有原兄妹の暗躍

「そうですか…あなたも受けるんですか」


「ええそうなんですよ」


 件の中年男性は偶然にも宗雄が受けようとした会社に面接を申し出ていた。


 ハローワークの窓口でお互いにそれに気づき、なんとなくそのままの流れで一緒に昼食をとっていた。


「ああ申し遅れました。私、竹田といいます」


「あっ、こちらこそ遅れてすいません佐原っていいます」


 律儀に素うどんを脇に置いてペコリと頭を下げる竹田に宗雄も同じように頭を垂れる。


「しかし求人枠は一人ですから、歳をとった私よりも佐原さんの方が受かりそうですね」


 一瞬の間を置いて竹田が備え付けの割り箸を手に取り、宗雄にも手渡す。


「いや~、それはまだわからないですよ。俺は竹田さんと違って業界の経験も無いですから」


 すでに店に向かう途中で竹田がイベント関係の仕事をしていて、数年前にリストラされたことを聞いている。


 なので宗雄は目の前にいる中年男性とは逆に自分が落ちるのではないかと思っていた。


「それもどうなんでしょうね?経験と言っても若ければこれから覚えていけばいいんですから、でもまあ同じ会社を受けるというのも何かの縁ですからお互いに頑張っていきましょう」


「そ、そうですね…お互い来年には笑っていたいですよね」


「……来年ですか、そうですね。少しくらい辛くても笑えるならそれは素晴らしいことですよね…それは」


 その後の会話はとくに当たり障りも無く、竹田は別の面接とあるというのでよく使い込まれた靴を引きずるように早々に席を立って行ってしまった。


 少し前方に身体を丸めた背中がなんだか哀愁を感じさせた。


「なんだか良さそうな人だったな~」


「甘い!甘すぎるぞ!」


 感傷的な独り言は後ろから放たれた声で断ち切られる。


「うわっ!卿哉じゃねえか、こんなところで何してんだ」


「それはこちらの台詞だ宗兄!」


 椅子の上に立ち、背もたれに片足を乗せてビシリと宗雄を指差す。 


「お行儀が悪いですよ、お兄様…それにしてもいくらお金が乏しいとは言っても少しはちゃんとしたものを食べてください宗兄様、こんな粗悪な代物で作った物を食すなんて…真里沙は心配です」


 すんすんと自身が注文していたうどんの匂いを嗅ぎながら少し責めるような瞳で真里沙が顔をしかめている。


「大きなお世話だ。お前らと違って俺みたいな庶民にとっては美味くて安くて最高の代物の一つなんだぞ」


 少し伸びかかったてんぷらうどんに箸を入れて一口すする。 


 やや味の濃い汁にプリプリとした感触のうどんが口内に心地よく、醤油ベースの香りがまた食欲をそそらせてくれる。


「それだ!それこそが甘いと言っているのだ宗兄!少し話しただけで気を許し、こんな場末の店で共に食事などして刺客に襲われたらどうする?いやもしくは腹でも壊したらって…うっ、うわっ!…」


