「今日、この人に、俺はプレゼンをする」第20話『ラブ・アクチュアリー』

 夏の熱は続く。晴れやかな日曜日はなおさらだ。


 こういう日は屋内で待ち合わせをするのがいい。


 ちょうど阪急梅田駅の建物内には、待ち合わせにいい場所がある。


 巨大なモニター『ビックマン』の前だ。目の前は広場。それにモニター下には紀伊国屋書店があり、早くに来ても並べられた書籍の表紙を眺めるだけで問題なく待てた。お店から出てくる冷気も非常にありがたい。



 ただ、今日のアキトシはスーツ姿で直立不動だ。紀伊国屋の恩恵を楽しむ余裕はなかった。


 心臓の鼓動が慌ただしくて仕方ない。


 まだ待ち合わせの相手――大鳥紗理奈は現れていないのに。


 当人が来たら心臓発作で死ぬ可能性が微粒子レベルで存在している。


 今日は、企画会議というなのデート。


 大鳥紗理奈に無理を言って付き合ってもらう。


 本当は仕事があるそうなのだが、朝方に片付けて来てくれるのだとか。


 正直、告白をするようなシチュエーションではない。


 本当はもっとこう、夜のお洒落なレストランでとか、別のロマンチックなシチュエーションを作るだとか……


 フラッシュモブの人たちを雇って劇的なシーンを作るというのもやってみたかった。


 けれど、やっぱりお金がない。


 大鳥にいたってはミニシアターの経営で忙しいらしく、時間がないらしい。


 この機会を逃すと次は二週間後になるかもと言われたのだ。


 本当は待つべきだと思う。


 できればクリスマスが良かった。


 クリスマスは本当の気持ちを話す日だから。


 しかし、クリスマスは三ヶ月ほど先だ。


 それこそ待っていられない。


 ともかく、プレゼンをする。


 すべてを失うか、すべてを得るかの大博打。


 これがダメなら……少しは自分に絶望できるだろう。


 そうすれば、七谷に燃やしているライバル意識も少しは落ち着くかもしれない。


 映画監督になることを急がない落ち着いた大人になれる気もした。


 ――なんだ、失敗したって、メリットはあるじゃないか。


 自嘲気味に俯いて微笑む。


 心臓の音も小さくなった。


「なにか面白いことでも思いついたんですか?」


 と、いきなり視界に大鳥紗理奈が現れた。


 小走りで突撃し、覗きこんできたのだ。


 心臓が破裂しかかった。


「お、おっ!?」


「お?」


「お、おはようございます」


 頭の中は完全に破裂していたらしい。


 ちょうど昼の一時になったと言うのに朝の挨拶はない。


 ただ、大鳥はクスクスと笑って「おはようございます」と返してくれた。


「ご、ごめん。ちょっと驚いて頭がバグったみたいで」


「カセット、フーフーしなきゃですね」


 ファミコンのネタだ。確かに四歳、五歳くらいの頃、ファミコンのカセットを本体に指してもゲームができなかったとき――バグを出したときに差し込む部分に息をかけた覚えがある。


 カセットを取り換えるように、人格が取り替えれれば、こんなに緊張しなくて済むのに。


 そんなことを考えて苦笑いしてしまった。


「さて、どこで企画会議しましょうか?」


「あ、えっと、ランチやってるイタリアンレストランがあるんだけど、そことかどうかな……?」


「いいですよー、お任せします」


 キラキラした笑顔。


 瑞々しい瞳。


 可愛らしい唇。


 ――今日、この人に、俺はプレゼンをする……


 改めて胸の奥がドキドキと大きな音を立て始めた。


 お店の場所は梅田駅から北の方向。


 LOFTや丸善&ジュンク堂がある近くのビル三階にあった。


 エレベーターでしか入れない上に、エレベーター自体が目立たないので少し見つけづらいが、女性に人気のお店らしい。


 ロケーションを探していて見つけたのだが、アキトシも行くのは初めてだった。


 お店の中に入ると、まずは細い通路。右手は大きな窓なので梅田芸術劇場の近くが見られる。そこを抜けると、下の方にフロアが広がっていた。


 通路の先にもソファー席がある変わった配置のお店だ。少しだけキャバクラっぽいなとも思ってしまった。


 けれど、釣り下がった逆さ涙型の照明や黒を基調としたシックな店内、それに合わせた細目の椅子に木目調の美しいテーブルがお洒落だ。


 意外に当たりだった。


 しかもメニューを見て初めて気づいたがランチはパスタを頼むとサラダヴァイキングがついてくるらしい。


 下調べが甘かったのを痛感したが、結果オーライだ。


 大鳥も喜んでくれていた。


 下フロアの奥の方に落ち着くと、さっそくメニューの相談に。


 アキトシは『手長海老のトマトクリームソース』を、大鳥は『カルボナーラの明太子トッピング』を生パスタで頼んだ。


 店の中央にある島から、飲み物とサラダを好きなようによそうと、さっそく大鳥が切り出してきた。


「それで、企画が進んだんですか?」


 子供が大好きなものを目の前にしたような瞳で見られる。


 思わず目をそらしたくなったが、ぐっと我慢して視線を合わせた。


「進んだ、と言えば進んでる」


「ほんとですか、楽しみです!」


「けど……」


「あれ、なにかまずいことが?」


 どんどん心臓の音がでかくなっていく。


 このままの流れで話していいものか?


 まだ、席について間もないのに?


 もうちょっと雰囲気を作らなくていいのか?


 一世一代の大勝負を気軽に話していいのか?


 その前に、本当に『あのこと』を持ち掛けるつもりでいるのか?


