「君がいいんだ」第14話『プリティ・ウーマン』

 心斎橋にあるアメリカ村は大阪の北に位置する梅田に比べて少しだけ治安がよくない。


 だからと言って実際にトラブルに巻きこまれることは稀だ。


 スクラッチ宝くじで少々、お高めな金額が当たるくらいの確率だろうか?


「で、この落とし前、どうしてくれるんや?」


 アキトシと大鳥の目の前にいるのは大男。黒いタンクトップから飛び出している腕は割と太い上に模様入り。そして灰色のハーフパンツにはカラフルなジェラートがべっとり。ケンカになったらまず勝てない。


 さらに、後ろにひょろそうなのが二人いた。鼻ピアスしている痛々しい奴と、七色のとさか……モヒカンをした視点の定まってない奴。こっちには勝てそうだが、なにをしてくるか判らない怖さがある。


「す、すみません、クリーニング代、お支払いします!」


 ジェラートをぶつけた張本人の大鳥は素直に謝っている。


 男どもは許すような気配をしてないどころか、今にも殴りかかりそうなほど厳めしい表情をしていた。


 ひょっとすると、難癖を付けに来たのではなく、真面目に通りすがりでぶつかっただけなのかも知れない。


「金の問題ちゃうねん! どないしてくれんねんっ!」


 男はアキトシを押しのけて大鳥に掴みかかろうとする。アキトシも力の限り抵抗した。


「あ、謝ってるでしょ! しかも、女の子だぞ、相手!」


「知るかっ! 男でも女でもジジィでもガキでも同じ人間や! 平等にぶん殴ったる!」


 場面が違えばいいセリフのような気もするが、ここでは最低の部類。


 殴らないと許してくれない気配を感じたアキトシは思わず口走った。


「逃げて! マジで! 早く!」


「は、はいっ!」


 大鳥も素直に従って階段を駆け下りた。ビッグステップの中に入るのだ。


 人もいる上に、割と地下は迷路のような作りになっている。


 横切って外へ行くよりも断然、正しい判断だ。


「捕まえーや!」


 男は後ろ二人に命令する。当人たちは少し困惑していたが、男の「殴るぞ!」の一言に足を動かし始めた。


 アキトシも同時に男の体を突き飛ばした。男はよろめき、後ろ二人の邪魔になった。


 その隙に大鳥を追う。


 もうこれで自分が捕まってもタダでは済まない。


 逃げ切らなければ!


 大鳥に追いつくと、彼女の手を取ってあちらこちらに逃げ回る。


 お店の人に事情を話して警察を呼んでもらおうとすれば追いつかれ、お店の棚に隠れてやり過ごしたかと思えば、一周してきた男たちに見つかり、エレベーターが偶然、目の前で開いたので乗りこんで逃げれたと思いきや、四方がガラス張りのエレベーターだったので反対側から丸見えで追いかけられ、そのまま地下へ戻り……


 たった数分のことながら、かなり疲れてきた頃、しばらく追手の姿を見ない時間ができた。


「……い、今なら外に逃げられるかも? ひょっとしたら、諦めてくれてるかも知んないし……」


「そ、そうですね……け、警察の人も来てくれてるかもですしね」


 これだけ店の中で追いかけっこしていれば、なんとなく察した店員もいるはずだ。


 それに賭けて外へ行こうと角を曲がった瞬間。


「「あっ」」


 大男と鉢合わせてしまった。


 咄嗟に逃げようと思っても後ろには大鳥。通路もそんなに広くない。


 自分が壁になって大鳥を逃がすしかない。


 そう考えた瞬間、男がアキトシの胸倉を掴み、いきなり殴ろうとした。


 ダメだ、殴られる!


