第9話束の間の休息

 やがて食堂に着いた二人は、上部にメニュー表が載る券売機の前にしばらく佇んでいた。いや正確には佇まざるをえなかったと言った方が正しい。


 「何だ、このメニューの数は……それに券売機の数も尋常じゃねぇ!」

 「船内暮らしの数少ない娯楽と言えば食事だからな。ウチの艦長の要望で、乗員が食事でもストレスを軽減できるよう、メニューを豊富にしているのさ。因みに調理している乗員は、有名な一流レストランで勤めていたほどの経歴の持ち主たちだそうだ」

 「なら、安いだけじゃなく味の方も最高ってことか、素晴らしいねぇ!」

 「あぁ、そのおかげで失敗を恐れずに毎日色んなメニューに挑戦できる。いつも同じ料理ばかりでローテしなくて済むから、実際すごく助かっているよ」


 経験者は語ると言わんばかりにラルフはメニュー表を眺めていた。すると、どのメニューを頼むか決まったのか、ディックに声を掛ける。


 「ディック。俺の方は決まったのだが、そっちはどうだ?」

 「むむ、こうも品数があると逆に何を頼んだら良いのか難しいな」

 「基本、何を注文しても失敗は無いぞ。好き嫌いがあれば別の話だが」

 「いや違うんだ。これだけあるとその中でも、一番美味い物を頼みたいと思っちまってよぉ。貧乏性な性分でね、そうしないと気が済まないんだ、何せここで食事できる機会もそうそうない訳だし…」

 「なら好きに悩むといい。時間はたくさんあるからな」


 そう言いながら静かに見守ることにした。

 しかし、十数分待っても当のディックはうんうんと唸りながら、どれを頼むか決めあぐねていた。傍から見れば、貧乏性と言うよりはただの優柔不断な男にしか見えない。

 さすがにラルフも空腹で痺れを切らしたのか、目の前のディックに助け舟を出す。


 「ディック、依頼を受けて貰えれば別にここで食事を摂るのは一回限りとは限らないだろ。だったら、そんな風に真剣に考える必要はないんじゃないか?」


 諭すようにそう声を掛ける。その言葉を聞き、ディックも少し冷静さを取り戻した様だった。


 「そ、そうだな、つい意地になっちまってた。ここで何回かは食えるチャンスはあるんだよな」

 「それで、目ぼしい料理は決まったのか」

 「……いや実は候補が多すぎてそのなんだ……まだなんだ」


 次第に声が小さくなっていき申し訳なさそうにディックは喋った。やはり優柔不断な男だったかとラルフは内心確信した。


 「なら、俺と同じメニューでいいな? 悪いが券売機に紙幣を入れてくれないか」

 「あぁ、そうしてくれ。元々奢る約束だからな」

 有無を言わさず、ラルフはディックから半ば強引に選択権を奪いメニューを決める。紙幣が挿入され、ランプの明かりがともった券売機のボタンにラルフは迷うことなく、日替わりDランチと書かれたボタンを押すのであった。


 券売機から発券された二枚の券を右手で取り、カウンター越しの調理員に手渡す。相手は券に書かれている注文名を確認すると、注文品が出来た時に呼び出す端末をラルフに渡し、すぐさま調理の方に取り掛かった。


 二人は料理が出来上がるまで近くに設置されている自動販売機で飲み物を買うと、窓際の無機質な素材からなる長方形のテーブル席に移動する。

 ラルフは何気なく外を眺めたが、窓から見える外の景色は陽の光が徐々に傾きつつあり、夕暮れを迎えつつあった。ふと腕時計を確認するとPM15:53分を表示していた。


 お世辞にもランチを摂るような時間帯ではないなと、内心思いつつ昼食の時間がずれたことを考慮して、夜の食事は携帯栄養食で軽く済まそうと思うのであった。

 ディックはと言うと、食堂に備え付けてある大型の情報掲示板を眺めていた。ランダムに表示され現れては消える、何気ないニュースを見つめながら何か考えているようだった。


 そんな時間が十数分ほど経ち、テーブルの上に置いていた端末機が料理の完成したことを告げるアラームを鳴らす。

 カウンターに料理を取りに行った二人の前には、注文したDランチが姿を現していた。


 ランチの内容はクラブハウスサンド、サーモンマリネサラダ、コーンポタージュ、そしてデザートにベイクドチーズケーキというセットであった。

 早速二人は、出来上がった料理を自分たちが陣取った席へと運ぶ。席に座ると姿勢を正し、待ちかねていたと言わんばかりに、料理を自らの口に運んでいく。ラルフが最初に口にしたのはクラブハウスサンドであった。


 クラブハウスサンドと言えば、通常トーストされたパンにターキー、ベーコン、トマト、レタスといった具をはさんだサンドウィッチの一種で、ラルフも青年時代の頃から親しんでいる大衆的な料理である。


 しかし、ここアルビオンでは、そんな大衆的な料理さえも独自にアレンジされている。例えばターキーやベーコンの代わりにローストビーフをふんだんに使用し、何層にも積み重ね食感とボリュームを生み出し、喫食者に対し高級感を演出している。

 また、トマトとレタスといったサンドウィッチ界きっての不動のコンビにあえて、アボガドとエメンタールチーズを加えることで、あっさりとした爽快感を失わずに全体に深いコクを与えている。

 これは、具の間に敷き詰められた、ホースラディッシュをベースとしたマスタードとは違う、鼻を抜ける清涼な刺激的ソースが様々な食材の調和を可能にしているからだ。


 その様に計算しつくされた料理は、食べ手に側にまたとない感動を届けてくれる。忙しい日々に追われ心身ともに疲れ切った世界に、一時の憩いの空間を。

 つまり、いかに庶民的なサンドウィッチであろうとも、調理する人間の創意工夫次第でより高みの料理へと昇華できるのだ……。


 ――とラルフは手にしたクラブハウスサンドを噛み締めながら、心の中でひとちるのであった。


 「美味いなこれ!? こんなクラブハウスサンドは初めて食べるぜ!」


 美味い以外適切な褒め言葉が見つからなく、語彙の少なさを補うためディックは、表情と手振りを加えて本心から感動していることをアピールする。


「 な、言っただろう。ここでは何を頼んでも失敗が無い。だからこそ、気兼ねなく食事を楽しめるんだ」

 「あぁ、あんたの言ったとおりだ。どれが一番か何て迷ってた俺が馬鹿みたいだ」


 言いながら二人は笑いあう。美味い料理が目の前にあれば自然と心も穏やかになり、会話も弾むのであった。

 会話を交えつつ、メインの料理を食べ終えたラルフは密かに楽しみにしていた、デザートのチーズケーキにフォークを伸ばす。

 だが、伸ばしたフォークは直ぐに元にあった場所に引き戻されられる。


 ――頭の中で待ち望んでいた相手からの呼び出し音が響いたからであった。

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