「それはただの『理想』信者だ」第3話『ハングオーバー!』

 なぜ、こんなことになってしまったのだろう……


 スタンリーは映像についてのこだわりがすごい上にスタンリー・キューブリックと同じようなクマがあるため、そんな仇名がついた。ただ、体格に恵まれているのでどちらかと言うと『ランボー』や『ロッキー』の主演だったシルベスター・スタローンを思い出す。


 そんな彼が梅田地下のサイゼリヤで椅子に座りながら、生きたサバを頭から咥え、白目をむいて気絶している。サバは力なく尾っぽをふりふりしていた。


 一緒に来た女の子はシノブ。本名がシノブということと、女優、大竹しのぶにあやかっての呼び方だった。そんな彼女は小柄でオカッパなので、座敷童や日本人形みたいに見える。それが今はなぜか剣道の面をつけた上にバニーガールの恰好で床にうつぶせていた。


 七三分け黒縁メガネのヒョーロンは鼻からスパゲティと赤ワインを噴出して気絶しているし、スタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫にちょっと似ているマダピーに至ってはソファー席で逆立ちのような状態だ。しかもブリーフ一丁……


「おい、やめろ。僕はそんなことしないぞ」


 マダピーが話を途中で止めた。


「なんでやねん。普段から真面目なやつがそういう風なことになってるのが面白いんやろが」


 少し怒った口調で対抗するのはヒョーロンだ。


「ワシ、サバ咥えるんか? 別にええんじゃけど、サバアレルギーはどうすりゃええ?」


 スタンリーが命に関わることをさらりと言った。ちなみに彼は大阪で何年も暮らしているのに出身地である岡山県北部の方言が強く出る。


「面つけちゃうと顔見えないと思うんだけど……あ、でもそこが面白いの?」


 シノブものんびりした感じで疑問を口にした。


「じゃあ、このシチュエーションはなしかなぁ?」


 アキトシがそういうとみんなは一斉に唸る。


 企画の話し合いである。


 実際は五人とも普通の恰好で普通に座っている。


「そもそもだ。このシチュエーション、なにかの映画のパクリだろう?」


 マダピーに言われてしまった。厳しい一言にヒョーロンは苦い顔をする。


「ええねん。物事を学ぶには真似ることからって言うやろ。いきなりオリジナリティあふれるもん作るよりは、面白いもんの骨をとってきてアレンジするのが王道っちゅーもんや。大体、パクリやなくてオマージュやしな」


「映像的に見映えするかいなぁ? カットの最後はマダピーのブリーフとして……」


「だから、やらないと言っているだろうが」


「ねぇ、ところでご飯のメニュー決めないの?」


 流れをぶった切るシノブ。


「まだ決めてなかったんかい」


 ツッコミながらも少しイライラしているヒョーロン。


 つい苦笑しながら何も言わないアキトシ。


 全員が全員、好き勝手する感じ。


 いつもの企画会議であった。


 ヒョーロンが大きくため息をつく。


「まぁ、そういうならや。マダピーはなんかええ案があるんか?」


「マーケティングから考えて、もっとターゲットを見るべきだと思う」


「またマーケティングか。案を聞いとるのに方法論だされても困るんやけど? それに、それが具体的に役に立ったことあるんか?」


「必ず役に立つ。それは間違いない」


 ――役に立つはずだけど、実感がないから安易に信じられないんだよね。


 とは思っても口には出さないアキトシ。


 企画を練りたいのであって、ケンカがしたいわけではない。


「ワシは好きなもんを好きに撮るのがええと思うけどの」


 この企画会議お馴染みになった爆弾発言をスタンリーが投げこんだ。


「それで上手くいかないからこうして考えてるんだ」


 冷静を装うマダピー。


「好きにするなら、黙ってワイかアキトシのシナリオに従ってくれるんか?」


 さらに苛立ちを募らせるヒョーロン。


「いい画が撮れるシナリオなら問題ないわ」


 スタンリーの、この返しがいつもよくない。


「それがすでに好き勝手でなくなっとるやんか?」


「はぁ? そげぇ言うても映像あってこその映画じゃろうが。映画で朗読会でもする気なぁか? 画が綺麗じゃねぇといけんじゃ」


 いつものやりとりに飽きたのか、シノブはスマホでツイッターを見ている。


「まぁまぁまぁ、落ち着いてみんな。ケンカしてもいいけど、それは作品の良し悪しにしようよ。企画ができる前に考え方ですれ違ってたらもったいない」


 アキトシの一言。


 全員が一息ついて一応の落ち着きを取り戻す。


「……じゃあ、どないすんねん?」


 ヒョーロンがぽつりと呟く。アキトシは腕を組んだ。


「うーん、実際マーケティングも大切だと思うし、好きなことをするのも大切だと思う。だから……マーケティング的にもいい上に好きなことが詰まったものがいいんじゃないかな?」


