ディフェンス・オン 05


 二度の衝撃に脱線こそしなかったものの、ブラックホースの機関室では隣から発生した激しい震動に、中に居た人間達は平衡を失い、床や椅子などの上に倒れていた。


「っく……何よ今のは……」


 悪態を吐きながら床に手を付くモニカに、先に態勢を戻していたキースが囁くような声で彼女に話しかける。何をするでもなかったが、その体は不穏な空気に痺れを感じている。

「な、何かやばい感じだぜ、モニカ……」

 その表情は、初めて幽霊リンジーを見た時のように引き攣っている。

「今の、かなり近くねえか……? 嬢ちゃん(マリアベル)の彼氏は大丈夫か……?」

「……シルベスター」

 その言葉を呟いた刹那、マリアベルの姿はブラックホースの操作盤の前には無かった。

「あ、ま、待てマリアベル!!」

 機関士達が止まる間もなかった。見せた事もない速さで機関室の扉を開放すると、マリアベルは隣の車両へと飛び出した。



 白きお伽噺の騎士はぎしりと首の関節を動かすと、自分に対し言葉を漏らした青年をその鋭い眼で眺めた。


「卿ハ――――」


 軋むような声だった。古い機械が錆ついた部品を動かそうとする様な擦れた音が、美しい鎧の中から発せられる。


「卿こそは、何カ」


 何か、と。自分の目するものを確かに認識しながら尚、騎士は存在の形その物を問い掛ける。


「卿の疑念ニ我が答えシ故ヲ述べよ」

「……敵、だよなぁ、これは……」


 滔々と流れる言葉に若干混乱するシルベスターだが、これが味方でない事は明らかだった。既に手に馴染んできたフライパンを再度握りしめる。――その時。


「シルベスター!」


 バタンと大きな音が響き、機関室の扉が開け放たれた。その奥から姿を現したのは、不安に表情を陰らせたマリアベル。


「やめなさいマリアベル!!」


 機関室側からモニカが少女の腕を掴み引き戻そうとするが――それはもう手遅れだった。


「――ヘパイストス」


 新参者の姿を燃える紅蓮のような目に焼き付けた騎士が、その名を呟く。それまで無感情だった騎士の声に、初めて熱の様なものが浮かんだ。

 騎士は注意をシルベスターからマリアベルへと移し、少女の方へと近付く。


「っ、待て!」


 横を通り過ぎる騎士に、シルベスターが慌てて振り返る。シルベスターの声にそれは足を止め、首甲に覆われた頭部だけを回して彼を制止したモノを見る。


「おい、止せ」


 バートラムが囁くが、止せと言われて止めれる位なら、とっくにこんな所に居はしない。シルベスターは挑むように、騎士へと黒い鉄塊を突き付ける。


「そのナントカナントカって呼び方は……こっちの軍人と同じ目的って事で良いんだよな。それなら先ずはこっちに話を通してくれないと」


 騎士は、己の敵らしき青年を静かに眺めると、彼と比べると防具もなく、武器も貧弱なその青年に対して、提げた巨刃を抜き放った。


「――了解シた」


 短く返答すると、瞬間、巨体に似つかわぬ速さで騎士は白銀に煌めく刃を振るう。


「大佐ぁ! これ借りるぞ!」


 咄嗟にバックステップを取ると、シルベスターは床にあった、半分に折れたバートラムの剣を拾い上げ、振り下ろされる騎士の一撃を防いだ。

 ――ガギィン!

