有原兄妹の義兄 『有原兄妹と義兄、スーパー銭湯に行く ①』

 準備を終えた宗雄が玄関で財布と着替え、そして割引券に書かれた店の場所を確認しながら外に出ると不意に声をかけられる。


「宗兄、こんなところで会うなんて奇遇じゃないか!」


「ええ、そうですわね…ちょうど出かけようとしているみたいですけれど、どこに行かれるんですか?」


「…お前ら」


 宗雄の顔が引きつる。 彼の見知った弟妹達がなぜか玄関先に立っていたのだ。


「おや?着替えを持って…ははあん、察するに最近オープンしたスーパー銭湯に行こうとしていたようだな…なんという偶然!僥倖!ちょうどこの卿哉と麻理沙も行こうと宗兄を誘おうとしていたところなのだ!」


「ええ、凄い偶然!それでは目的地が同じなら一緒に行きませんか?」


「…随分、タイミングがいいな」


「まさにそうだな!やはり宗兄と我等、兄妹は輪廻の果ての果てまで繋がった縁があるようだ…これは運命(ディスティニー)というやつに違いない!」


「はい!麻理沙もそう思います!そうですよね、シャンティ?」


「……ええ、そうですね」


 最後の一人、日本人とは違う異国の血の入ったメイドが冷め切った表情で肯定する。 

 

「…………」


「む、宗兄ぃ?」


「どうしましたか?宗兄様…お兄様もやはり運命を感じていらっしゃるんですよ…ね?」


 無言でジト目をする兄貴分に卿哉達が『やべっ!』と慌て始めたところで、彼は長い溜息をつく。

 

 そして…。


「…まあいい、しょうがねえな。一緒に行くとするか」


「…!そうこなくてはな、それでこそ我等が宗兄だ!」


「ええ、この偶然に神様にも感謝しましょう…まあ、居るか居ないかは知りませんけれど」


「なんでもいいよ、さっさと行くぞ…ああ、それとな…」


「うん?なにかな?我が敬する兄よ!」


「今度から誘う時はあらかじめ連絡しろ、それと盗聴器はとっとと取り外しておけよ?いい加減、訴えるぞ」


「な、なんのこと…かな?妹よ、あ、兄が何を言っているかわ、我には理解できんぞ」


 明らかに動揺する卿哉と違い、彼の妹はいつもと変わらぬニコニコ顔で、


「盗聴器なんて麻理沙にはなんのことだか…仮に仕掛けてあっても私ではないことは間違いありませんわ…ねえ、シャンティ?」


「……そうですね」


 問われたメイドの少女は嘘をつきつつ、そう肯定した。

 

 

 

