第5話
さて、初日の活動は、方針と日程を決めて終了した。
週三回、月水金の放課後。それでも、ちょっと多いな、と貫行などは思ったのだが、泉美が早々と了承の意を示してしまい、断れる雰囲気ではなかった。
まぁ、用事があったら、参加しなければいいだけだし。
それはいい。
それはいいのだ。
で、だ。
「どうしてこんなことに」
オシロスコープを抱え、旧校舎を出たところで、貫行はため息をついた。
百人一首研究会を終えて、さぁ、帰ろうと思ったところで、貫行は平野先生に呼び止められた。
何でも、片付けがいくつか残っているとのことで、それを手伝ってほしいと頼まれたのだ。面倒だからと断りたかったが、さすがに女子に任せるわけにもいかず、渋々承諾したわけだが。
オシロスコープ、重!
直方体の形状で、ディスプレイといくつかのボタンがある。見かけも小さくはないが、中身が詰まっているのだろう。重量感がすごい。
これを新校舎の特別棟に運べというのだから、平野先生もなかなか鬼である。
運動部だからといって、貫行は怪力というわけではない。むしろ自転車に使う筋肉以外、常人よりも非力なのではないかと思っている。
ゆえに、既に腕が痺れてきた。
このままの状態で、特別棟まで運べるか非常に不安だ。
しかも。
「なぁ、中学で百人一首やってたって言ってたけど、百首全部覚えてるの?」
「……」
隣で赤毛を揺らして歩く女子は、ガン無視して音叉の入った箱をガラガラ鳴らした。
さいですか。
平野先生は、片付けにもう一人指名した。泉美と千秋は、用事があると辞退して、残ったのが赤毛の女子、高峰白妙だった。
もちろん白妙も拒絶したが、泉美達に先に抜けられた結果、強くは断りづらかったようだ。なんやかんやで受け入れてしまうところを見ると、意外と押しに弱い性格なのかもしれない。
泉美と千秋は既に帰宅し、平野先生は、まだ掃除するところがあると、物理準備室に残っている。結果として、貫行と白妙の二人きりの状態であった。
これは意外と言われるが、貫行は、会話がない状態を気まずく感じる。
空気読めない男であることは、貫行自身が認めるところだが、二人きりとなると話は別である。複数人いれば、誰かがしゃべればいいと他人に責任を負わせられるが、二人きりだと否応なく自分に責任の一端がふってくる。
だから、なんとか話しかけてみたわけだけれども、予想通り、塩対応、いや、空対応であった。
まぁ、求められていないのであれば、それ以上、無理強いするつもりもない。
貫行は、オシロスコープを持ち直して、新校舎の特別棟への扉をくぐった。
「どうしてあの研究会に入ろうとしたんですか?」
つぶやかれたとき、貫行は、その問が自分に向けられていると気づかなかった。白妙はそっぽを向いていたし、まるで独り言のように唐突だったからだ。
「平野先生に誘われたからだよ。さっきも話したけれど、昨年度に入っていた部活がなくなっちゃってね。ちょうど探していたんだ」
貫行が模範的に回答すると、
「百人一首のことなんて知らないくせに」
白妙はなかなか辛辣に毒づいた。
「まぁ、そのとおりだね。はっきり言って興味はない。でも、この学校は、どこかの部に入らないといけないからさ」
「他のところにすればよかったのに」
「他でもよかった。正直、他よりも興味があったわけでもないし」
というより、他も含めて等しく興味がなかった。
「ただ、何度もいうように平野先生に誘われたからね。どこでもよかったから、ここでもよかったという理由かな」
「主体性のない人」
なかなかに急所を攻めてくる娘である。
「あんたが入らなければ、研究会はできなかったのに」
なるほど。部の最小構成人数は、四人であり、貫行が断っていれば、百人一首研究会は発足することはなかった。さすれば、白妙が、この研究会に拘束されることもなかったというのである。
いわんとすることはわかるが、逆恨みも甚だしい。
「どうかな。僕が入らなくても平野先生は別の誰かを入れていたと思うけど」
「……」
「それにやめたければ、やめればいい」
もう高校生なのだから、誰に何を言われているのか知らないが、どの部に入るかなどは自分で決めればよい。
「それができれば!」
思わずといったふうに、白妙は声を荒げたが、すぐに我に返った。
「それができないから、あの研究会に入ったんです。そのくらいわかってください」
わからないな。
口にこそ出さなかったが、貫行は、白妙の行動がやはり理解できなかった。その上で、彼女の理由を聞こうとは思わなかった。そこまで踏み込むほどの仲ではないし、そもそも、どうせ聞いたところで理解できないだろう。
「まぁ、事情はわからないけれども、入らざるをえないのだったら、いかに研究会を楽しむかを考えた方が有意義じゃないか?」
とりあえず、それらしい助言をしてごまかしておいた。
だが、その言葉が白妙の心に響くことはなく、むしろ、鼻で笑われた。
「楽しむって、かるたは楽しむものではないでしょ」
……いや、楽しむものでしょ。
え? 違うの?
