第6話 初詣と凜の部屋

今年の年末年始は大阪で過ごしたいと娘の栞が電話をして来た。きっと恋人でもできたのに違いない。心配だがもう親が口を出すこともない。望みどおりにさせてやろう。それならと凜に電話する。


「年末年始はどうするの?」


「年末は31日までですが、年が明けても朝まで営業しています。3が日は休んで4日から営業を始めます」


「それなら、2日に初詣に行かないか。2日なら少しは神社も空いているだろう。それと初売りに行かないか? 君になにかプレゼントしたい。クリスマスにも会えなかったから」


「31日は年越しに店に来て下さい。年が明けたら一緒に初詣に行きましょう」


「いや、やめておこう。前にもいったとおり、君の職場に訪ねて行くのは遠慮するよ」


「私がお客さんの相手しているのを見るのがお嫌なんですか?」


「それもあるけど、僕は昔のように、君と客として付き合いたくないんだ」


「ありがとう、私をそんなに思っていてくれて。2日の待ち合わせ場所と時間をメールで入れてください」


「分かった。じゃあ、良いお年を!」


「良いお年を!」


◆ ◆ ◆

2日の10時に凛の店から表参道の大通りへ出る小路の出口で待ち合わせをした。丁度10時に凜が和服で現れた。メガネをかけている。


「おめでとう」


「新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」


「こちらこそよろしく、大みそかはどうだった」


「12時過ぎまでお客さんがいて、それから皆さん、初詣に出かけました。3時ごろにまたお客さんが戻ってきて朝まで飲んだり歌ったりでした」


「書き入れ時だね」


「12月と1月はまずまずですね」


「お参りに行こう、人出はどうかな」


「2日でも結構混んでいるみたいですよ」


凛の言ったとおり、まだ随分と混んでいる。元日はもっと混んでいただろう。時間がかかったがようやくお参りできた。凜は長い間手を合わせていた。覗きこんでいると目が合った。