「なるほど、中々悪くないではないか!」


 もやのような水滴に覆われた横引きの扉を開き入り口で仁王立ちした卿哉の声はまるでマイクを使ったかのように増大して風呂場に反響する。


「前くらい隠せよ」


 タオルを腰に巻いた宗雄に言われても彼はいつもと変わらぬ自信たっぷりな表情で振り向く、


「何を言っている兄よ!麻理沙達の前でならいざ知らず、この有原卿哉、衆人に隠すようなことなど何も無い!」


 あきれ顔の宗雄に更に興が乗ったのか、一際大きく声を上げた卿哉が誇らしげに宣言する。


「つまり愚民の前だから恥ずかしくないもん!」


「とりあえず頭冷やせよ」


「ふゎっ!な、何を…」


 これ以上の連れの恥に耐え切れなくなった宗雄が、すぐ横にある身体流し用の水を頭からぶっ掛けた。


「む~、宗兄でなかったら煉獄の体験を味わせてやるところだったぞ」


「ああ、わかったわかった」


 不満げな弟分の横で、家から持ってきた石鹸を泡立たせる。 


「いきなり身体を洗うのか?」


「ああ、まずはな。それから風呂に入って身体が暖まってからもう一度身体を洗うんだ」


「なるほど、考えてみれば銭湯というものに来たのは始めてだな…」


 宗雄の手元でどんどん泡立つ石鹸を物珍しげに除きこみながらしみじみと言う。


「そういえばお前と一緒に風呂に入るのも何年ぶりだろうな、子供の頃に泥遊びしていて、父さんに風呂場に放り込まれ以来か?」


「ふっ、そんなこともあったな…あの頃はまだ子供だった」


 いまだって十分ガキだろうが。 


 言いたかったが、それを言うとこの弟分がむきになってしまうのでそれを横目にぬるくスルーする。


「まあでも子供だったとはいえ三人も居たら家の風呂場じゃ狭かったよな~、覚えてるか?お前が足滑らせて頭から浴槽に突っ込んで気絶したことが…」


「ああ、ありましたね。 二人とも子供でしたからお風呂から引き上げるのが本当に大変でした」


「そうそう、麻理沙が『お兄ちゃまが死んじゃう』と半泣きしてさ」


「もう、宗兄様、子供だったんだからしょうがないじゃないですか」


 プンプンとふくれっ面をする麻理沙が抗議する。


「ああ悪い悪い、それにしてもあの頃はお前らもまだ可愛げがあって、本当にもういちどあの頃にって……えっ?」


「…? どうしました?」


 麻里沙が宗雄を見る。


「どうしてお前がここに居る!」


 いつの間にか麻里沙が髪を後ろで束め、華奢な肢体をバスタオルで包んだ状態で隣に座っていた。


「だってせっかくのお風呂なのに麻理沙だけ仲間はずれなんてひどいじゃないですか」


 プクっと頬を膨らます。


「は、破廉恥な…他の男の前でこ、こんな半裸なんて…俺はお前をそんな風に育てた覚えはにゃ、にゃいぞ!」


 さすがの卿哉も動揺して慌てているが、とうの麻理沙は平気な顔をしていて、


「そう慌てないでくださいな…他のお客なんてどこにいるんですか?」


「あ、あれ…?たしかに…」


 宗雄が見渡すと先程までいた入浴客達は一人も居なくなっていた。


「はい、他の方たちにはこれから現金の掴み取り大会を催すと案内したので皆さん、そちらに集まっていますわ、貧しい人達に少しばかりの幸せを味わってもらおうと思いまして…」


「まったくそんな無駄なことに金を使ってどうする?兄としてはもう少し大人になってもらいたものだ」


 お前が言うなと言いたかったが、さすがの宗雄もいまは黙っていた。


「お兄様が会社に地下室を勝手に作って拵えているロボット研究の方がよっぽど無駄だと思いますが?」


「な、何を言う!ロボットは男の夢だ!そうだよな?宗兄よ」


「どうりで最近床が揺れると思ってたらそんなことしてたのかお前は…」


「なあに、現社長の許可は取ってある!」


「どうせまた無理強いしたんだろうが…」


「説得と言ってもらいたいものだ、だいいち、まだまだ俺の夢は叶っておらん、ゆくゆくは社員全員が乗れるほどの巨大ロボットを作る予定なのだからな!」


「…お前はうちの会社をどうしたいんだよ」


「まあまあくだらない話はそれくらいにして久しぶりに兄妹水入らずで語り合いましょう…宗兄さま、お背中お流ししますね」


 そういって宗雄の手から十分に泡立った石鹸を受け取って後ろに回りこもうとするが…その麻理沙のさらに卿哉が回り込んで羽交い絞めする。


「…お兄様、邪魔なんですけど?」


「今日は兄弟水入らずと決まっているんでな、妹とはいえ宗兄の背中を流すのはこの有原卿哉の仕事だ!」


「それなら私の後で洗えばいいでしょ?」


「いやだ、我が一番先だ!」


「…お兄様、か弱い少女に先を譲るのも紳士の嗜みだと思いますが…」


「だが、断る!それにお前はか弱い少女ではなくこの有原卿哉の妹だからな、決してか弱くは無い!っていうか俺が先に洗うと決めてたんだ!」


「…お兄様、ワガママもいい加減にしてくださいまし」


「ワガママはお前だ!今日は俺が洗うと約束してたんだよ!」


 いや、してないしてない。 というか背中くらい自分で洗いたいんだが…。


 そうこうしているうちに二人の揉めあいは激しくなっていく。


「お、おい…お前ら…いい加減に…」

 

