第七節 嘘つき

 その後は大きな問題も起きず、ただひたすらに勉強と訓練を重ねる日々が過ぎ、先生方の厳しさに泣き言が漏れもしたが、なんとか〝げつめいつるぎ〟の全容を学び終えることができた。これからの授業は、試験に向けた復習となる。

 結局、ユアンは原典イコーナ学の小テストすべてで満点をとった。アステラ・ストーリアへの造詣はレグルスのほうがずっと深いはずなのに、レグルスは一度しか満点を取れなかったのにだ。だが、ユアンの好成績は決して才能だけで得ているものではない。彼の努力には頭が下がる思いだった。




 授業が終わって寮の部屋に戻り、疲れた体をベッドに投げ出す。


「はあー……」


 天井を見上げ、レグルスは呟いた。


「班分け、いよいよ明日かあ」


 班分けの発表が行われるのは、試験の三週間前の金曜日、ストーリア実習の時間と決められている。今日は、ふう曜日――だ。


「会うんだろう、あの人に」


 ユアンは机の上に教科書や台本を出しながら言う。あの人とはデネボラのことだ。レグルスがデネボラと会う約束をした期日は、今日。


「……俺も行く」

「へっ」

「あの人が何を考えているのか、少しでもわかれば……」


 デネボラがユアンを見たときの瞳には、ユアンを焼こうとする炎が燃えていた。ユアンがデネボラを気にするのは当然だろう。


「でもユアン、大丈夫か?」


 心配なのは、ユアンの精神面だ。デネボラの対応によっては、アステラパシーが悪いほうに作用してしまうかもしれない。


「嫌なことを言われる想像は十分にしたから、大丈夫……だと思う」

「う、うん」


 いいのか悪いのかわからないが、とりあえず頷いておいた。


「今日は、冷える。暖かい格好で行こう」


 冬用のコートを着込んで、二人は寮の裏の森へと向かった。




 森はすっかり冬の顔で、もはや緑の残り香はない。今年の落葉が済んだ木々の枝たちは、夜のほのかな星明かりの中で、寒々しく頼りない姿を晒している。

 レグルスとデネボラが毎週風曜日の待ち合わせ場所にしていた大樹も、今は葉を落とし枝と幹だけになっている。その樹によりかかって待つデネボラの髪のうすもえいろだけが鮮やかだ。


「こんばんは、デネボラさん」


 レグルスはいつものようにあいさつをする。


「こんばんは。おや、今日はキミも一緒に来たのかい?」


 デネボラに声をかけられ、ユアンの肩が跳ねた。しかし、彼はデネボラから目を逸らしはしなかった。


「ご一緒しても、いいでしょうか」

「うん、うん。構わないよ。けど、キミのように優秀な人が、ボクにわざわざ教わる必要があるのかな?」

「……俺は、ストーリアへの理解が不足しています。レグルスはあなたに教わるようになってから、明らかに上手くなった。彼の半年ぶんの空白を埋めてくれたよきせんだつであるあなたに、教えを乞いたい」


 デネボラは目を丸くした。その目に炎はない。レグルスも、よどみなくデネボラを賞賛したユアンに驚いた。


「……王子様にボクから教えられることなんて、あるかな?」


 ユアンとは対照的に、デネボラは言いよどんだ。言葉を探しているように見え、ややあってから次の言葉を発した。


「長い期間、キミの臣下を無断でお借りして申し訳なかったね」

「レグルスは、友達です」

「おや、そうなのかい? みんながキミたちを王子と臣下だと言うから、そうだと思い込んでいたよ」


 レグルスは、体の芯に熱さを感じた――どうやら、今のデネボラの言葉はユアンの心を揺さぶったらしい。


(もしかしてデネボラさん、ユアンを動揺させたいのか?)


 レグルスの頭に浮かんだ疑問に答えはない。


「さて、少しだけ合わせてみようか」


 デネボラはマフラーを外すと、地面に置いてある自分の鞄に押し込めた。


「〝月明の剣〟の舞台である月神山げっしんさんは、険しい銀嶺――かんに演じるのがふさわしい」


 デネボラは胸に手を当て、自身のアステラ・ブレードを引き抜いた。優美なレイピアの鍔に、小さな真紅の宝玉が輝いている。


フィオーレのカノープス、ルーナのサジェ、テッラの里長……三人だけのシーンなら、ボクたちだけでできる。さあ、やってみよう」


 レグルスとユアンも、自分たちのブレードを発現させた。

 凍てついた空気が、張りつめていく。


        ★ ☆ ★


 地の民の里から月神山へと続く参道の入り口に、三人はやってきた。里長レグルスは、ブレードの剣先で山頂を指す。


『ヴィルジェーニアスにまみえんと望むなら、月神山の参道を行かねばなりませぬ』


 カノープス《デネボラ》とサジェ《ユアン》が目指すのは、頂上にある月の神殿。月姫神ヴィルジェーニアスを祀り、かの神に直接謁見できる世界で唯一の場所だ。


『しかしいくさが始まり世が乱れてからは、山にも騒がしき魔の者たちが跋扈し……』


 不安げな里長にカノープスが言う。


『心配なさらずとも、大丈夫です』


 カノープスが剣を打ち振る――デネボラが披露する華麗な武踊は正確無比。舞うように軽やかで、細剣の切っ先は鋭く突き出される。


『これでも、腕には自信があるのです』


 里長はカノープスの剣技に感嘆し、カノープスは語り出す。


『連れの二人も、剣の腕は確か。里長よ、騒魔ぞうまがあなたに触れることはありません』


 中性的な声に、自信と矜持が滲む。しかし里長は腑に落ちない様子で周囲を見回す。


『カノープス殿、お仲間はお一人では?』


 里長はサジェを見る。サジェは、隣の何もない空間を指した。


『彼は陽の民なのだ。騒魔に気取られぬよう、彼は不可視のままあなたを護衛する』


 もう一人の仲間は、不可視の剣士ブランヴァだ。〝エルトファルの修行〟の時と同じように、ほかの種族からは見えない状態でその場にいる。しかし今回は他種族を侮っているからではなく、姿を消したまま戦うためだ。


