春季

立春。


 春である。

 春とは、万物の芽生えである。木の芽の綻ぶ頃である。まだ寒さが厳しく、東の空が白んでくると指先が冷え切って筆先が震えてしまう。だが梅の花が咲くのも時間の問題だろう。

 一年の始まりとは、おおよそあらゆるものの芽生えというものがあって、つまるところこれは、春というものである。春というのは何かとはじまりの多い季節である。

 それで、ともいうか、私も一つ、始めることにした。

 それが、これである。そう、この浅井の記す日記である。

 そもそも、眠ることが罰であるとしてからずいぶんと経つ。あれは私の妹が高女へ通うのに家を出た頃であったから、十四、五年前か。もう三十路を目前にする私だが、今になってこのように日常を記すというのには些か違和感もあろう。死期を悟ったとか、記憶がおぼつかなくなったとか、そういうことでは無論ない。ただ、ふと、ふと書くべきと悟ったのである。何者かが私の耳元でそっと囁いたのかもしれない。いや、それはどうでも良いことなのである。違うのだ、そこではないのだ。このままでは、学びがいかに素晴らしいか、時間がいかに貴重であるか、妹にさえ理解されないだろう。それは良くない、まったく良くない。

 眠りなどはただ時間を消費しているだけである、これほど無駄なことはあるだろうか。これほど惜しいことはあるだろうか。ないのだ。だから私は書くのだ。おそらくこれを妹は見るだろう、友人は見るだろう。そして彼女らも悟るのだ、睡眠ほど病的に我々を蝕み、付いて離れない悪魔というものはないのだと。

 さて、それでは記すとする。

 左記はこの男、浅井京十郎の日々である。


雨水。


 皆が寝静まった後、小さな明かりを一つつけて書物を眺めるのが日課になった。

 難解な文字を、手元の辞書と己の持ちうる知恵を用いて読み解いていくことの快感といったら、たまらなかった。痛々しいほどに静かであり、ひっそりとした闇に包まれたこの時間が私には心地よい。心地よさに身を委ね、ゆっくりと過ごすのである。不思議と眠くはなかった。

 眠ることなどというと、それはもう、罪であった。人類の犯した罪である、これこそが原罪である。文机の傍らに積んだ聖書なるものの中、基督のいう木の実がどうのだとか、そのようなものよりもずっと根底にあるものが眠りであろうに。蛇など口が達者なだけであろうに。怠惰に眠り込んで、それこそまさに読んで字の如く惰眠を貪って、あれらは楽園追放に相応であろうに。

 まぁなんにせよ、私にはもはや無縁である。

 しんとしたこの今、迫りくる闇の中、私だけが賢くいる。こうして書物を繰り、知識の幸福で私という全てを満たしている。書物という書物を貪っているのだ。惰眠などとは比べようもない、甘美な味である。


啓蟄。


 新しい書を繰るが、どうにも読むことが出来ないのが悔しい。

 前後からするに人名であろう。

 欧州南東の希臘には、恐るべき存在があるようだ。黒髪の映える男だというが、鴉か蝙蝠か、そのような何かのように有翼であるという。だが、恐れるべきはそれではないのだ。やつは人の額を小枝で小突き、眠りに落とすというのだ。幸運であるのはここが東の端であり、希臘の地からは遠く離れているということか。なんと恐ろしい男か。悪の化身である、悪魔である。魔王である。

 この書には他にも様々な男や女の話が綴られているものの、人名とはなかなかに難しいものである。

 さて、それはそれであるが、これは文脈から察するに、魔王の弟は鉄の心臓に青銅のこころを包んだ男であるという。まったく、鉄仮面さえも内側では微笑を浮かべるだろうに、この男はぴくりともしないに違いない。何せ永久の眠りを約束されたものの首を刈るのだ。睡眠は死であると、なるほど、確かにそうである。似て非なるものであるものの、似てはいるのだ、酷似してはいるのだ。