 鋭い音を立て、二つの剣と剣が交わる。上から押し付けられる質量と加重に、シルベスターの膝が沈む。――だが、何とか耐えきった。即座に次の攻撃に対処するべく、シルベスターはぎりぎりと攻撃を凌いでいる折れた剣の柄を握り直し――


 突然に。その刃が、音も無く二つに割れた。


「――――え」


 完全に防ぎきり、確かに止めたと思った。いや事実止まっていた。だが、そんな事実は初めから無かったかのように、シルベスターを守っていたたった一本の砦は静かに落ちる。


 そして――その侭、掛る力はその指向ベクトルに従い、シルベスターの体に切り付けた。

 青年の名を呼ぶ少女の声が響く。鮮血を赤く散らし、青年の体は後ろへと倒れる。

 その様子を最後まで確認する事もなく、白い騎士は叫ぶ少女に近付き、その腕を掴んで引き上げた。


「放しなさい! シルベスター、シルベスター!」


 マリアベルは強くその白光の鎧を叩くが、それはびくとも動く事は無く、寧ろ少女の手の方が赤く腫れ上がっていた。騎士はそんな少女の抵抗に注意を払う事もなく、ただじっとその姿を観察していたと思うと、もう十分だと、何かを得た様に軽く解き放った。


「シルベスター!」


 すぐさまマリアベルは倒れたシルベスターと、膝を着いて彼を介抱するバートラムへと駆け寄った。


「動かすな、今は道具が無いからこれで我慢してくれ」


 過度の出血の為か、シルベスターに意識は無い。止血の為に傷口に当てられたシャツが、見る間に鮮やかな緋色へ染まって行く。


「シルベスター……、ごめん、ごめんなさい……私がもっと……」


 ――もっと強ければ

 ――もっと役に立てば


 浮かぶ言葉は尽きず、けれどそれは声にはならない。己の無力感に苛まれながらマリアベルは力の無いシルベスターの手を握る。すると――それまで動く気配の無かったシルベスターの指が、少女の手を握り返した。


「シルベスター……!」


 青年の意識が戻った事にほっと胸を撫で下ろし、マリアベルは憂いだ表情を和らげる。その頬を、シルベスターのもう片方の手がそっと撫でる。


「……ごめんマリィ、負けた」


 その声は、怪我の具合に見合わぬ位に何時も通りの、申し訳なさそうなものだった。


「出来れば、まだ泣かないで欲しいんだけど……」


 その間の抜けた返事に、泣きそうな顔で、馬鹿、とマリアベルが呟いた。

 二人の遣り取りを背にブラックホースを眺めていた騎士だったが、暫くすると何処かへ向かおうとその鎧の体躯を動かす。


「――お待ち下さい」


 立ち去ろうとした騎士に、バートラムが呼び掛ける。その声に、初めてその存在に気付いたとばかりに、重厚な騎士はバートラムを視認する。


「お初に御眼に掛かります、閣下」

「卿は何者であるカ」


 何処までも高みから、騎士は尋ねた。バートラムも逆らう事なく飽くまで恭しく接する。


「帝国都市治安軍第三隊、バートラム・ザック・ノエルと申します。貴方は――我が帝国都市の王、そうですね」

「如何にモ。我は帝国都市を治メる者でアる」


 ――矢張りか。バートラムは表情を動かさずに納得する。噂だけでは聞いていた。唯一の帝政都市である帝国都市の王は、常にその身に真白の鎧を纏っていると。だが、これは――


「閣下。不遜ながら尋ねさせて下さい。貴方の様な方が何故、こんな前線にまで訪れて彼女を欲するのか」


 そう言って、バートラムは真っ直ぐに騎士の紅の眼を見る。


「教えて頂きたい。彼女が、我が故郷にとってどのような益を齎すのか」


 バートラムにとっては、それは非常に真摯な問いだった。だが、返ってきた言葉はそれを一笑に付すものだった。白き騎士は微動だにせず、バートラムの言葉を切って捨てる。


「都市等には関ワり無き事」


 当然の様に、何を偽る事すらなく、淡々と鎧はそう告げる。


「都市等、我が仮初ノ時を過ごす為のモの。今となッテは大事に値ワず。後は卿等が好きニ扱うト善い」


 そう言って、これ以上話す事は無いと、立ち尽くすバートラムを残して騎士は自身が破壊した屋根の上へと再度舞い上がる。そして重い音を立て、この列車の機関部分、己が身と正反対の漆黒を纏うブラックホースの動力部へと足を付けた。