「……理想を言うのは簡単だ」


 今度はマダピーが呟いた。


 いたたまれなくなったアキトシは小さく「すいません……」と謝る。


「あ、そうそう、今年のアカデミー賞、みんな覚えてる?」


 シノブは相変わらず自由奔放だ。


「なんで今、その話なんだ……」


 マダピーがそういうのも無理はない。もう数ヶ月も前の話だ。


「迷ったときは賞を取った作品を参考にすればいいじゃない? 違うの?」


 誰もなにも言い返さない。


「『ムーンライト』が作品賞とっていったね……」


 さすがに無視はかわいそうなので、アキトシが反応する。


「あれ観た? 私、観逃したのー。どうだった?」


『ムーンライト』は育児放棄、イジメ、麻薬、人種差別に同性愛差別など、社会に蔓延する多くの問題を一挙に取り上げた作品だ。正直、重い。


「あれよりはワイらが語らなあかんのは『ラ・ラ・ランド』の方やろ」


 ヒョーロンがドキリとする作品の名前を挙げた。シノブは目を輝かせる。


「あ、監督賞とったやつだっけ? あっちは観た。いいよね。女優になる夢を追いかけるの。でも、せつなかったー」


『ラ・ラ・ランド』は今年のゴールデングローブ賞、アカデミー賞を始め多くの賞レース、多部門で受賞したバケモノ作品だ。


 あらすじを簡単に言えばジャズを救うことを夢見る男と女優になることを夢見る女が互いに苦悩し、行動し、夢を掴んでいく……という物語。


 正直、こっちの方がアキトシにとってはつらい作品だった。


「監督が三十二歳ってとこもすごいよね」


 シノブがまさに確信の部分を突いてくる。


「やめーや、気が滅入るわ」


 すかさずヒョーロンが代弁してくれた。


 アキトシとは四歳しか違わない。しかも構想は二十六歳のときからあり、前作『セッション』の成功を経て、実現に至ったという。


 自分にあるアイディアが、そこまでのものだろうか?


 見えない力にぐっと首を絞められたような気がした。


 同時、勝手にライバル視していた男を思い出す。


 七谷稟冶(ななたに りんや)という学校では一期上の先輩だが、年は二歳下の二十六歳。若い才能。卒業制作の映画で、すでに小さな賞を取って劇場公開している。アキトシも卒業制作で撮ったが、劇場公開にまでは至っていなかった。


 その時と似た息苦しさだ。


 天才たちの偉業が自分を追いつめている。


 しかし、こんな息苦しさに負けられない。


 自分の力を示し、天才たちと戦わなければ。


 夢を実現するためには必要なことだ。


 そのために足りないのは……他のなにでもない、やはり作品だ。


 アキトシは決意をこめて顔を上げた。


「やっぱごめん、マダピー。理想は切り捨てられない。妥協したら夢を叶えるどころか、たぶん遠のく。そりゃさ、六〇億の資金がないと作らないとかは違うけどさ。自分でできる部分は、理想を貫きたい」


 全員がアキトシの顔をじっと見た。


 理想を貫くことは難しい。本当にそれでいいのかと言いたげだ。


「……天才だって片手間に映画を作ってるわけじゃない。大体、映画は片手間でできるようなものじゃないし。それに、もし、自分に才能がないんだとしたら、余計に全力を尽くさなきゃ」


「んー、言うても、それにこだわって作品ができないのは論外やで」


 ヒョーロンの言葉も正しい。


「判ってる。でも、夢は妥協じゃない。夢は理想。自分がこうありたいっていう未来だと思う」


 監督になって、シナリオを作り、演技指導し、撮影に夢中になり、ロケーションを楽しみ、エフェクトを入れて最終的な美しい画にする。当然、それぞれの専門家たちの力を借りてだ。


 お客さんは映画を観て面白かったと満足して帰っていく。そして五年後も一〇年後も好きな映画として名前を挙げられ、誰かの力になり続けるのだ。


 理想を言えばきりがない。それでも……


「むしろさ、理想があるほうがいい作品になると思う。駄作になるのは理想が足りないか、理想を実現する腕や知識、知恵がないんじゃないかな?」


 スタンリーが腕を組んで大きくうなづいた。


「んむ、判った。ともかく、今は今の全力で、マーケティングを考えながらワシらの好きなもんを撮るんじゃな」


 ヒョーロンも顎に手を当てて、考え出す。


「せやな……まずは名作がマーケティングをどないしてるか分析してみるっちゅーのはどやろ? そこからなにか判るかも知れへん」


「あ、じゃあ私『ラ・ラ・ランド』また観たいな!」


 少しだけ道が開けた気がした。


 しかし、マダピーの表情だけ変わらない。


「……聞かせて欲しいんだが、アキトシの理想の作品はなんだ?」


 その一言に凍りつく。


「それは……」


「ミステリーか、スリラー、ホラー、ヒューマンドラマ……アクションは、違うと思うが……」


 簡単に言えば『人が感動するもの』だろう。


 けれど、それで納得してもらえるとは思わない。


 どんな形で感動させるのかがはっきりしていないからだ。マダピーは今、それを聞いている。


 自分が一番、撮りたいもの……


「ジャンルは、なんでもいいけど……」


 理想は監督としての個性になる。


 ただ、理想は難しい。映画や物語のアイディアはあっても『一番』は……簡単に決められない。


 どのジャンルも面白いのだ。資金さえあればSFやファンタジーの超大作を撮ってみたい。それこそ黒澤明のような時代劇だって……


 ……潤沢な予算を望まない制作者なんているだろうか?


「強い意志も大切だ。だが、理想、理想というのに理想が決まらないのは……それはただの『理想』信者だろう」


 返す言葉もない。


 今、撮りたいもの。


 今、自分が思い描く理想。


 自分で自分が判らなくなっていく。


「お待たせしました。ご注文を伺いします」


 頭の中がぐちゃぐちゃになりかけたとき、ウェイトレスの一言が救ってくれる。


 空気を読まず店員を呼んだシノブにも感謝しつつ、とりあえずアキトシはオムライスがメニューになかったのでハンバーグを頼んだ。


 ただ、額には二日酔いに似た痛みが残り続けていた。

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