倒産、そして新会社とありえない上司
宗雄が入社してから一週間が立った。
当初の予定通りとまでは言わないが、仕事自体は中々順調に進んでいる。
彼の主な仕事はイベントマスターと呼ばれる上司の元で様々な雑用と交渉をすることだった。
小さい会社とはいえ、昔からの付き合いと信頼で中々に忙しい。 それでも久しく労働から隔離されていた彼にとってはそれは嬉しい悲鳴でもあった。
歳の離れたやんちゃな弟妹達のせいで良くも悪くも動き回っていたせいで、彼はよく気が利き、また人当たりも良いので顧客や現場の人間達からも気に入られている。
「佐原君のおかげでずいぶんと仕事が楽になったわ、ありがとう」
そう言って今はつかの間の休憩中に熊原涼子が彼に缶コーヒーを手渡す。
「いえ、熊原さんのおかげですから」
「社交辞令でも嬉しいわ」
「いえ、本気ですよ」
事実、宗雄の言ったことは本音だった。 年齢が二つ上の涼子は『沢原企画』唯一のイベントマスターで様々な現場の責任者でもある。
現場も事務もこなすが、宗雄が入社したことでやっと現場に専念できると喜んでいた。
宗雄も事務仕事よりもこういった現場の仕事の方が好きなので不満も無く、涼子自身も仕事には厳しくはあるがさっぱりとした性格で相性も良い。
また元来面倒見の良い性格なのか仕事上のアドバイスもしてくれるので宗雄自身も気持ちよく仕事が出来る。
ここに入ったのは正解だったな。 あいつらも最近はやってこないし。
就職祝いの後は弟妹たちも忙しいのかあまり顔を見せなくなった。 そのかわり携帯に来る電話が増えたのは愛嬌ということで許そう。
気になるのはいつも彼が家に帰り着いた時や寝る少し前の自由時間のような妙にタイミングが良いということくらいだ。
あいつら俺の家に盗聴器とかしかけてないよな。
さすがに不安になったので今度探してみようかと思っていると、
「それじゃ佐原君、休憩は終わりにして次の現場に行くわよ」
元気良く熊原が声をかけてくるので、
「はい!わかりました」
その場で残った缶の中を全て飲み干して彼女のあとをついていく。
もちろん空き缶は缶専用のゴミ箱に入れて。
「佐原君も大分仕事に慣れてきたわね、もう少ししたら任せる仕事を増やせるかも」
「それはありがたいですね、頑張りますよ」
社用者のオンボロ車を運転しながら涼子がそんなことを言うので宗雄も元気良く答えると、
「頼もしいわね…前の会社でもそうだったの?」
「えっ?いやそれは…」
珍しく口ごもる宗雄に興味が湧いたのか、
「なあに?前の会社だとこんな感じじゃなかった?それとも何かあって辞めたのかしら?」
「い、いや…そんなこと…は」
弟妹達によって会社が倒産寸前に追い込まれましたとは言えず、歯切れ悪く答えていると、
「…なにかごめんね、言いづらいこと聞いちゃって…駄目ね、どうもそういうところが気がきかない性格でね」
「い、いや~、そんなことは…ちょっと特殊な事情がありまして…」
「まあいいわ、今はここで頑張ってくれるもの、大人ですもの色々と言いづらいこともあるわよね」
「ありがとうございます」
誤魔化すような物言いに朗らかな笑いで有耶無耶にしてくれる涼子に宗雄はますます好感を持った。
思えば年長の人間と交友関係を持つのは久しぶりだった。 というよりもあまりなかったというのが正解だ。
前の会社ではそれなりに会話をしていたが、個人仕事が主だったのでここまで深く付き合ったことはなかったのだ。
そういえば俺ってあまり人と関わってこなかったな。
中学高校も大学時代でさえ、宗雄は人とあまり深く付き合うことはなかった。
友人も少なく、恋人も出来た事もあったが何故だかすぐに振られてしまうことが多かったのだ。
思えばあいつらにもう少し社会を学べといっておきながら自分自身、あまりそういった意味での社会というものに深く接することが少なかった。
こりゃ、あまりあいつらのこと言えないかもな。
少しばかり偉そうに言い過ぎたと今更ながら反省する。
とはいえあいつらも若いが、自分だってまだ若い方に入るのだから、これから学んでいけばいい。
偏った社会経験は人生に置いてはマイナスに作用するかもしれない。
人のことは言えないがあいつらも早くそれに気づいて俺以外の信頼できる交友関係を作ってもらいたい。
それは少し寂しいことかもしれないけれど、愛する弟妹達の為には必要なことなのだろう。
だからそう切に思わざるを得なかった。
「熊原、佐原、帰ってきました~…あれ?みんなどうしたの?」