 さすがに宗雄が止めに入ろうとしたところで飛び散った石鹸の泡に卿哉が足を滑らせる。


「な、なんのこれしき…あっ」


「あっ…」


 踏ん張ろうとした卿哉が目の前にあったものを掴んだが、それもむなしくタイルの上に転がる。 その右手には白いバスタオルが…。 


 そして男二人の前にはそれを取られた少女が…。


「あらら、取れちゃいましたね…それではお兄様にはお風呂上がった後に身体を拭いてもらうとして私がお背中洗いますね…それじゃ宗兄様、ここに座ってください……宗兄様?」


「で、出ていけーーー!」


 有無を言わさず男湯から麻里沙は放り出されてしまった。 ちゃんとバスタオルを身体に巻きつけられたあとに。




 一方男湯の前では札束掴み取りで追い出した者たちが戻ってこないように立っていたシャンティが今日何度目かのため息を吐こうとしたところで大声と共に彼女の主が出てきた。


「戻ってきましたね、ホラ言ったとおり追い出されたでしょ?]


「ええ、やっぱりそう簡単にはいきませんでしたね…それで危険はありませんでしたか?」

 

「ええ、全員目の色変えて外で騒いでますよ、店員もふくめてね」


 まったくこんなことであんな大金を使うなんて…。 内心の愚痴を隠しながら冷静に返すシャンティに主は彼女の前にしか見せない女王然とした顔になる。


「まったく宗兄様にはほとほと困ります。不特定多数の中で丸腰になるところにいくなんて、やはり新しく盗聴器を仕掛けておいて正解でしたわ


 普通は盗聴器なんて仕掛けないのではという当然の疑問は口には出さない。


 主の兄である卿哉の行動も常識外れだが、麻理沙の行動も別のベクトルで規格外だが、すっかり慣れてしまりつつある自分が怖いと少しだけ思うシャンティであった。




 視界が朦朧とする。 明らかに限界を超えつつあることを自覚しながらも宗雄は動けないでいた。


 横には卿哉が座り、彼と同じように大量の汗をかいてフラフラと頭を揺らしていた。


「そろそろ限界じゃないのか?限界なら立ち去ってもいいんだぞ」


「…は…はは…何を言ってるんだ、こ、このくらい…ぬるいくらいだ、宗兄こそ、もう出てもいいんだぞ・」


「俺はもう少し余裕があるけどな…お前こそ体力無いんだから、倒れる前に出た方がいい」


「そ、その…言葉…そのまま返すよ、今日こそは俺は宗兄を越えてみせる。


 木製のベンチで身体から汗を垂れ流しながらとうに限界を超えた男二人が意地を張っている。


 事の発端は兄貴分から切り出した。


 最後まで残っていた方に風呂から上がった後にジュースを奢るというありきたりの提案だったが、宗雄は忘れていた。


 この弟分がものすごく負けず嫌いだったということを。 


 現に彼の隣に座っている少年は顔どころか身体中を真っ赤にしながらも、いまだに出て行こうとはしないでいる。


 宗雄もとっくに限界を超えている。

 

 だが彼も自分から切り出した勝負の上に兄貴分としての意地もあるので彼もまたその場から立ち去ることはしない。


「ま、負けられねえ…」


「…ぜ、絶対に…今日こそ…勝つ…」


 遠くなる意識、それよりも遠い場所の歓声よりも強く心の中で男二人は強く叫んでいた。

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