 覚悟を決めた瞬間、後ろから男の顔めがけてジェラートが突き出された。


「うわっ!?」


 溶けかけていたジェラートは男の顔にべっとり。見事に視界を塞いだ。


「今のうちです!」


 大鳥の声に動かされ、アキトシは男の手を振りほどき、再び大鳥の手を取って駆けだす。


 そのまま他の二人は見かけないまま、外へ逃げ切った。そのまま近くにある三角公園へ行き、一息つく。


「ここなら、もう、大丈夫……!」


 アキトシはそう言って、三段しかない石階段に腰を下ろした。目の前には交番がある。追ってきても、なにもできないだろう。


「はー! 怖かった!」


「まったく! マジで絡まれることってあるんだね」


「まぁ、わたしがちょっとヤンチャしたからっていうのもありますけど……」


「いやいや、事故でしょ、事故」


 無事に逃げ切ったという達成感が、だんだんと体に染みわたってきた。


 大鳥も同じだったのか、お互い顔を見つめて笑い始める。


 怖い思いはしたけれど、それがなぜかとても楽しかった。


 ひとしきり笑ったところで、大鳥はガッツポーズをしてみせる。


「完全再現ですね!」


 ローマの休日のことだろう。


「あっちだと秘密警察が追いかけてくるんだけどね」


「それでも。おかげでジェラート、もう一回ぶつけちゃいました」


 本編ではギターで殴って秘密警察の一人をノックアウトするシーンがある。あれが大鳥の行動を大胆にさせたようだ。


「あー、手がべとべと! ちょっと洗ってきます!」


 そう言って彼女はすぐ隣にあるコンビニへ行った。


 その間にアキトシは興奮した自分を抑えようと必死になる。


 このまま彼女に抱きつきたいとまで思っていたからだ。


 大鳥は自分のために映画のヒントをくれたり、こうやってロケハンにまで協力してくれる恩人。


 下手なことをして迷惑をかけてはならない。


 勝手に盛り上がっていてはいけないのだ。


 ――彼女は優しい、いい人。別にオレに気があるわけじゃないんだ。


 まだ自分にはなにもない。


 自分を肯定できるほどの自信もないのだ。


 あるのは夢を追う気持ちと、一緒に夢を見てくれる友達だけ。


 そんな自分が、誰かの人生に寄りそうなんてできるはずがない。


 ――しっかりしろ! まずは映画だ。映画を撮るんだ!


 顔を両手で叩くと同時、大鳥が帰ってきた。


「どうしたんですか? 顔叩いて……」


「え、あ……えーっと、夢っていうか、ほんとに映画みたいでさ」


「あー、なるほど。大丈夫ですよ。痛かったでしょ?」


「……うん……え?」


 アキトシの頬には大鳥の両手が添えられた。


 気が付くと、大鳥の顔が間近に迫っており、口元には柔らかな感触がある。


 なにが起こったから判らない。


 息をするのも忘れて呆然と大鳥の顔を見た。


 目を瞑った彼女。


 咄嗟に自分も目を瞑らないと失礼かななどと考えた。


 しばらくして彼女の方から離れていく。


 はにかんだ表情で彼女は言った。


「……完全、再現……ですね」


「……うん……頬を、摺り寄せるところも、名場面だけどね……」


「そ、そこもするんですか?」


「え、あ、い、いや……」


 もう日も落ちて、夕方の色は消えてしまったのに、彼女の顔は真っ赤だった。


 たぶん、自分の顔の色も同じなのだろう。


 どういう意味のキスだったのか?


 再現するためだけのもの?


 それで口付けなんてするだろうか?


「……あ、あの、迷惑でした?」


「え?」


「えっと……一人で勝手に盛り上がっちゃってて……」


「え、そんなことないよ! オ、オレも、その、盛り上がってたんだけど、そこまで勇気がなかったというか、まさか、えっと……」


 どんな言葉を並べればいいのだろう?


 キスする勇気がなかった?


 自信がなかった?


「……あのオレさ。すごく無責任だと思うんだけど、思ったこと、言っていいかな?」


「は、はい」


「……な、なんて言うか……今の映画の企画、いつも一緒に撮ってる女の子は、助演女優賞狙いたいとか言い出しててさ」


 我ながら、変な切り出し方だと思う。


「その、配役に悩んでて。でも、こう、撮りたい人じゃなきゃ主人公にしたくないっていうか……」


「はい? 誰か紹介しましょうか?」


「い、いや、そうじゃなくて!」


 思わず大鳥の腕を取った。柔らかな、華奢な腕。


「……その、思ったんだ。さっき。君を撮りたいって……」


 回りくどい。


 我ながら回りくどすぎる。


 だが、素直に『好き』だと言えない。


 大体、映画が好きなだけでも精一杯なのに。その上、人を好きになるなんて余裕があるのだろうか?


 自分に一番ないのは『人を好きになる覚悟』なのだ。


 だから、言えない。


 けれど、気持ちには嘘をつきたくない。


 情けなくて泣きそうだ。


『好き』だと言えないのに、相手のことを引き留めようなんて。


「わたし、ですか? でも、演技とかそんなちゃんとやったことないですよ……?」


「そこは、おいおい考える! でも、君がいいんだ……」


 仲間の了承は得られるだろうか?


 単なる公私混同ではないのか?


 いろんな疑問が沸き上がる。


 それでも、自分の心をここまでかき乱し、惹きつける彼女が映画で輝かないわけがないと、本気で思った。


 マダピーが言っていた『理想の作品』『本当に撮りたい物』にも繋がる気がする。


「わたしがいい……っていうのは嬉しいですね」


 満面の笑み。その後にちょっと不服そうな表情をした。


「期待してた感じとは違いますけど」


「あ、えっと……」


「でも、大丈夫です。繊細ですもんね、アキトシさん。いろいろ思うとこがあるんだと思います。だから、わたし、やってみますよ、主人公」


「ほんとに!?」


「あんまり自信はありませんけどね」


「ありがとう……!」


 またキスしたかった。


 一度、許されたのだから二回目も三回目も、きっと許される。


 そう心のどこかで思いながらも、変なブレーキがかかりっぱなし。


 結局、晩御飯の後も、バイクで家まで送った後も、アキトシは自分から口付けはできなかった。

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