私、魔法少女じゃありませんからっ!

甘牛屋充棟(元・汗牛屋高好)

第1話 プロローグ

 世に不思議あり。されど我に不思議あらず。

 それこそ男が二十数年の人生を過ごすうちに実感した世のことわりだった。

 科学的に説明がつくことでもつかないことでも世の中に不思議なことは満ちている。しかし実際に自分に不思議な出来事が降りかかったことはないし、自分の周囲でも起こったことはない。これまでもこれからも自分は不思議な出来事とは無縁に生きてゆくのだろう。

 世の多くの人々と同じく彼もまたそう信じ、そしてまさにその信仰の通りに平和に生きてきた。

 ゆえに。


「フシャァァアア!」


「うわぁあ!」


 闇の中に潜む何か巨大なモノに威嚇されて無様に腰を抜かしそうになっても、それは仕方ないことなのだ。

 

「なんだ? なんなんだ? なんなんだよこれはっ!?」


 とっさに通勤カバンで頭をかばいながら、男は暗い商店街のアーケードの中を走り続ける。ほとんどの店舗にテナント募集の張り紙が貼られたシャッター商店街。お世辞にも活気があるとは言えず夜になれば死んだような静寂に包まれる、地方都市にはありふれたゴーストタウン。

 そのゴーストタウンに、今は何者かの気配が満ちていた。

 この商店街は夜になれば正真正銘の無人地帯になる。普通なら不良の溜まり場になりそうなものだが、残念ながら不良たちだって場所は選ぶのである。コンビニも自販機も街灯もないような場所にたむろするぐらいなら、補導のリスクを呑んででも賑やかな繁華街や公園をうろつく方が楽しいのだ。そう考えると活気がないのも悪いことばかりではない。そのおかげで男のような平凡なサラリーマンでもこの商店街を帰宅時の安全な近道として使えるのである。


(安全な近道?)


 もつれそうになる足を必死に前後に動かしながら男は内心で吐き捨てる。


(――暗がりの中からでかい何かが追いかけてきたり、どれだけ走っても出口に着かない商店街の、どこが「安全な近道」だ!)


 少なくとも昨夜ゆうべの帰宅中と今朝の出勤中に通ったときはこのようなことはなかったのに、なぜこんなことに。背後から響いてくる重い足音にかされながら、男は考える。まるで考えることで背後の恐怖から逃げだそうとしているかのように。


(変質者か何かの仕業か!? いやそれにしては大掛かりすぎる。一人二人でこんなことができるとはとても――)


 男の思考を遮るように、唐突に男の目の前に何かが突き出された。黒い剛毛で全体を覆われ、先端に五つの鋭い輝きを宿したそれは、


(動物の、手!?)


 男が思わず足を止めたその瞬間、五条の光跡を引きながら鋭い爪が横薙よこなぎに振るわれた。


「うおぉああ!」


 当たれば確実に死に至るであろう一撃を飛びのいて――というより横飛びに転がって回避した男は、そこではっきりと見た。

闇の中で鏡のように輝く、二つの巨大な瞳を。


(ち、違う! これは……人間じゃない!)


 背骨や骨盤から五臓六腑に至るまで、体中の全てが恐怖に震えるのを感じながら男は腕の力だけで体を後方へとずり動かす。腰から下はとっくに力が入らなくなっていた。


「い、いやだ……来るな……助けて……」


 子供のように頭を横に振りながら男は目に涙を浮かべる。しかしそんな男の懇願こんがんに耳を傾けることもなく、黒い怪物はその爪を振り下ろし――


「そこまでです!」


 次の瞬間、甲高い少女の声と共に地面から吹き上がった火柱が周囲の闇ごと怪物の腕を押しのけた。



***



 火柱が吹き上がった直後、その少女は闇の向こうの出口から男の元へと駆けてきた。足元で踊る二条の火を線路のように一直線に走らせて闇を払いながら、狸の耳と尻尾を生やした少女は未だに腰を抜かしたままの男を背にして怪物と対峙する。


