序章の巻 その3 カルナとは誰か

 今日は日差しがきつい。ドゥルヨーダナは手で目の上に庇を作りながら、川沿いの道を歩いていた。

「まだ朝だってのに……」

 雲一つない空を見上げる。太陽は視界に入れないよう、気を遣いながら。今は雨季が終わったばかりであり、暑いということはない。しかし、日差しは質量を持っているかのようにドゥルヨーダナの首筋に刺さり、砂埃の立つ小道を白く染め上げていた。

 前方から托鉢僧らしき人影が近づいてくるのに気付き、ドゥルヨーダナは道を譲った。ぼろをまとった僧侶は、杖にすがりながらゆっくりと歩を進める。彼の携えた鉢の中に、何か眩しく輝くものがあった。思わず覗きこむと、どうにも見覚えのある黄金の腕輪が日差しを跳ね返していた。

「あー、失礼。少しお聞きしたいのですが」

 しばし迷った後、通り過ぎようとする托鉢僧の老人に声をかける。

「これはこれは、王子殿下。いかがいたしましたかな?」

「その腕輪、誰からもらったものですか?」

「ああ、この道の先で、沐浴している若者がいましてな。随分熱心に祈っているものだから、珍しく信心深い若者もいたものだ、と思い、声をかけてみたのです。そうしたら、気前よくこれをくれたのですよ」

 沐浴とは、単に体の汚れを落とすために水に浸かることではない。水で身の穢れを清めつつ神に祈ることを指す。信仰の篤い者なら、毎朝近くの川や貯水池で沐浴を行う。

 僧侶は白い髭の下から語ると、少し心配そうな顔をした。

「この腕輪が、何か問題でしょうか? まさか、盗品であるとか……」

「いや、そんなことはない。あなたが会ったという若者は私の知己です。保証しましょう。その腕輪は確かに彼の持ち物だったし、今はあなたのものです」

 老人と別れてまた歩き出しながら、ドゥルヨーダナは小さく、やっぱりな、と呟いた。どうりで見覚えがあったわけだ。あれはカルナのものだ。競技会の後、東の遠方にあるアンガ国に使いを遣り、国王指名の旨を伝えた。それから二か月、その承認の証として、カルナあてにたくさんの財宝が送られてきた。そういったことに慣れていないらしいカルナは流石に目を丸くしていたが、ドゥルヨーダナは特に驚かなかった。何せ国の一大事だ。このくらいのことはあってしかるべきだろう。

 とにかく、あの腕輪は、送られてきた財宝のなかにあったものだ。間違いない。

 別に悪いことではない。受け取ったからにはもうカルナの財産だ。どう使おうと勝手だし、布施は義務であり、権利であり、美徳でもある。ただ、少し意外だっただけだ。彼はもともと、布施をする余裕もあまりない貧しい家の出身だと聞いていたから。

 さらにしばらく歩くと、川に枝を差しかけるようにして立つ一本の木が視界に入った。太い枝の一本に、誰かの上着が掛けられている。もしやと思い、川のほうに目を遣ると、ちょうど一人の男が水から上がってくるところだった。

「カルナ!」

 ドゥルヨーダナが声をかけると、沐浴をしていた若者―――カルナは顔を上げ、少し驚いた顔をした。

「こんなところで何をしているんですか、ドゥルヨーダナ様」

 髪や衣服から水を滴らせているカルナに、ドゥルヨーダナは上着を渡してやった。カルナは礼を言って受け取り、袖を通す。たちまち水がしみたが、この陽気だ、すぐに乾くだろう。

 彼の大きく開いた胸元や、やや短い袖からのぞく腕を見る。カルナの肌には、ところどころ金色の鱗のようなものがあった。競技会に現れたとき黄金の籠手のように見えたのは、この鱗の一部だったらしい。ついでに、耳飾りも体の一部だという。細かな細工の入った重たげな環は、確かに彼の耳朶に癒着していた。彼が黒髪を掻きあげてそれを見せてくれたとき、ドゥルヨーダナは心底驚いたものだ。生まれつき―――少なくとも物心ついた時には、耳飾りと鱗はあったとカルナは言っていた。

「お前を探しに来たんだよ」

「俺を? そんな、何もあなたが来なくても、人を寄越すとかできたでしょう」

「なんだ、おれには来てほしくなかったとでも言いたげだな」

 と憎まれ口をたたいてはみたものの、カルナがそんなつもりで言ったのでないことはドゥルヨーダナも分かっていた。彼の声に焦りや後ろめたさのようなものは感じられず、ただ純粋な驚きと戸惑いだけがあった。

「あ、いえ。そういうわけでは」

「いいんだ、わかってる。ちょうど暇だったしな。街を歩きたい気分でもあった。お前が気にすることじゃない」

 そうですか、とカルナはほっとしたように微笑んだ。

「それで、俺に何の用ですか?」

「いろいろと、話しておきたいことがあってな。お前も正式に、アンガ国王として認められたんだし。とりあえず俺の部屋に行くぞ」

 一方的に言うと、ドゥルヨーダナは踵を返してもと来た道を歩き出した。少し後ろをついてくる足音が聞こえる。

「はい。……話しておきたいこと、ですか」

「ああ。身分の上では対等になったが、扱い的にはお前は俺の配下だ。知っておかないといけないこともたくさんある。この国の事情とかな。あと、俺のほうもお前のことをまだほとんど知らない。例えば……」

 足を止めて振り返ると、カルナは驚いたのかわずかにのけぞった。やや高い位置にある彼の顔を見上げる。日に照らされた彼の肌は、明るい黄色だった。褐色の者がほとんどのこの国では、かなり目立つだろう。

「アディラタとは、まったく似てないな。母親似か?」

 あの競技場でカルナが父と呼んだアディラタは、色の黒い肌で、また彼と比べてずいぶんと背も低かった。カルナは返すべき答えを探すように青い目を宙にさまよわせたあと、ドゥルヨーダナの脇をすり抜けて道を歩き出した。

「……俺は、捨て子なんです。アディラタは籠に詰められて川を流れてきた俺を、拾って育ててくれました」

 ドゥルヨーダナは追いつきながら彼の横顔を見上げたが、その表情は長い前髪に隠されてよく見えなかった。

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