第11話 二人だけの生活

凜との二人だけの生活がはじまった。朝6時に起きて雨の日でない限りは二人で公園を散歩する。凜の希望で、健康のためと朝寝坊しないためとか。池を1周して帰ってくると朝食を作ってくれる。僕は朝食を食べて8時前に出勤する。


凜はそれから洗濯と掃除をする。そして池の周りを散歩するとか。その時絵を描いたりするそうだ。午後は近所のスーパーへ買い物に出かける。それからゆっくり食事の支度をする。


僕の帰宅は大体8時ごろになる。凜は食べずに待っていてくれる。それから二人で今日あったことなどを話ししながら食事をする。毎日、違う献立の夕食を準備していてくれる。


はじめは後片付けの手伝いをしようしたが、凜は座っていて下さいといって一切させなかった。だからリビングのソファーに座ってそれを見ている。凜は見ていてくれるのが嬉しいみたいで、ニコニコしている。


それから二人ソファーに座って、僕がコーヒーを入れる。凜はおいしそうに飲んでくれる。


お風呂には必ず二人で入る。ここのお風呂は大きめだからゆっくり入れる。お互いに身体を洗い合う。凜もこの時が楽しいみたいでゆっくりしている。凜の身体は美しい。その肌は触ると指が吸い付くように柔らかい。


そして、寝室の二人の大きなベッドで愛し合う。凜は僕が疲れていると思った時には積極的に愛してくれる。終わった後、上に覆いかぶさったまま眠っている。朝、目が覚めると横から抱きついている。この気持ちの通じ合うところがとてもいい。


それから、お互いに抱き合って眠る時もあれば、離れて眠る時もある。離れて眠っても明け方は抱き合っていたりする。臨機応変、気を使うこともなくゆっくり眠れる。もうすっかり長い間連れ添った夫婦のようだ。


「君は毎日の僕の気分や体調が分かっているみたいで感心する」


「帰ってきた時の玄関での様子で分かるんです。仕事が忙しかったとか、疲れているとか、面白くないことがあったとか」


「君に余分な気を使わせたくないから、できるだけそれが分からないように振舞っているつもりだけど」


「長い間、客商売をしてきましたから、顔を見ただけで直感的にと言うか分かるんです。あなたは私だけの大事なお客様ですから」


「だからいつも君と会うと癒されていたんだな」


「私は誰にでもできることだと思っていますが」


「いや、それはすごい特技だと思う。妻にして本当に良かった」


「そう言って褒めてくださると嬉しいです」


「でも僕はまだお客様なの?」


「はい、唯一人のお客様です」


「もうお客様はやめにしてもいいんじゃないか」


「でも、あなたもまだ私をお客様扱いしているみたいだから」


「大事な奥さんだからね」


「それなら私もやめません」


「まあ、それもいいかな」


凜は徐々により美しくなっている。僕の贔屓目かもしれないが、角がとれたしなやかな美しさと言うか、柔らかなほっとするような美しさだ。じっと見つめていると凜が聞いてくる。


「じっと私を見ていますが、何を考えているんですか?」


「きれいになったと思って」


「本当にきれいになりましたか? そうなら、ここでの生活にもなれて、ゆとりができたからかもしれません」


「何かしてほしいことはないの?」


「今のままでいいですけど」


「昼の間はどうなの? 暇を持て余している?」


「そうでもないです。時間があるとぼっーとしています。そうすることが好きですから」


「それならいいけど、休みの日にはどこかへ出かけようか」


「二人でここにいるのがいいです。二人で池の周りをゆっくり散歩するのが一番です」


「つまらなくない?」


「こんなのんびりした生活は私には贅沢です。楽しませてもらっています」


「贅沢というならそれでいいけど。僕は家に帰って君がいてくれるだけで嬉しくて」


「私もあなたが毎日そばにいてくれて心が満たされています。待っていても夜遅くなっても必ず私の元へ帰ってきてくれる。いつ来てくれるかと思いながら待たなくてもいいから、安心して待っていられます」


「必ず帰ってくるから、君ももうどこへも行かないでそばにいてほしい」


「もう、あなたの妻になったのだからずっとそばにいます。安心してください」


「世間では平凡な生活と言うけど、平凡な生活ってなかなか難しいと思う。僕は平凡な生活が今迄ほんの短い間しかできなかった」


「私はこんな平凡な生活ができるなんて思ってもみませんでした」


「平凡って難しいんだよ、平凡に見えているだけで平凡でなかったりしてね」


「平凡に生活するのが難しい世の中になっているのかもしれません」


「そう、平凡の幅が狭くなって、その中に入らないケースが増えているんだろうね」


「私たちだって、私は平凡な女じゃないし、あなたも奥さんを亡くされているし、こうしている私たち二人は決して平凡じゃない、特別だと思います」


「でもはたから僕たちを見るときっと平凡に見えるし、現に平凡な暮らしをしている」


「私はこんな暮らしを夢見て憧れていました。一方ではとうにあきらめていたので、今は夢の中で暮らしているみたいです」


「地に足が着いていない?」


「ふわふわした気持ちですが、心地よいです」


「この先も二人で平凡に暮らしていけることを祈るだけだ」


「私もそう思っています」


そばの凜を抱き寄せる。凜が身体を預けてくる。二人寄りかかってこの二人だけの時間を楽しんでいる。

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