「これは……猫、ですか?」


 眉間に皺(しわ)をよせながら少女が呟く。

 闇を剥ぎ取られてあらわになった怪物の正体。それは大人の男の背丈ほどもある巨大な猫だった。


「うむ。正確には猫又ねこまたじゃな。尾を見てみろ、二つに分かれておるじゃろ」


 少女の発したといに、どこからか響いてきた壮年の男性の声が答える。


「ここらは街中じゃからな。大方おおかた、捨て猫が年を取るうちに猫又に化けたんじゃろう。最近は捨て猫でも長生きするからのう」


「分析は後回しです。それよりも今は対処法を」


「せっかちじゃのう。まあ言うても猫じゃ。少しキツめに痛めつけてやればこの場は逃げ出すわい。それでも人を襲うようなら、その時はこの街の地域猫がこ奴をどうするか決めるじゃろうよ」


「猫が決めるって……そんな適当な」


 声の軽い物言いに少女は鼻白はなじろむ。


「いやいや、なかなか馬鹿にできんもんじゃぞ? 地域猫のネットワークというやつは。公園やら空地やらに猫が集まってることがあるじゃろ? あれ、猫又含めたその地域の猫の町内会集会じゃからな。集会の決定にはたとえ猫又といえど逆らうことはできんのじゃ」


「本当ですか? ……まあ、それでいいならそうするだけですけど」


 眉間の皺を深くしながら少女は猫又に向き直る。猫又は未だ戦意の衰えぬ目で少女をにらみつけていた。


「そういうわけです、猫さん。すみませんが――」


 少女の言葉も終わらぬうちに、猫又は爪と牙を剥きだしにしておどりかかる。それに対して少女は静かに右手を掲げてこう続けた。


「――少し熱くしますよ」


 次の瞬間、宙をぶ猫又の顔面で鬼灯ほおずきのような赤い炎が炸裂した。



 目の前で繰り広げられる非現実的な光景を、男は驚愕と共に見守った。

 巨体に見合わぬ身軽さで地面から天井、天井から壁と縦横無尽に飛び回る猫又もさることながら、それに応戦する少女もまた凄まじい。猫又のすぐ下の地面から火柱を吹き上げさせたかと思えば足元に踊る二条の炎を壁に這わせて相手を追い詰め、時には自ら猫又に近づいて体表で炎を炸裂させる。猫又と少女が交差する度に猫又の黒い尾が、ピンと張った長いヒゲが、少女のふんだんにフリルが付いた白いスカートが、振袖のように広がった狩衣の袖が、見る者の目を引き付けるように揺れる、揺れる。

 男が息を呑んで見つめる中、ついに決着はついた。変化を解いた猫又がただの黒猫の姿となって逃走したのだ。


「意外と小さかったんですね」


「できるだけ姿を大きく見せて相手を威圧する。野生の本能じゃな。あまり知恵をつけているようでもなかったし、もしかしたら化けたてほやほやの新人猫又だったのかもしれんのう……ああ、いや、人じゃないから新猫か?」


「どっちでもいいと思いますよ?」


 気の抜けた会話を交わす少女と謎の声。しかし、それを見つめる男の目には、つい先ほどまでの美しく非日常的な光景が幻燈げんとうのように重なって見えていた。


「あ、そうだ。お兄さん、大丈夫ですか? どこか怪我などはありませんか?」


 狸の耳を心配そうにヒコヒコと動かしながら、少女が男の顔を覗き込んでくる。気遣いを浮かべた幼い顔―中学生くらいだろうか、と男は思った―に先ほどまでの落ち着きはらった表情が重なる。凛とした静けさと幼さに彩られた可憐さ。少女が持つ、相反する二つの美しさが重なった瞬間、男の脳裏に一つの言葉が思い浮かんだ。

 それは十年ほど前に当時の友人から聞いた言葉。これまで思い出すこともなかったが、その言葉こそ、まさにこの少女を表すものなのではないか。いや、そうに違いない。その言葉が表すところの意味をよく知らない自分だが、先ほどまでの非現実的な光景の中心にいた目の前の少女を表すのにこれほどふさわしい名前は無いということだけはよく分かる。