 眠ることは、死と同様に、可能性を失っていっていることが分かるだろう。

 可能性を詰め込む私の傍らには、書物が高々と積み上げられていく。


春分。


 彼岸の頃であるが、祖父は元気にしているだろうか。

 夜通し火を灯して待っているが、祖父は現れなかった。だが父が私の背後にいらっしゃった。父は私の両肩を静かに掴み、力強くおっしゃった。お前は自慢の息子だ、とそうおっしゃられたのだ。私は天にも昇る思いであった。

 御爺様は元気ですかと尋ねると、父はゆっくりと二度、深い頷きを私にくださる。父の顔はぼんやりと霞がかったようであったが、しかし私にはそれが父であるとよく分かっていた。このとき私は馬も牛も用意していなかったのだが、それを詫びる間もなく父は姿を消してしまった。いつかに見た父と寸分変わらぬようで、どうやらあちらでも達者でやっているらしい。

 自慢の息子は、こうしてこの世の知識という知識を舐めてやるとばかりにしております。ごらんください、この書を、私の知識を。

 祖父もきっと私を褒めてくださるだろう。さすがだ、と。思えば生前の父は無口な人であった。私が百言う間に一でも返せば良い方で、多弁なときは決まって傍らに一升瓶が転がっていた気がする。そう、そうして多弁なときに限って、父は私を愚図だ鈍間だと……いや、違う、父はそのようなことをしなかった。どうやら誰かと間違えているようだ、書物の読みすぎかもしれない。物語の中の父と混同させてしまうなど、失礼にも程があるだろう。私は父に丁寧に謝罪をしておいた。


 清明。


 よく晴れ渡った日であった。独逸へ渡った古い友人から手紙が届いた。

 砂男を見たらしい。

 砂男というのは、友人いわく、年老いた男だったという。背に担いだ大きな袋にいっぱいの砂を詰めて歩いているのだが、やつはこれを人に向けて投げつけるのだ。この砂が厄介で、これを浴びるとたちまち人は眠りに落ちてしまうらしい。どこにでも恐ろしいものはいるのかと、私は正直呆れるばかりであった。どうしてそうまでして人は愚かしく眠りにつかねばならないのか。しんとした、この夜の美しさを誰も知らないらしい。明かり一つで書の文字を追うことの喜びを、誰も理解しようとしないらしい。

 時間という過ぎ去るものに対して、人は正面から対峙していない。もし真正面で見詰め合うならば、眠りなどという無駄なことはしないだろう。額に当てられた小枝を折ってでも、かけられた砂を振り払ってでも、私は失われていく唯一と向き合うのである。

 友人への手紙の返事には、近頃私の家の周りを何者かが駆けずり回っていることと、烏の羽ばたきの音が夜の静寂には不吉であることを綴って近況報告としておいた。


穀雨。


 珍しいことに、妹が尋ねてきた。

 妹は幽霊でも見るような目で私を見つめ、青ざめた顔で言うのだ。大丈夫なの、と何度もきつく問われるが、そういえば妹は私が眠らないことを良しとしなかった。妹は昔からよく眠る子であって、父は妹のことを、まるで猫のようだと微笑んでいたことを思い出したが、それどころではないらしい。妹は私に寝巻に着替えるようにと何度も繰り返し、仕舞いにはお願いだから眠ってくれと懇願を始めてしまって、これにはさすがに参った。可愛い妹の懇願であるのだ。しかしそれでも私が眠らないとなると、いよいよ妹は泣き出した。

 鼻をすする合間に、きっと眠っているのよ、眠っているはずだわ、と独り言を並べ始めたあたりで、疲れたらしい妹はすっかり寝入ってしまった。なんと愚かしいのだろう、実妹であるとはいえ本当に愚かしいと思う。

 妹はあらゆる点において私よりも優秀であったしそれを私も認めていたが、こればかりは許すことができなかった。だが、愛らしい寝顔をまじまじと見ていると、なるほど猫かと思ってしまうほどである。起こすことはできず、私は妹を、座布団を並べて作った即席の布団に寝かせることにした。

 私の家には布団などない。不要であるのは言うまでもないだろう。



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