「ったく、危ないだろうが…」


 興奮してさらに前のめりになって迫ろうとした結果、そのままバランスを崩して転げ落ちそうになった卿哉を宗雄が全力で受け止める。


 そのおかげで床に叩きつけられるのを守ってもらえても弟分の憤怒は収まらない。


「宗兄ともあろう人が、こんなところで一体何をしているのだ!貴方が居るべき場所はここではない!困窮しているのならば俺達のところに来れば…って痛っ!」


「店の中で騒ぐんじゃねえ…お騒がせしてどうもすいませんでした」


 卿哉の頭を軽く小突き、店内に居た他の客と店員に宗雄が頭を下げて謝罪する。


「…んっ、確かに騒ぎ過ぎたようだな、皆の者、すまなかった!って痛たたたっ!」


「そ・れ・が謝る態度か…他人のことを言う前にまず自分の無礼を反省しろ」


 グリグリとこめかみを両手で挟みこんで反省を促す。 昔から彼ら、特に卿哉が調子に乗り過ぎた際に教育的措置として彼がやっていた叱り方だ。


「…もうしわけございません皆様、兄が大変な失礼をいたしました。お詫びとしてこちらの支払いはすべて私達が持ちますので…どうか兄の無礼をお許しください」


「ちょっと待て!ずるいぞ妹よ!お前だってさっき散々…痛~!ご、ごめんなさい」


 お昼時の店内に若き少年の声が木霊する。



 あれからも卿哉が大仰(厨二的)に大声を上げるので、逃げるように二人を連れてその場を去った。


 くそっ、あの店お気に入りだったのに…。 もう行けないことになりそうだ。


 内心の愚痴をかみ殺しながら路上に止められたリムジンの座席に腰掛けながら対面に座る原因たちをにらみつける。


「それで?どうしてあんなところに居たんだよ?お前らは…」


「ふははは!宗兄の居るところに俺はどこにでも参上するのだ!それこそが兄弟の絆…痛たたた!」


「それで?実際のところはどうなんだ?」


「嫌ですわ宗兄様、私達、偶然お兄様があの庶民が職業を斡旋させてもらところ?から出てくるのをお見かけしただけですよ?」


「あんなところに一体何の用があるってんだ?お前ら俺をつけてたな?」


 ジロリと睨みつけると図星だったのか互いがバツの悪い顔で視線を交わしている。


「そ、そうだよ…宗兄こそあんなところで何の用があるっていうんだよ、仕事なら俺達が見つけてやって…」


 無言で腕を上げる宗雄に慌てて口を閉ざす。 やはり幼い頃からの躾は効果があるようだ。 しかしながらこの弟分の性格だけは矯正しきれなかったようだが。


「だからお前らに頼る気は無いって言ってるだろ?本当に困ったときはこっちから声をかけるから黙って見てろって」


「そういっていつも私達を頼りにはしてくださらなかったではないですか、大学に行く時だって勝手に決めて…学費だって自分で働いて少しだって私達に…」


「それくらいのことは皆やってんだよ、それを親でもないうえに年下になんか頼れるか」


「お、俺達は親ではなくても兄弟だぞ、血は繋がってなくても…宗兄だってあの時そう言ったじゃないか」


「…………」


 先ほどの傲慢な態度はすでに剥がれ落ちて、歳相応の口調になった卿哉が反論する。  


 真里沙も口には出さないが卿哉と同じ気持ちなようで、その柔和な顔を少し固くして宗雄を見つめている。 


「……何でもかんでも他人に頼っていくわけにはいかないだろう?それになんだかんだ言っても俺は年上なんだ。まだ中学生にもなってなかったガキになんか頼れるかよ」


「それは頼られる者に力が無いときだけです。私達には助けられる力があった。それならば困ったときに助力するのは当然ではないですか、ましてや私達は宗兄麻に救ってもらってばかりで…」


「そのお前らの力もお前達だけで作り上げた代物じゃないだろう?確かに助け合うことは良いことだとは思うが、どんなことでもまずは自分の力だけでやらなければ駄目なんだよ、いやそうしないと人間は駄目になる」


「…そうですか、それならば私が私だけの力で助けるのなら問題無いと仰るのですね」


「ああ、まあそうだな。お前らも数年したら高校卒業だろ?大学行くのか仕事をするのかは知らねえけどまずは社会に出て自分ひとりで一つだけでもやってみればいいと思うぞ、俺も人のことは言えねえがお前らが思っている以上に世間ってのは広いからな」


「わかりました。いずれ私一人の力でも宗兄様の助力になることをここで約束しましょう」


「ああ、そういう日が来るといいかもな。まあ、まだ学生のお嬢様に助けてもらえるようなことは無いと思うけどさ」


「とりあえず宗兄も妹も、私じゃない私達だ。ナチュラルに俺をハブろうとするな、しかし宗兄の言葉や良し!この有原卿哉、すぐにでも飛翔して宗兄の右腕となるような男に我が名にかけて誓お…ゴホッ、ゴホッ」