『沢原企画』に帰社した二人が中に入ると、社員全員が集まっている。
その奥には社長が立っていた。
それは珍しい光景だった。 社長は主に取引先や顧客相手への商談であまり会社に居ないのが常で、この時間帯に居ることは稀なのだ。
「あ~熊原さんも佐原君も戻ってきたようなので、発表したいと思います」
いつも穏やかで落ち着いた社長が妙にソワソワしている。 そして気のせいか少しばかり冷や汗を垂らしているような。
も、もしかして…。
宗雄はこのような光景に何度か出くわしたことがある。 それは主に過激な弟妹達によって会社がピンチに陥っている時に上職者達がよく見せていた姿に良く似ていたからだ。
「え~我が沢原企画は本日を持って業務を全て終了とさせていただきます」
予想通りだった。 確かに沢原企画は仕事自体は多いが、利益の少ない地元の町内会や公民館でやるような小規模イベントの仕事がほとんどで儲かっているようにはとても思えなかったのだ。
それでも地元のつながりや社長自らがとってくる仕事があるのですぐにはそうならないだろうと予測はしていたのだが、どうやら外れてしまったようだ。
「そんな~!それじゃ私達明日からどうなるんですか!」
「いや、それよりもいま承ってる仕事はどうするんだ?すでにいくつかの企画はスタートしているというのに!」
小さなビル内に悲哀が木霊する。
宗雄も内心、困ったことになってしまったと思ったが、すでにこういった状況に慣れてしまって(本当は慣れたくなかったが)いるので他の社員達ほど動揺はしていない。
「困ったわ…町内会のイベント用の資材の発注はしているし、市内の小学校の運動会の企画だってつい先日内容を決めたばかりなのに…」
さすがの涼子は快活な表情を曇らせてすでに動き出してる仕事の心配をしている。
「皆さん、落ちついて!落ち着いて話を聞いてください!」
社長が制止するがすでに絶望的なムードに包まれた社内は各自の悲鳴と苛立ちに満ちていく。
「み、皆さん…落ち着いてください!とりあえずいまは今ある仕事をどうやって終わらせるかを考えましょう」
見ていられず、宗雄が声を張り上げると「そりゃそうだけどさ…」「俺、つい最近新車買ったばかりなんだよ~、ローンどうしよう」
そりゃそうだ。 誰だって生活するために必要な仕事が無くなってしまったのだから冷静でいられるはずがない。
それでもこうしていてもしょうがないのだ。 だからこそ彼はさらに大声を上げて皆を叱咤する。
「会社は無くなるかもしれないですけれど、それも今日、明日でいきなりそうなるわけじゃないんですから!それに仕事はまだ残ってるはずです!先のことは社長と皆で話し合うということで今は仕事を進めましょう」
その物言いに誰もが納得はしていないが、渋々黙り込む。
そうなのだ。 確かに失職は大きいことではあるが、だからといって仕事をそのままにしていいはずがない。
まだ入社して一週間だが、社員達は仕事に対してそれなりに誇りを持ってやっているのを彼は知っている。
それは涼子や宗雄だけではなく、会社の人間全てが決して大きくも無く利益も薄いのだが遣り甲斐のあるこの仕事が好きだということは肌で感じていた。
だからこそ、今は動揺しているばかりではなくせめて残った仕事を無事に終えて心残りが無いようにしていきたいと宗雄はその生来の生真面目さで主張していた。
「い、いや…あの…佐原君、会社は無くなるんだけども…それは倒産じゃなくて…」
「えっ?」
「はっはっは!貴方の言葉しかとこの胸に刻みましたぞ!」
「こ、この声は…」
やたらでかく、妙に通りの良いその声には聞き覚えがあった。
「皆の者、安心せよ!沢原企画は確かに無くなるが、それは終わりではない!始まりなのだ!」
奥の事務室から出てきた学生服の男は有原卿哉だった。
「そうですよ、ちゃんと皆さんの雇用は続けますからご安心してください」
遅れて真理沙も出てくる。 もちろんこちらも学生服だ。
「え~、我が沢原企画はこちらの…有原卿哉さんと真理沙さんに買収されまして、事業は新しい会社にそのまま移るということで決定されました」
社長があたふたしながらそう説明をする。
「皆の者、よろしく私が社長の有原卿哉だ」
まるでアニメか何かの悪役のような大げさな態度の卿哉にその場の全員が絶句し、
「同じく取締役の有原真理沙です。皆さんよろしくおねがいしますね」
まだ年端のいかない少女の紹介にいたっては皆、呆然としていた。