「ちょっとアンタ! ブラックホースにまで何するつもり!」

「も、モニカ今は……!」


 怒鳴る機関士の声も、矢張りその耳に聞こえないかの様に、騎士は足元のブラックホースを眺め一人ごちる。


「久シいな、ヘルメース。まさかオマエと邂逅しようとは」


 軋んだ声に僅かな感情が滲む。名も無き騎士は走り続けるブラックホースの進む先を見る。只管に先の見えない橋が続くように思えたが、その遠く先には、白く立ち込める霧があった。


「老いた身にシテは疾く駆ける。善き主を得タか」


騎士はゆっくりと、多くを貫いたその巨大な白刃を引き抜く。


「だが――未だ足リぬ」


 誰にともなく溢された言葉の後に、騎士はその等身に並ぶ巨剣を大きく振り上げる。陽に眩しく輝くその姿は、正に光の剣とも言うべき物で。ブンと刃が風を切る音、そして――


 ――その白き刃は、ブラックホースの機関エンジンへ突き立てられた。


 幾つもの金属が拉げる音、そして直後に悲鳴の様な駆動が響く。けれどブラックホースがその鼓動を止める事は無かった。寧ろ、何をしたのかその勢いは更に増し始めている。


「我が助勢シよう、旧き友よ。卿の欲すまま、かつての如く走り抜ケルが善い!」



 先頭車両での事態を知らない後部車両では、バレルが漸くある程度の自己修復を完了させ、休止状態スリープモードから回復した所だった。


「あ……良かった、バレルさん……」

「――……ミス・ハーティ」


 機械の瞳孔を明滅させ、バレルは心配そうに彼の顔を覗き込む給仕の名前を呟く。

 ブラックホースの乗務員と軍人達との戦いは今は休戦状態だった。それどころの騒ぎでは無いと、双方が認識したからだ。バレルが機能を停止させている間に、場は人数分の座席の確保出来る大部屋へと移っていた。


『バレル。何が起こっているのか説明して貰えるな』


 無断で路線を変えたバレルの行動を咎める事はせずに、ベンジャミンは説明を求める。

 予定していた右側の分岐とは違い、何処までも長く続く橋の道に、幾人かは訝しげな表情を浮かべていた。


「こっちには何があるっていうの?」

『解らん。ブラックホースが所有する線路は都市部近郊以外にも数多に伸びている。ワタシも全ての路線に入った事はないのだ』


 ベンジャミンの返答に、リィンは大きく溜息を吐く。所有者のベンジャミンが知らないという事で、車内には重い空気が漂う。しかしそこに、自駆機械オートマタがぽつりと合成音を発する。


「――この先には……」


 訥々と紡がれる自駆機械オートマタの言葉に一斉に車内の全員の注目が集まる。


「この先には……何もありません。都市も、森林も、湖すらない何も無い荒野――」


 ――ただ一つの物を、除いては。


 ◆ ◆ ◆


 走る。走る。


 その漆黒の機関車は操者の指示すら振り払い、ひたすらに風を切り続ける。何時の間にか、その周囲は白い霧に覆われていた。自分が乗る線路すら見えない程に立ち込める微少の粒子の中、ブラックホースと名付けられたそれはひた走る。


 その行く末を知る者は、この列車に乗る二つの鋼鉄だけだ。


 ――どの程度走り続けたか。永遠に続くかと思われた白の世界は、やがて徐々に途切れて行った。確かに薄まりつつある霧に、体の動く幾人かは窓を開け、ブラックホースの前方を見ようと体を乗り出した。


 そこには、長い長い橋の終わりがあった。

 ぽっかりと口を開けた巨大な渓谷は終わりを告げ、彼等の先には横たわる新たな大地が姿を現している。そこは、荒野だった。遠目に見ても草木の僅かな土の大地。だが、彼等が目を引き付けられるのはそこではない。