「何をお祈りしていたの」


「このままの生活が続きますようにって」


「今の生活に満足しているんだ」


「満足と言うか、これ以上も望みませんので」


後に人が混んでいるので押された。すぐに横へ歩き出す。


「欲がないんだ」


「欲って限りがないですから」


「言うとおりだ」


「あなたはなんてお祈りしたんですか?」


「そばの人と結ばれますようにって」


「もう結ばれているじゃないですか」


「まだ、足りないから、それ以上をお願いした」


「どういうことですか?」


「今よりももっと親密になりたいってことかな」


「いまでも相当に親密だと思いますけど」


「君の言ったとおり、欲には限りがないんだ。君のように考えられると楽なんだと思う」


手を繋いで参道を出て大通りへ向かう。歩道は人でごった返している。


「今日はおみくじを引かなかったね」


「物事なるようにしかなりませんから」


「そうかな、何とかするのも大事だと思うけど」


「でも、大事な場面ではよくよく考えて悔いのないように決めています」


「それで後悔しないの、判断を誤ったって」


「ありません。その時に良いところも悪いところもよく考えてのことですから、想定外のこともありますが、結果が悪ければ諦めるだけです。自分が諦めれば済むことですから」


「諦めると気が楽になるのは分かる気がする。いつまでも引きずらないことが大事かな。随分時間がかかるけどね」


「亡くなった奥様のことをおしゃっているの?」


「それも含めてかな」


「プレゼントをしたいけど、何がいいかな」


「いままで、プレゼントはいただかないことにしていました」


「どうして」


「いただいたものに縛られるような気がして、でも、あなたからはいただくわ、今はあなたと繋がっていたいから」


「それは嬉しい、何がいい?」


「細い鎖のブレスレット、シルバーがいい。いつも着けるから無くすかもしれないので、高価なものでない方がいいです」


「指輪はどうなの?」


「指輪よりルーズでいいかなって、でも浮気がしたいってそういう意味ではないんですけど」


「そういってくれて嬉しい。プレゼントのし甲斐がある」


すぐに近くの目に入ったジュエリーの店へ行った。指輪が一番多くて、次がネックレス、意外とブレスレットは少ない。凜が望むようなものが数点見つかった。


凜はその中から、二重チェインのものを選んだ。値段もそこそこなのでカードで支払って、すぐに着けてもらった。


和服では目立たないが、白い肌にぴったりだった。店に出るとブレスレットはきっと客の目にも付くだろう。着けていてくれるかだが、確かめるすべはない。


「お店に寄って行きませんか、3日まで休業ですからお客さんは来ません」


「そうだね。ここまで来たので寄らせてもらおうか」


店の中は暖房が入っていないのでひんやりしていた。


「ここは寒いですから、上へあがりませんか? その方が落ち着きます」


「君がいいというのなら上がらせてもらうけど」


「じゃあ、ちょっと待っていてください、着替えと片付けをしますから」


店の中の奥のドアを開けると階段があった。凜は登っていった。しばらくするとどうぞの声がする。そこを上ると凜の住んでいると言う部屋があった。


広めのダイニングキッチン、その奥に板敷きの8畳くらいの洋室があり絨毯が敷いてある。それにビジネスホテルのようなバスと洗面所とトイレが一体になったバスルームがついている。


エアコンが効いていて温かい。部屋は新しくはないがきれいに整っている。窓際のセミダブルのベッドが目に入る。


凜は和服を脱いで部屋着に着替えていた。


「和服じゃ、お料理しにくいから、着替えました。ごめんなさい」


「お料理って、ご馳走でもしてくれるのかい」


「お正月ですから、何かご馳走します」


「それはありがたい。今年の正月は一人ぼっちで何も準備しなかった。娘がいればお節料理のセットでも買ったところだが」


「お嬢さんは?」


「今年は向こうで過ごすだと、いい男でも見つけたのならいいが」


「心配なんでしょう?」


「もう大人だから、本人に任せることにした」


「一人では食べきれないのであまり買ってありませんが、お節の材料は少し買ってあります。準備しますから、ゆっくりしていてください」


凜はホットウイスキーを作ってくれると下の店に降りて行って材料やらを持ってきた。飲みながら、凜が準備するのを見ている。


「一人ぼっちの正月より二人の正月がいいね」


「私も今同じことを考えていました」


小一時間もするとテーブルにお節料理が並んだ。十分すぎるご馳走だ。


「お雑煮のお餅はいくつ召し上がりますか?」


「お腹が空いているから3つにしてください」


お雑煮を作ってくれた。テーブルに並ぶ。


「どうぞ召し上がって下さい」


「ありがとう、いただくよ、お節料理をご馳走になるとは思わなかった」


「材料を買ってきておいて良かったわ」


「二人でお正月のお節料理を食べるのはいいね、のんびりした気持ちになれる」


「ブレスレットありがとうございます」


「喜んでもらえればそれでいいんだ。僕の気持ちだから」


「だから、嬉しいんです」


「店でも着けます」


「そう言ってくれると嬉しいけど、客に聞かれるかもしれないよ」


「プレゼントだと言います」


「誰からと聞かれるよ」


「付き合っている人からのプレゼントだと言いますよ」


「君を目当てにしているお客が逃げるよ」


「今時そんなお客はいませんよ」


「僕はお客になっていないけど君を目当てにしている」


「だからプレゼントを受け取りました」


本当に凜がそう思っていてくれると嬉しいのだが、よく分からない。


「今日はゆっくりして行ってください」


「ゆっくりさせてもらっているけど」


「いいえ、今日は泊っていってもらえませんか。一人のお正月は寂しいので」


「君がそういうなら、喜んでそうさせてもらうけど、僕も家に帰っても一人だから」


「ありがとう。嬉しい」


食べ終わると凜はテーブルを片付け始めた。僕は洋室へ行ってベッドに寄りかかって凜が後片付けをするのを眺めている。すぐに片付けは終わって、今度は水割りを二杯作ってきて隣に座った。