当然だ。 宗雄自身でさえ口をアングリと開けて固まっている。
「そしてもう一人、代表取締役として佐原宗雄を指名する!以後は我々の指示に従うように厳命を持って…」
「って待て~~~!」
突然、先週入ったばかりの新入社員がいきなり取締役に抜擢されたことに驚いていた社員たちも声を挙げた本人に顔を向ける。
「お前ら!一体何してんだ~!」
「いやだわお兄さま、ちゃんと社長と取締役って言ってくださいな。いくら親しいとはいえ社員達の前なんですから」
「そ、それだ!それ!いきなり現れて一体何を言ってんだ!」
「ふむ…まあ掻い摘んで言うとだな、俺と真理沙、そして宗兄、あなたがこの会社の経営者となっただな」
「そこじゃねえ!なんでお前らが社長と取締役になってんだ!」
「それはそこの社長さんと十分に話しあった結果ですわ、有限会社の買収って面倒なのですね、株式会社と違って株式を全て買い上げれば済むわけではないんですもの」
「だから俺が聞きたいのはそこじゃないんだよ!」
「む、宗兄、落ち着け…落ち着いてくれ!」
あまりの宗雄の剣幕に卿哉が気圧される。
「チッ!…普段は強気なのにこういうときだけ気が小さいんですから…」
「い、妹~、聞こえたぞ!お前だってこの案は最高だって言ってたじゃないか~!」
「ちょっと待って!一度三人とも黙ってちょうだい!」
場荒れする状況を収めたのは熊原涼子だった。
「…とにかく事業自体はこれまで通り続けるということはわかったわ、後の説明はこれから聞かせてもらいましょう…皆さんはとりあえず仕事に戻ってください。内容が把握できたら後で知らせますから!」
ピシャリと言い放たれたことでやっと社員達の金縛りは解けた。
兎にも角にも失業は免れたということはわかったので、みんな狐につままれたような顔をしながらも仕事に戻っていく。
「佐原君…あなたもこっちに来なさい」
「お、俺も…ですか?」
「貴方だって当事者でしょ!じっくり説明してもらうから」
説明も何も俺だって何も聞かされてないのに…。
そう言いたかったが涼子の有無を言わさない雰囲気に呑まれて何も言えない。
「佐原君…頑張ってね」
社長の慰めだけがむなしくその場で霧散していった。
「つまりこういうこと?佐原君と貴方達は兄弟で、彼に言われたからこの会社を買い取ったと」
「うむ、多少の違いはあるがおおむね間違いない!」
「間違いあるわ!」
「痛っ…!宗兄、頭を叩かんでくれ、一応部下の前なんだからな」
「私の方から補足説明させてもらうと、俺の助けになりたかったら自分達の力だけでやってみろと言われましたので、私達の力だけでこの会社を買収させてもらいましたの」
「そんな無茶苦茶な」
涼子も目を丸くして何とかその一言を搾り出すのが精一杯のようだ。
「無茶も何もこうして会社は私達の物になりました。お疑いなら書類も見せますし、社長さんに聞いてもらってもよろしいですよ?」
「しゃ、社長…本当なんですか?」
「うん…本当だよ、正直経営状態も悪くてね、銀行からの借金も断られてしまって、このままじゃ娘達に父さんの会社倒産しちゃったよ…なんて言うはめになりそうだったからね」
「あらお上手」
「お上手じゃない!どうしてお前らはいつもこうやって無茶なことをするんだ!」
「無茶ではないですわ、この程度の会社の買収なんて一月もあれば買えますから…ねっ?お兄さま」
「あっ、ああ…まあな」
先程宗雄に叱られたからか微妙にテンションが低い。 何気にこの世で彼が恐れているのが宗雄なのだ。
なので返事もやや腰が引けている。
「まったく…宗兄様に怒られたからって…お兄さまは倣岸不遜なようで打たれ弱いんですから」
「ひどくないか?妹よ!お前のもう一人の兄なんだぞ?もう少し優しくしてくれたって…」
「とりあえずお前は黙ってなさい」
「ぐっ…わかったよ」
「なあ真理沙に卿哉、お前らの気持ちは本当に嬉しいよ。だけどな、これはさすがにやり過ぎだ。お前らの力でってこういうことを俺は言ってたんじゃない、第一買収だって有原の金を使ったら意味ないじゃないか」
「心外ですわ。この会社を買い取ったお金は全て私達が稼いだお金ですわ、有原のお金なんて一銭も使っておりません!」
「高校生のお前らがどうやってそんな金を集められる?嘘を言うんじゃない」
「こ、高校生…確かに学生服は着てるけど…」
まだ二十歳にもなってない学生に会社を買われたことがまたまたショックなのか涼子も青い顔をする。
「あら宗兄様、お金なんて簡単に集められますのよ、株とやらで空売り等してみれば」