貫行が戸惑っていると、白妙は続けた。
「かるたは戦略と反応の速さを競う立派な競技です。仮に楽しむところがあるとすれば、試合での勝利。決して和歌に浸るものではありません。研究会というのであれば、その活動では、戦略性や速さの特訓をするべきでしょ。血反吐を吐くほどに」
……それは嫌だな。
先程も感じたが、この娘のスポ根ぶりはホンモノのようだ。
ただ、百人一首を、かるたを毛嫌いしているふしがあるくせに、それについて話す素振りは、むしろ嬉しそうで、たいへん饒舌な口ぶりだった。
聞いたかぎりでは、おそらく中学のとき所属していた百人一首の部活動で、そのような熱血とした活動をしていたのだろう。
その活動が辛かったから、高校ではやめたい、という筋書きが自然だが。
「なるほど、そういう意見もあるかもしれないけれど、スポ根はしないって、今日決まったからね。君も、とりあえず競技のことを忘れて、百人一首を楽しんでみたら」
彼女一人が、そうあるべきと望んでも、実際にそのようなスポ根的な活動となることはないだろう。状況を変えられないならば、自分を変えるべきだという意見だ。
それが嫌ならば、やめたらどうか。
とまで言ってやる義理は、貫行にはない。
話している内に、いつの間にか特別棟の物理実験室にたどり着いていた。貫行は、平野先生から預かっていた鍵を使って中に入った。適当に机の上に置いておけばいいという依頼なので、貫行はその通りに一番手前の机にオシロスコープを置く。
追って実験室に入ってきた白妙は不快そうな表情を浮かべていた。
貫行の言が正論だと白妙も解したのであろう。だが、納得はしていないようで、彼女は箱を乱暴に机に置いて、中の音叉をがらんと鳴らし、ふんと顔を背けた。
「……百人一首なんて知らないくせに」
ごもっともであった。
「まぁ、そのとおりだけど」
「知ったふうな口ぶりで、偉そうに説教なんかしちゃって。自分だって興味ないのに入っているくせに。楽しもうとか、ぜんぜん矛盾してるし」
「まぁ、それに異論はないけれど、誰かさんみたいに、どうにもならないことをうじうじ悩んでいるよりも、理知的だと思うんだけどね」
おっと、言い過ぎたかな。
さすがに鬱陶しくて、言い返してしまったわけだけれども、無用な諍いを招いてしまうのではないかと貫行は心配した。
白妙の方を見ると、ぷるぷると震えてこちらを睨んでいる。
「あんたなんかに、あんたなんかに言われたくないのよ!」
音叉が反響するほどに大きく吠えて、ごんと机を蹴り、白妙は実験室を駆け出ていった。
どうやら、心配は現実のものとなったようだ。
「はぁ」
貫行はため息をつく。
どうか無関心で淡白な人間関係であってくれ、と願っていたわけだけれども、初日から、その希望はあっという間に瓦解して、なんとも面倒な感じに拗れてしまった。
状況を変えられないならば、自分を変えるべきだ。
「僕がやめよっかな」
そう思う、春の日の夕暮れであった。
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