 サジェは言う。


『ご安心ください。ブランヴァも、必要とあらば姿を見せるでしょう』

『わかりました……』


 里長は渋々了承する。


『では、出発しよう。里長、道案内をお願いします』


 カノープスが里親に恭しく一礼し、三人と見えない一人は長い参道を登り始める。




 一行は、襲いかかる騒魔を蹴散らしながら山頂の月の神殿を目指す。アンサンブルが演じる騒魔たち――今は、いないが――を相手に繰り広げられる武踊は、このストーリアの見せ場のひとつだ。危機的状況に陥る里長を、カノープスとサジェが代わる代わる助ける。

 ここでも、デネボラの武踊は圧倒的だった。芸術的ですらあった。共に演じている最中、レグルスは何度も目を奪われそうになった。


『くっ、負けてなるものか! カノープス、先に行け!』


 サジェはカノープスを神殿へたどり着かせるため、追いすがる騒魔を一人で引き受ける。


『心配するな、あとで必ず追いつく!』


 ここで三人での場面は終わり、舞台は暗転する――


        ◆ ◆ ◆


「……うん、うん。この程度なら……ボクは、大丈夫だ」


 デネボラがアステラ・ブレードを一振りすると、ブレードは緑色の光となって消えた。


「すっげぇ……」


 自分の役を演じるデネボラを目の前にして、レグルスは圧倒された。デネボラは常に輝くフィオーレ・アステラを纏っていて、本人が輝いているようですらあった。一年前にチャリティーストーリアで見たときよりも、ナイドルとしての実力に磨きがかかっている。

 対して、どうにもユアンは精彩を欠いていた。武踊にも演技にも、彼らしくない迷いがあった。

 レグルス自身に関しては――自分のことながら情けないが、二人とくらべるのはおこがましいレベルだ。


「ユアン。キミは自分の課題がわかっていたね。ストーリアへの理解が不足している」

「……〝月よりの監視者サジェ〟が、何者なのか、わからない」

「月の民の有力部族がカノープスを見張るために送ってきた使者だろう?」


 ユアンは俯き、息を切らしながら言う。


「なぜサジェは、カノープスやブランヴァを、こんなにも信頼しているのか、逆に、カノープスからサジェへの信頼も、いつ、どうやってはぐくまれたのか……どんなに調べても、わからなかった」

「背景がわからないと演じられない、か」


 デネボラが鼻で笑ったように見えた。


「……それと、気が、散って」

「へえ? 演じるときに集中していないなんて、余裕だね」

「あなたが……」


 ユアンは一瞬、その続きを言うべきか迷ったようだった。

 だが、意を決した様子で、


「嘘つき、だから」


――と、言った。


「へっ?」


 レグルスにはユアンの言葉の意味がわからない。

 だが、デネボラの顔は――凍りついていた。


「キミに、キミに……なにが、わかると」

「カノープスを演じているときのあなたは、心から楽しそうにしていた。だが、俺やレグルスに話しかけたり、なにかを語るときは、芝居をしている……と思う。あなたは、ストーリアを演じていないとき、ずっと演じている。ずっと、嘘をついている」

「……それが、王子様の見解?」


 声を震わせるデネボラの瞳に、またあの銀色の炎が灯る。だがその炎からは、まるで温度が感じられなかった。


「臣下の目はごまかせても、主はそうはいかないとでも言いたいのかな?」

「……」


 ユアンは何も言わない。二人の間で板挟みになったレグルスは困惑するばかりだ。


「レグルス。王子様はキミとボクが付き合うのをよく思っていないようだ。会うのはこれっきりにしよう」

「デ、デネボラさん……」

「オーディション、お互い頑張ろうじゃないか。でもレグルス、キミのライバルは手強いよ」

「へっ、ライバル?」

「里長の役を賭けて戦う相手さ。ボクの同室のオズ――オズワルド・ラサラスは、ボクたち四九期の次席だ。彼は、テッラ・アステラなんだよ」

「じ、次席……」

「トップはもちろん、聞かなくてもわかるね? それじゃあ、ボクは失礼するよ」


 デネボラは地面に置いていた鞄を持つと、手をひらひらさせながら去っていった。

 あとには、レグルスとユアンだけが残された。曇り空は静かなのに、冬の冷たい嵐に晒されたような心地がした。




「……なあ、ユアン」

「あの人は、わざと、俺や君を挑発している……と、思う」


 レグルスが何を尋ねようとしたのか、言わずともユアンは察したようだった。どうしてデネボラにあんな言葉をかけたのか。


「理由は、わからない。あの人の態度、行動、口調、声色……から、そう感じるだけだから」


 ユアンは、他人の目や態度に敏感だ。レグルスから見れば気にしすぎ、考えすぎと思えることもあるが、デネボラについてはあながち的外れでもない気がする。レグルス自身も、デネボラに得体の知れない違和感を抱いていたのだから。


「あの人の心は、隙間だらけだ……」

 その声には、デネボラを責める響きは微塵もない。敵意を隠そうともしなかったデネボラを、ユアンは。でなければ、「心に隙間がある」という表現を選ぶはずがない。


 心の隙間――それは、ユアンの母セシリアをかつて悩ませていたものなのだから。

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