「ここなら人目を気にしないで、いつまでもお話しができます」


「僕のことをいろいろ聞かなくてもいいのかい」


「いいの、今までのお付き合いで性格も分かっているし、改めて聞くことなんかないわ」


「僕の方からひとつ聞かせて、君はいくつなの?」


「そうね、言ったことなかったし、いままで聞かれなかったわね、32歳です」


「思っていたとおりだ」


「あの仕事に入ったのが20歳、父親の借金を払うため、どこかで聞いたような話でしょ」


「お父さんは今どうしているの?」


「折角借金を払い終えたのに、22歳の時に亡くなりました。奥さんと同じがんで、肝臓がんでした、きっとお酒の飲みすぎね」


「兄弟は?」


「一人娘で、父子家庭でした。母親は小学校2年生の時にどこかへ行ってしまいました。でも父親は私をそれは大切にしてくれました。あなたが娘さんにしたように」


「父親は娘が可愛いものなんだ」


「だから風俗で働く決心をしたの」


「お父さんはそれを知っていたのか?」


「もちろん黙って、借金取りから聞いたかもしれないけど、何も言わなかった。ただ、お酒の飲む量が急に多くなったから、知っていたのだと思います。死ぬ前にすまなかったといって泣いて謝っていました」


「お父さんはとても辛かったと思う」


僕がそう言うと凜が抱きついてきて泣いた。


「私が父の死を早めたんです」


「しかたなかたんだろう、そうするしか」


「はい、でももっと楽をさせてあげたかった」


「亡くなられたのは定めとでも考えるしかないと思う」


「定めですか?」


「宿命と言ってもいいのかもしれない。そう考えると、君も楽になれる」


「悲しいことだけど定めだと思って受け入れるしかない。悲しいことばかりでなく、またいいこともきっとある。それを受け入れて生きていくしかないんだ。僕もそうしている」


「父もあなたと同じようなことを言っていました。でもとっても寂しそうだったのを覚えています」


「私があなたに惹かれるのは何か父と同じようなものを持っているように感じるからかもしれません」


「それはファザコンだな」


「そうかもしれません。話を聞いてもらって気持ちが少し楽になりました。ありがとうございます」


凜が身体を預けてきた。細い身体を受け止める。凜を抱きたいと思った。その思いが伝わったのか、凜が身体を急に離した。


「シャワーを浴びてください」


促されてバスルームへ入る。すぐに凜が入ってきた。


「ごめんなさい、昔の癖が抜けないみたい、シャワーをしないと気が済まないんです」


「清潔好きはいいことだ。僕も洗ってあげる」


凜は身体を丁寧に洗ってくれた。それから僕も凜の身体を洗う。冬だからシャワーを十分に浴びる。それからベッドに移って、愛し合った。


凜は布団の中で僕にしがみついている。部屋の暖房を強めてあるので寒くはない。


「姫始めだね」


「そうですね、今年もよろしくと言えばいいんでしょか?」


「よろしく」


そのまま、二人はしばらく眠ったみたいだった。凜がベッドから出て行くので目が覚めた。時計を見ると5時を過ぎていた。


「夕食を作ります。お肉があるから焼きます。元気をつけてもらいます」


「ありがとう。元気が出そうだ」


「二人分だと作り甲斐があります」


「姫始めで君をご馳走になって、ステーキをご馳走になるなんて、今年の正月は最高だね」


「私もこんな楽しいお正月は久しぶりです」


凜が作ってくれた夕食を食べた。凜には家庭的な雰囲気があるし、家庭に憧れがあるように思えた。夫婦二人の正月はこんなものだろうかと思っていると後片付けしながら凜が聞いてくる。


「二人の生活ってこんな感じになるのかしら」


「僕も今、それを考えていた。どうなの?」


「心が落ち着いて穏やかになっています。後片付けも楽しいし」


「こうして、君が後片付けをしている後姿を見ているとなぜかほっとするね」

「これが普通の夫婦の生活っていうものかな」


「こんな感じですか、私は経験がないから分からないですけど」


「僕も昔のことだから忘れてしまった。終わったらそばに座ってくれないか」

「ええ」


洗い物を終えて、凜が隣に座った。互いに寄りかかってベッドにもたれかかって座っている。凜の手にはまだ水がついている。荒れていないきれいな手だ。その手にそっとキスをする。


「夕食をありがとう」


「どういたしまして」


「しばらくこうしていたい」


「お茶をいれます」


「ありがとう」


「これからどうします」


「君を抱いて眠りたい」


「私も抱かれて眠りたい」


二人はベッドに移り、また、愛し合う。そして抱き合ったまま深い眠りに落ちた。

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