 様々な疑問が浮かびあがる。


 その中で確信があるのは、目の前の人が好きだという気持ちだけ。


 アキトシは野菜ジュースをあおった。


 けれど、勢いをつけすぎたせいか、思わずむせてしまう。


「わっ、大丈夫ですか?」


「ご、ごめん、だ、大丈夫、大丈夫……」


 本当に大丈夫なのか自分の心を疑った。


 怖い。


 この数分後に、彼女は目の前からいなくなっているかもしれない。


 怖い。


 彼女がいなくなることが。


 怖い。


 自分を否定されることが。


 怖い。


 ……夢が破れてしまうことが。


「大丈夫ならいいんですけど……」


 微笑んでくれる。


 なぜ、この人はこんなにも優しいのだろう。


「……大丈夫、じゃないかもしれない……」


 甘えた一言。


 けれど、それは出発点。


 ついに、切り出したと、自分で思った。


 引き返す選択肢はない。


 行くときは、行かなければならない。


「えっ、背中とんとんしますか!?」


 本気で心配してくれている。


「違う違う。咳こんだことじゃなくて……企画の方」


「え、でも進んでるんじゃないんですか……?」


「うん。進んでるのは進んでる。撮りたいものも見つかった。君に主演してもらうことも決まってるし、順調だと思う」


 大鳥は視線を上に向けた。考えているらしい。


「だとしたら……資金面ですか?」


 ずばりその通り。


 息が苦しい。


「……そ、そこで聞いて欲しいことがあるんだ」


 彼女は黙って首を傾げる。


「映画を撮影するためには、いろいろ必要です。撮影のための機材、エキストラや役者に払う報酬に、お弁当や飲み物なんかの飲食代。それから移動するためのレンタカー代や消耗品に、場合によってはアフレコのためのスタジオ代。音楽を作ってもらうのにも報酬がいるし……」


 アキトシは鞄に忍ばせておいたクリアファイルを取り出す。


 そこから大鳥に紙を差し出した。


 簡単だが映画の撮影に必要なもの、その経費が書かれている。


「ざっと四〇〇万くらいは必要なんだ」


「わたしも聞いたことあります。あー、なるほど、そっか人件費ってやっぱりかかりますね。でも大切な部分だし、削れないですよねー」


 大鳥は経費の削減を相談されたと思ったのだろうか。


「あと、もうひとつ。こっちは結婚式に掛かる費用なんだけど……」


「結婚式?」


 彼女の疑問はもっともだ。


 しかし、無視してアキトシは続ける。


「結婚をするときに必要なものが式代と式場代、披露宴の会場代にアルバムと映像のグレードを決めること。それを撮るカメラマンや司会者、当日の化粧、着付けの担当者の報酬。出席者の数と、それに合わせて引き出物の数と料理の質……」


 こちらも資料を用意してある。


「……こっちもざっと平均的に三五〇万から四〇〇万くらい必要なんだ」


「おー。そう言われると似たり寄ったりの金額なんですね」


 耳の傍に心臓ができたと思うくらい、鼓動の音がうるさい。


「実はね……でも、結婚式の費用って、出て行くばっかりじゃなくて戻ってくる分もあるんだ」


「あ、判ります。ご祝儀ですよね?」


「うん。それが大体一人三万円くらい。最近、少し多くなってるらしいんだ。だから、ご祝儀をくれる人を五〇人と考えれば一五〇万円が返ってきます」


 緊張しているせいで、敬語がたまに出てくる。


「あー、友達が多いほど、出席者も増えちゃうけど、返ってくるお金も多いんですね。なるほどー」


 まだ、アキトシの企みに、大鳥は気づいていないらしい。


 アキトシは目を瞑り、大きく深呼吸をする。


「そこで、お話があるんですが……」


「ふむふむ?」


 体が飛び跳ねそうなほど、強い鼓動。


 外の音がまるで聞こえない。


 本当に言うのか?


 もう絶対に後戻りができなくなる。


 それでもいいのか?


 一瞬のうちに何度も何度も不安と疑念の言葉が沸き上がる。


 それでもなお、アキトシは退けないと唾を飲みこみ、拳を握りこんだ。


「映画が…………」


 落ち着け。


 深呼吸をしろ。


 息を止めて、一気に言うのだ。 


「…………映画ができたら、俺と、結婚してもらえませんか?」


 バッと顔を上げ、大鳥の目を見つめた。


「ふむふむ? …………ん?」


 大鳥が自分を指さす。


 アキトシは小刻みに首を縦に振った。


「そ、そ、それで……でき、できたら、結婚式の代わりに、映画の上映会を、したい……」


「結婚式の代わりに、上映会……?」


 言った。


 ついに言った。


 馬鹿げた提案。


 怖くて大鳥の顔を見れなくなった。


 俯く。視界がテーブルの木目一杯になった。


 彼女はいま、一体どんな表情をしているのだろう。


 怒られてもおかしくない。


 なにせ『結婚式の費用を、映画を撮る費用に充てたい』と言ったのだ。


 結婚したい。


 けれど結婚式に使う費用は映画を撮る費用にする。


 だから結婚式はしない。


 代わりに撮った映画を流す上映会はする。


 なんど考えても自分に都合のいいだけの提案。


 許されるはずがない。


 許されるはずがない。


 それなのに、アキトシは彼女に提案したかったのだ。


 彼女なら、自分のすべてを判ってくれる気がしたから。


 気のせいならば、ここですべてを失う。


 間違っていなかったなら、きっと……


 監督として、人間として、男として、アキトシは大鳥紗理奈を信じている。


 だから、ゆっくりと視線を上げて彼女を見た。

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