしたのかしら、こんな所に」

 知り合いらしい。とりあえずドアをもう少し開き小柄な身体を地学準備室もとい探偵部室に入れた彼女は、ぺこりと頭を下げる。

「初めましての方もいるのでご挨拶します、私、古都ことことりと申します。探偵部さんに用があって来ました」

 行儀よくぺこりと頭を下げた彼女は少しだけ長めの髪を後ろに縛って、言っちゃなんだが垢ぬけない感じだった。化粧なんかもしていなければ眉も弄っていない。でも清潔な感じはして、けっして不快じゃない佇まいだ。ナッツ系の香水の匂いもして可愛らしい。制服も規定通り。乙茂内のようにピアスも開けていない。

「用って何かな、ことりさん。あたしたちは探偵部だよ? そこに一石投じると言う事は貴女は謎を持ってなきゃいけない。さてそのつづらの中身は何じゃらほい」

 百目鬼先輩の言葉にもじもじとしていたことりちゃんは、決心したように顔を上げて俺達を見た。

「猫を、探して欲しいんです!」

 探偵としてはよくある展開なだけに、逆に驚いてしまった。


 ことりちゃん曰く、先日散歩に行く際リードを付けていたのだが、猫と言うのは頭が入れば抜け出せるもので、すっぽ抜けてそのまま行方不明になってしまったそうだ。家飼いの子猫なので、スズメなんかの狩りもしたことはない。飢えているか、カラスなんかに突き殺されていないか、彼女は心配でたまらないらしい。しかし失せ物探しかあ。生モノの。これは早くしないと本当に危ないぞ。近所で子猫を飼ってたばーちゃんがうっかり外に出しちゃって、カラスに突きまくられてやっと帰って来たことがある。子猫には抵抗する力がない。隠れる場所が上手く見つかれば良いけれど、そうすると今度は見つけづらくなってしまう。

「はい、波羅田二丁目から八頭司五丁目まで……はい。ありがとうございます。では失礼いたします」

 いつの間にか百目鬼先輩の携帯端末を借りていたキツネさんが、ことりちゃんを見る。

「今警察に張り紙の許可をもらったわ。何か写真は持っている? ことりちゃん」

「あっあります!」

「んじゃそこのPCで吸い上げよう。なるべく最近の全身が写っているモノが良いな。寝姿とか」

「はいっ」

 携帯端末を取り出した彼女は百目鬼先輩がポケットから出したUSBケーブルで起こしたPCに接続する。ていうか全種携帯しているのかこの人は。ケーブルだって各社違うものだろうに。ノートパソコンは確かキツネさんちのお古だと聞いている。プリンターもスキャナーもあるんだから、デジタルな部室だここも。さすが東西ドイツが分かれていた時代の地球儀があるだけはある。

 吸い上げた写真を一旦保存し、携帯端末は素早くことりちゃんに返す。ケーブルも百目鬼先輩のポケットに戻った。白紙のリッチテキストに貼り付けられる写真。解像度はそこそこだ。その下に赤い文字で『たすけてください!』。

「生後何か月ぐらいかしら」

「三か月です」

「ありがとう」

 生後三か月の子猫が行方不明です、見掛けた方はこちらにお電話下さい――090……。

「って何で携帯番号知ってるんです、キツネさん。携帯端末は使っていないでしょう」

「あら、覚えようと思えば四十人ぐらいは頭に入るものよ、哮太君。もっともクラス替えがあったらすっぱり忘れるけれど。脳は有効活用しないと。さてと、こんなものかしら」

 キツネさんが一仕事終えて、プリンターが動き出す。吐き出されたポスターは十五枚。いつの間にか百目鬼先輩が出していたビニール袋にそれを一枚一枚詰めて行く。はっとして俺達――俺と乙茂内もそれを手伝った。ぽけっとしている場合ではないのだ。俺達は、俺達も、探偵部員なのだから。

「これを底が上になるように入れてね。雨避けだから」

「はい」

「これをまず見失った箇所から家まで半径五百メートルに分布するから。ことりちゃんも手伝ってね、家の周りだけで良いから」

「はいっ」

「ことりちゃんの住所は――」

「それも覚えてるんですか!?」

 ん? 待てよ?

 四十人ってのは教師とクラスの生徒だろう。終わったら忘れる。住所も同じだろう。と言う事は。

 俺はことりちゃんの足元を見る。

 青い靴ひもは三年生の印だった。

「とっ年上!?」

「え、そうですけれど。哮太君に美女ちゃんですよね? お噂は常々キツネさんから伺っております、改めまして三年D組古都ことりです」

 ぺこりと頭を下げられて慌てて俺も頭を下げる。こんなに小さい三年生もいたのか。気づかなかった。別に俺は背の高い方じゃないが、キツネさんと並べると余計に小さく見えて混乱した。くすくす笑う百目鬼先輩とキツネさん。純情をもてあそばれた気分の俺の肩を叩いたのは乙茂内だった。

 憐みの表情を浮かべていた。

「乙茂内! 気付いてたならお前も言えよ!」

「だって普通に内履きの色見たもん。哮太君こそ身長で人を見るの止めなよ、メッ」

「『メッ』じゃねええええ……失礼しました、古都先輩」

「ことりちゃんで良いよ、哮太君。それでは改めて。この事お願いします」

 数枚のチラシを持って、古都先輩――ことりちゃんは出て行った。そういや百目鬼先輩も何気に敬語だったな。騙されてるのを前提にしていたのだとしたら足の一つも踏みたくなるが、キツネさんの陰に隠れやがった。この野郎。

 俺達も数枚ずつ持って、予鈴が鳴ろうとしている地学準備室を出た。乙茂内はバイトで忙しいだろうからその分も引き取って。ごめんね、と言われたけれどそれはもっと前の段階で言って欲しかった。


 そして次の日の登校がてら、ポスターを見に俺は自転車を漕いでいく。

 すべてが乱暴に剥がされていた。

 警察には届け出ていたはずなのに。

 謎に思いながら何となく朝から地学準備室に向かう。

 全員が、そこに居た。

 ことりちゃんも。

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