第7話 追憶の夢 壊れた家庭

眠りの中から、父の声が聞こえる。芯が強くてよくとおる声なのに、どこか後ろ暗さが後をひくような父の声。夢の中でもすぐにわかった。




「ゼン。いいか。治療は観察だ。患者の話を聞いて、それにあった薬をつくるんだ。そのために必要なのは知識と技能だ。人を助けたい気持ちだけでは人は治療できない。」


「うん。父さん」


少年の頃のゼンが答える。それに習うようにカチュアも答える。


「うん、パパ。わかったの。」


ゼンの父は錬金術師だった。もとは他の土地で錬金術の仕事をしていたそうだが、何かのきっかけで流れ、その村に居着いたらしい。ゼンの父は細々と錬金術を営みながら、怪我人や病人のための薬を作っていた。


母はこの村の生まれで、流れ着いた父と懇意になり結婚したそうだ。母は父をよく助けたが、父の腕を見込んででもっと大きな街で仕事を広げたがった。父は、この村で生計をたて、自分の手の届く範囲の人々を助けていきたいと考えていた。


ふたりの意見は常に噛み合わず、そのことで夫婦喧嘩をしているのを何度かゼンは耳にした。


ゼンも大きな街に出たいとは思ったが、生まれ育った村を出るのは怖かった。カチュアにいたっては、この村が好きだから出るのも嫌だったろう。


しかしゼンが12歳のとき、転機がおとずれた。




「戦争がはじまる。これからは多くのけが人が増える。この村もけが人が運び込まれるぞ」


ある日、父は村の会合から帰ってくるなり、家族にそう告げた。母が明らかにイヤな顔をしたのを、ゼンはよく覚えている。なぜなら、戦争が始まる前からこの家は、まるで戦場にいるかのようだったから。


父は治療法の研究を深めるために、人間の死体やその一部をどこかから持ち帰り研究していた。ゼンとカチュアも死体研究の手伝いまではしなかったが、書籍の整理や錬金材料の買い出しを手伝った。


あれだけ父の仕事を手伝い良き妻であった母は、いつしか父の仕事に対して露骨な嫌悪感をあらわにし、父の仕事を手伝うことは品君あっていた。父も、そんな母の気持ちをくんで、それ以上何かをいうことはなかった。


そして戦争がはじまると、村にはたくさんの怪我人が運び込まれた。父は、はじめのうちは錬金術師として病院に通いつめたが、次第に患者やけが人を家に運び込んで治療にあたったりするようになった。それも、怪我人の治療をしているうちは良かった。


次第に、回復の見込みのない怪我人を運び込んだり、欠損が激しい死体を運び込み、人体の研究に没頭し始めた。父の狂気の始まりだったのかもしれない。


薬品と薬の匂いが充満していたゼンの家は、いつしか腐臭と死の匂いが漂うようになった。


身の危険を感じた母は、離れの家に子どもたちを連れて避難するようになった。そうして、母の神経は限界に達し、ある日それは激昂にかわった。


「もう我慢できないわ!こんな死体の研究なんてまっぴらごめんよ!」


妻の部屋を引き裂くような金切り声が響き渡る。父も怒鳴りながら反論した。おとなしい性格の父にしては珍しいことがだった。


「もっと現実をみろ!傷ついている人がいるんだ。そのための研究だぞ!」


「なにが研究よ!あなたがやってるのは死体をちぎって貼ってるだけのネクロマンシーじゃない!」


「なんだと!!おまえってやつは!!」


父が顔を真っ赤にして怒鳴る。母が金切り声をだす。


「わたしの心は?こどもの心は?あなたは研究や死体いじりが大事でしょうけど、わたしたちは生きてるのよ?生きているあたしを、こどもを見てよ!せめて人間らしい家庭で暮らしたいの!」


ゼンとカチュアは子供心にこれから何が起きるのかわかっていた。わかっていたが、父と母の前に泣いてすがることもできず、子供部屋に逃げて二人で震えていた。豹変した父と母も怖かったし、地下にある不気味な死体やうめき声のする怪我人たちも怖かった。


その翌日、母が家から消えていた。




「父さん、母さんがいない」


ある朝、シーンと静まり返ったキッチンを見て、それからテーブルに座り本を読む父に語りかけた。父は本を読んでいるようには見えなかった。


「そうだな。」


父が興味もなさそうに答えた。


「探さないの?」


ゼンはか細い声で尋ねた


「そうだな。」


いくら待っても次の言葉はかえってこなかった。


「・・・」


父さん、探しにいこうよと口に出しかけたその時、待っていた父の言葉が出てきたが、それは味気ない一言だった。


「もう。帰ってこないとおもうよ」


ゼンはさめざめと泣いた。いつかは来ると怯えていた結末に。そして、母が自分とカチュアを連れて行ってくれなかったことに。でも、なにが正しいかは判断できなかった。ひとつだけ薄ぼんやりとわかったのは、母は逃げたかったのだということ。父から、地下室から、いやこの田舎の村から。


「ゼン、カチュア。何かを失うのはつらいな。父さんはな、手や足を失った兵隊さんが悲しそうな顔をしているのが辛かったからこんなことを始めた。でもその結果、父さんは何かを失った気がするよ。冷たい体や血を触り過ぎたのかもしれない。ぬくもりや暖かみを失ったら、それはもう人間じゃないのかもしれない。でもな、父さんはもう戻れないのかもしれないな。」


ゼンもカチュアも泣いていた。優しかった父は、今はもう見る影もなくやつれてげっそりとしていた。それでも地下の研究室に降りていく父の背中を目にしながら、ゼンは胸がこみ上げた。


「ぼくたちがいるよ。そばにいるんだよ!見てよ、父さん!」


父は振り返らなかった。なぜなら父は、兄妹をもう見ていなかったから。



父は、母を探すこともなく、自室に数日こもった後、地下の研究室に戻り研究を再開した。いっそう、父は治癒薬の研究にのめり込んでいった。


母を求めて泣きさけぶカチュアをなだめるため、ゼンは涙をこらえカチュアに笑顔を注いだが、カチュアは泣き止むことはなかった。


その数年後。ゼンが17歳、カチュアが14歳の時に村が襲撃された。



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