 ――その何も無い世界の中央で、天を貫く、一本の塔。


 それは一本の円柱だった。余計な凹凸など何一つない、垂直の建造物。遠くから見ても、その上方は雲に隠れ終わりが見えない。その圧倒的な存在感に人々は目を逸らす事が出来ない。


 この橋を終わりまで駆け抜け、この土地の存在を知る者は一体世にどのくらい居るのだろうか。少なくとも、ブラックホースに居る人間は誰一人として、橋の向こうの未知の世界の事など聞いた事が無かった。


「――……キたか」


 騎士はブラックホースの鼻先に立ち、真正面に聳えるその塔の全てを見る。

 列車は未だ橋の最後には辿り着いておらず、塔への距離は更に果てしなかったが、ここまで来れば彼にとっては充分だった。


 騎士はブラックホースの車体から離れると、再び先頭の客車へと舞い戻り、重傷のシルベスターに付き添い続けるマリアベルを抱え上げた。青年が何事かを呻くが、それ以上の事は出来ない。彼を妨げるものはもう何もなかった。誰に阻まれる事なく、騎士は背面に装備した噴出口を作動させ、橋の上空へと飛び立つ。


「~~~~っ、は、な、して……っ!」


 落下も厭わぬと抗うマリアベルだったが、金属の冷たい腕は少女を固定した形の侭微動だにしない。高く舞う騎士は、剣を携え、眼下に走る黒い機関車を見る。


「……用は終エた。卿に咎無きが、さラバだ、友よ」


 言葉の終わりと共に、騎士の推進装置が熱を吐く。少女を抱えた侭、白き鎧は激しい水流が渦巻く橋の下へと潜り込む。そして――騎士の持つ白光を放つ刃が、巨橋を支える柱の一つを打ち砕いた。


 存在の根幹を破壊された橋は一溜りも無かった。砕けた箇所から過度の負荷が掛り、徐々に広がった亀裂から柱が崩壊して行く。その真上に差し掛かっていたブラックホースは当然、その影響を直に受ける事となった。

 支柱を失い、部分的に崩落を始めた橋と共に、ブラックホースの全体が傾ぎ始める。


「く……っ……!」


 重力に従い横転する車両の中で、バートラムは負傷したシルベスターを抱えながら車内から放り出されないように廊下に渡された手摺を掴む。

 機関車両や後部車両でも同じく皆何かに掴まり、また誰かを支えて居たが、下は奔流、とても助かる望みなど無い。終に一連の列車達は橋と共に完全に足場を失い、真っ逆さまに落ちる。


 大重量故の重力加速度で、轟風が窓硝子をビリビリと揺らす。底冷えするような重力感にもう駄目だと全ての者が諦めた時。

 ――ぴたりと。その落下の感覚が止まった。


 初めは恐怖故の無感覚に突入したのかと思った者も居た。けれど、その状態がずっと続く中、不審げに周囲を見渡す。

 何かに引っ掛かったにしては衝撃が無く。天国にしてはどう見ても辺りは列車の侭で、そこらに先程まで座っていた椅子などが転がっている。誰にもその理由が解る筈がなかった。


 何故なら、ブラックホースは落下した姿勢のまま、からだ。


「ふんんぬぬぬぬぬうううう~~~~っ!」


 その現象の原因は、ブラックホースの上に身一つ、ふわりと浮かびあがっていた。半透明の姿に、空の青を透かした一人の影。


「わ、私だってっ! 皆の役にっ、ふんっ、立てるんだからあっ!」


 華奢な体躯に何らかの力を精一杯込め、その幽霊は細い声で叫ぶ。


「リンジーさん!」

「リンジー! あんたやるじゃない! この馬鹿!」

「うわっ、何あれ幽霊!?」


 不思議な光景だったが、確かに列車の位置は徐々に上がり始めていた。ゆっくり、ゆっくり。

 初めは微々たる動きだったが、ブラックホースからの声援や、驚きの声などに支えられ――その漆黒の機関車は、無事に新たな陸地へとその車輪を踏み入れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る