 大仰に胸に手を当てて不適に笑う。 だが気負いすぎたのか衝撃で咳き込んでしまう。


「しまらないですね」


「……ああ本当にしまらねえな」


「う、うるさい!とにかくいずれこの俺がいずれ宗兄の前に立つ!その時まで首を洗って待っているが良い」


「お兄様…それは敵対者に向けていう言葉ですわ」


「うるさいうるさいうるさい!とにかくいずれこの俺が兄の横に立ち並ぶということなのだ!」


「何でもいいよ…もう、まあとりあえず頑張れよ」


 言ってることや行動はともかくとして自分を慕っているということを見せられて少しこそばゆい感覚を誤魔化すように卿哉の頭を撫でてやる。


「よ、よせ…い、いつまでも子供…扱い…う、うむ~…」


 恥ずかしいのか顔を赤らめながらも、まんざらでもないのか態度とは裏腹に黙ってしまう。


「あら、良かったですわねお兄様。宗兄様、どうか私にもしてくださいな」


「ああわかったわかった」


「むぅ…なんだかお兄様よりもおざなりの気がしますわ」


 男である卿哉にするときとは違い可愛らしく育った少女にするのはさすがに恥ずかしいのだが、それを口にしてしまえば兄としての沽券に関わる。


「まあとにかく…だ、そういうわけだからこれ以上俺の邪魔はするなよ?」


「それではせめて壊れてしまったテーブルの代わりを…」


「それもやめろ!毎日帰るたびにテーブルの上を通れってのか」


「……わかりました。それでは宗兄様も忙しいようなので私達はここでお別れしましょうか?お兄様」


「むっ!そ、そうだな…兄よ、もうすぐ貴方の弟が右腕になるべく参上…」


「それなら私が左腕ということになるのかしら?右の方がよろしいですわ、だって宗兄様は右利きですから」


「だから最後まで言わせろ!少しは宗兄ほどではなくてももう少し俺に対する尊敬をだな…」


「え~、心外ですわ。こんなにもお兄様を尊敬なさっていますのに…」


「そ、そうか…それならいいんだが…」


 卿哉…、お前騙されてるぞ。 卿哉はなんというか直情過ぎなところがあるが真里沙は逆に一度捻じ曲がってから真っ直ぐになった感がある。 


 この妹分の恋人になるやつはかなり大変だろうな。 


 そう思い、まだ見ぬ彼女の未来の恋人に同情する。


「それじゃ俺は行くぞ…言わなくてもわかるだろうが明日もこの辺に現れたら…」


 降りようとしたところで思い出したように念を押す。 


「わ、わかってる…宗兄の邪魔はしないよ」


「ええ、それに私達、明日からは少し用事がありまして…宗兄様に会えないのが少し残念ですけれど…」


 心底残念そうな顔をする弟妹達に内心「明日は来ないのか…よかった」と安堵するがそれを表情に出さないで車を降りて扉を閉めた。


「あっ、忘れてましたわ。宗兄様、少しお待ちを…」


「あっ?なんだよ?」


 後部座席の窓を開けた真里沙に呼び止められる。


「宗兄様のお言葉を胸に刻み付けておきますわ…でもそれはそれとして…お兄様もう少し近くに」


「うん?何だよ?」


 秘密の話をするように麻里沙が手招きするので顔を彼女に近づける。


「それでも真里沙はまだ子供ですので完全に納得はいたしかねます。ですのでこれも真里沙の気持ちの一つですからよく覚えておいてください」


「うん?だから何を…」


「宗兄様の解らず屋! イ~!です」


 そういって普段のお嬢様然とした顔を崩し、まるで幼児のようにおどけた表情で宗雄に唇を開き歯をむき出して精一杯の子供っぽい憤りを見せる。


 その意外な行動に宗雄は反応できない。


 ポカンとして真里沙の顔を見ているだけだった。


「…少しスッキリしましたわ、運転手さん車を進めてください」


 車は静かに発進し、窓が閉まりきる直前に「その手があったか!俺も同じように…まて!まだ出発…痛っ~!」


 という声が耳に入ってきた。 


 兄とは違いおしとやかな妹分の行動にあっけに取られた宗雄だけがその場に残されていた。




「お兄様…先程の宗兄様の言葉をお聞きになりましたか?」


「痛てて…ああ、しっかりと記憶に刻み付けてるよ」


 無理に窓から顔を出そうとして誰かの差し出した足に躓いてしたたかに窓に頭を打ち付けた卿哉が言葉を返す。


「やはり無理強いはかえって良くなかったようですわね…別のプランを進めることにしましょう…どうしました?」


 誰もがうっとりするような仕草の真理沙を卿哉がジトーと睨んでいる。


「今日の作戦はお前だって賛成してただろう、なんで俺だけが怒られるんだ!それにさっき誰かが俺の足を払ったんだが…知らないか?


 キラキラとした大きな瞳に恨みを精一杯込めているが、それも…


「それは大変でしたわね、お兄様の足は長いですからきっとどこかに引っかかったんですのね…もう、お兄さまったらド・ジ・っ子さん」


 悪びれない態度で兄の額をコツンと白魚のような指で優しく突く。


 だが兄はまだ納得してないようなので、仕方なく別の話題を出す。


「そんなことよりもお兄さま、早く顧問弁護士の方に連絡をなさらないと…それに必要な書類も用意しませんと…私達の願いが遅れてしまいますわよ」


「……そうだな、それが片付いてから少し兄妹の会話をしようじゃないか…ええ?我が最愛の妹よ」


 矛先を変えさせることに失敗したことに内心で舌打ちをするがそんなことなどおくびにも出さず真理沙はにこやかな表情を崩さず、


「ええ、そうですわね。兄妹水入らずでじっくりとお話しましょう…この件が片付いてから…ね」


 そう言って車内に取り付けられている電話を兄に手渡すと、兄もまた気を取り直したように一度「ゴホン」と咳き込むと、


「ああ…私だ、明日法務局に行くから必要なことを頼む」


 兄の外向きの声色を聞きながら真理沙は窓の外を見る。 


 日は未だ高く、夕方というには少し早い。 


 その空を窓越しに見上げながら、彼女は一人心の中で呟く。


 もうすぐですわ宗兄様、お兄さまが言ったように私達の力で貴方の傍にいま向かいますからね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る