「あの……本当に大丈夫ですか? もしかして頭を打ってしまったとか?」


 少女が不安を顔に滲ませながら聞いてくる。本当ならここで大丈夫と答えて少女を安心させるべきなのだろうが、熱に浮かされたような男の頭は全く別の言葉を口から吐き出させた。


「君は……」


「はい?」


「君は、魔法少女な」


「違います!」


 男の言葉は喰い気味で否定された。


「……えっと」


「違いますから!」


「いや」


「本当に違いますから!」


「あの」


「私、魔法小女じゃありませんからっ!」


「あ、ハイ」


 戦闘中の落ち着きはどこへ行ったのか。顔を真っ赤にして否定する少女を前に、男も冷静さを取り戻す


「それじゃあ、その、失礼します!」


 顔の赤みも引かぬままにそう叫び、少女は闇の中へと消えていく。その後ろ姿を見送りながら、すっかり落ち着いた男はぼそりと呟いた。


「……帰るか」



***



 男が落ち着きを取り戻していた一方。

 逃げるように立ち去った少女の方はというと、住宅街の屋根の上で家路についていた。

 時計の針は既に夜の十一時をまわっている。学生が外出していて良い時間ではない。屋根を蹴る力も強くなろうというものだ。


「そんなにいそがんでも、家を抜け出しているのがバレたところで特に問題ないじゃろうが。ちょっとお前さんの家族の記憶を弄ればいいだけなんじゃから」


「そんなこと言われて頷く人がいると思いますか?」


「いると思うぞ? まあ、お前さんは頷かんじゃろうが」


「分かってるなら言わないでください」


 はあ、とため息をつきながら少女は自分の頭の上の狸耳を――謎の声の発生源であり自分に取りついている化け狸「キュウモウ狸」の一部であるそれをでる。


「……あなたに取りつかれてから三歳くらい老けたような気がします」


「良いじゃないか。年相応に見られたいんじゃろう? 見た目が十三歳くらいなんじゃから三歳老ければ十六歳。実年齢ピッタリじゃ」


「外見じゃなくて中身の話です。このままじゃ見た目だけじゃなくて精神面も年齢不相応になっちゃいます」


 疲れた声で答えながら屋根から屋根へと飛び移る。その途中、一瞬窓に映った自分の姿を見て少女は肩を落とす。

 低い背丈に起伏の乏しい体。キャリアウーマンのような「できる大人の女」っぽく見せたくてショートカットにしている髪も、童顔のせいでまるでおかっぱ頭のように見える。高めに見ても中学三年生、低めに見れば小学五年生くらいだろうか。お世辞にも高校生に見えるとは言えない容姿であるが、その上に今は変身中ということもあって白いゴスロリ浴衣のような衣装である。キュウモウ狸が言うにはゴスロリ浴衣ではなくゴスロリ狩衣だとのことだが、どちらにしてもゴスロリ系である以上幼い印象の服装であることには変わりない。


「あの……なんでこんなに子供っぽい衣装なんです? もっと大人っぽくても……」


「ん? そりゃあ魔法少女なんじゃから、それっぽく可愛い衣装にするのは当然じゃろう?」


「そんな理由なんですか、これ!? ていうか私、魔法少女じゃありませんからね!?」


「まあまあ、そう固いことを言うでない。ほら、外法げほう使いより魔法少女の方が可愛いし聞こえが良かろう? それになんやかんや言いつつお前さんだって結構ノリノリで魔法少女やってるじゃないか。さっきのセリフ、なかなか決まってたぞ。『少し熱くしますよ』だったかのう?」


「うぐっ。それは、その、雰囲気に飲まれたというか流されたというか……」


 返答にきゅうして、少女は顔を赤くしたまま黙り込む。

 出会ってから約半月、口でこの古狸に勝てたことなど一度もない。そろそろ聞き慣れてきたからかい混じりの笑い声を聞き、少女は思わず遠い目をする。

 思えば約二週間前、寒風吹き荒ぶ一月の河原で出会った時からこの古狸はこんな調子だった。

 家々の屋根の上を軽々と飛び回りながら、少女――渡辺瑞樹わたなべみずきは自分の生活を一変させるきっかけとなった一月半ばのある日の出来事を思い返していた。

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