「お、おま…株なんてやってんのか…いやそれよりもそんな簡単に儲かるわけが…」
「ええ、さすがに少し骨が下りましたけれど私の掴んだ情報をちょちょいと広めたり潰したりすれば問題無しでしたわ」
「ふふん、ちなみに俺は一年前に起こしたIT事業が成功してな、良い値段で会社が売れたぞ」
「さすがお兄さまの手腕ですわ…これでもう少し厨二病を抑えてくれればさらによろしいのに…」
「ちゅ、厨二って言うな!ロマンといえ、ロマンと!」
「頭が痛くなってきた…」
「わ、私も…話のスケールが違いすぎて…」
年長組(社長は除く)はすでに状況の変化についていけなくてグロッキー状態に
なってきた。
甘過ぎた。 俺はこの兄妹を甘く見過ぎていた。
卿哉も真理沙も人並みはずれて頭が良い事も自分に対する思いも知っていると思っていたが、まさかここまでとは…。
「……ところで宗兄様、先程からやたらと突っかかってくるその方はどなたでしょうか?」
「この人か?俺の先輩の熊原さんだよ」
「そうですか…それでは熊原さん、貴女は今日付けで解雇です」
「えっ?ええっ?」
「な、なんでそうなる!」
「何でもなにも私達は会社の経営者であり彼女の上司でもありますから、そんな方に先程からの無礼千万の振る舞いは社内風土を乱していると判断しました」
「…うむ、そうだな。そもそも何故一介の社員が取り締まり役達と元社長との会談に当然の如く参加し、なおかつ批判するのだ。通常の会社ならばこれは懲戒になるのではないか?」
「わ、私が…クビ?」
「ええ、そうですわ早く私物をまとめて退社なさってください…そういえば私ったら忘れてましたわ、クビにするには一か月分の給料をお渡ししないと出来なかったでしたわね、でもまあ…宗兄様をその非才な身で指導してくださった功績を踏まえて退職金として給料半年分はつけましょう」
「ちょっ、ちょっと待ってよ…!」
「あら?ご不満ですか?それなら給料一年分にしましょう…それなら文句ないですわよね?」
「なんなら住む所と仕事も世話するぞ?ちょうど手持ちの会社で人手が足りないところがあるのだ。仕事場はここからはかなり遠いが、それでもここの会社の給料よりは良いと保障しよう」
「お前らいい加減にしろ!」
「…………」
「…………」
二人は黙り込む。 だがそれは怒られて萎縮してるのではなく宗雄の言うことに不同意しているということだ。
その証拠に卿哉らは敵意を持って睨みつけている。 宗雄ではなく涼子を。
「……私、とりあえず今日中に行かないといけない現場があるから行ってくるわ」
「そうですか、それでは仕事の引継ぎをしっかりお願いしますね、上司として最後の命令ですから」
「…いってきます」
そのまま涼子は事務室を出て行ってしまう。
「熊原さん!待ってください俺も行きますから!お前ら後で話し合うからな!」
それだけ言って宗雄も部屋を出て行ってしまう。
「ふん…宗兄も甘い…だからこそ放っておけんのだ」
「そうですわね、だから私達がしっかりしておりませんと」
「放っておけないのは本当に君達の方なのかい?」
重苦しい雰囲気の部屋でポツリと言葉がこぼれた。
「当然だ…俺達と違って宗兄は人が良い、良すぎる。なればこそ俺達がそれを支えなければいけないのだ」
「そうですわ…私達が傍に居てあげないと…」
それは誰に言うでもなく言い聞かせるような口調だった。
「ふむ…会社はもう私の手から離れてしまったからね、人事のことに口を挟む気はないんだが…」
「元社長よ、説教は沢山だ。あなたもせっかく借金から解放されたのだから余計なことを言うのは得策とは思えんぞ」
「お兄さま言い過ぎですわ、でも確かにその手のことは宗兄様に散々言われてきたことですから…正直うざったいですわね」
宗雄と居る時とは違う雰囲気で傍の椅子に座る社長を二人は見つめるという表現のギリギリのところでそれを収めている。
「説教などおこがましい、私なんて零細会社の元経営者ですから」
「それなら黙っていることだ。命が惜しければな」
「それは怖いですね…それじゃ一言だけにしておきましょう、君達は本当にそれが佐原君…いや君達にとってそれが本当に良いと思うのかい?」
その答えは返ってこない。 だが耳を潜めてももしかしたら聞こえないほどのかすかの小ささで
「……当然ですわ」
という音が響いたような気がした。
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