第三節 二人だけの入学式

 学園長室は入口側以外の壁が全面、窓になっていた。この部屋からは正門以外のすべての施設が一望できるらしい。部屋の手前側には応接用のテーブルとソファ、奥には執務机。学園長のものらしき革張りの椅子は、レグルスたちに背を向けていた――誰かが座っている。


「が、学園長! はじめまして、明日から入学するレグルス・フィーロです。よろしくお願いします!」


 レグルスのあいさつから少しの間を置いて、ゆるりと、椅子が回った。


「こんにちは、レグルスくん」


 座っていたのは、銀髪をひっつめにした白衣の女性だった。夜に朧月の光を宿したような不思議な色彩の瞳が、すーっと、レグルスの頭から爪先をなぞる。


「待っていましたよ」


 女性は、艶然と微笑んだ。ぞっとするほど美しい笑みに、心臓が大きく跳ねた。この世ならざるもののようなその姿――吸い込まれそうな瞳に気圧されて、声が出ない。


「ふふ、初々しいですね」


 そう言いながら女性は、大きなレンズの丸眼鏡をかけた。すると、先ほど感じたすさまじい存在感が消え、すっかり印象が変わってしまった。夜空を流し込んだような神秘を湛えていた瞳も、今はただの黒に見える。


「ジニー、眼鏡を外さないように言っただろう。君の眼力はちょっと強すぎるんだから」

「ごめんなさい。編入生くんをしっかり見てみたくって、つい」


 ジニーと呼ばれた白衣の女性は席を立つと、執務机の傍らに何気なく位置取った。


「私はジニー。ティターニア学園の保健医兼スカウトマンです。ユアン君、体調は問題ないですか?」

「はい」


 ジニーはユアンに向かってニコリと笑った。色気はまったくなく、あえて言うならそれは慈愛の笑みだった。


「保健の先生で、スカウトマン? 学園長じゃないんですか?」


 レグルスが尋ねると、ジニーは不思議そうな顔をした。


「学園長なら、そこにいるじゃありませんか」


 レンズ越しの視線の先には、案内役を務めた少女の姿。


「えっ? この子、いや、この人が……学園長!?」

「あ、驚いてくれた? よく言われるんだ、童顔だって」


 可憐な少女にしか見えない学園長は、驚くレグルスを見て悪びれもしない。


「あと、女の子みたいだともよく言われるよ。こんなに紳士なのに失礼な話だ」

「えぇっ!?」


 今度こそレグルスは仰天して声を堪えられなかった。学園長はジニーが降りた椅子に座ると、意地悪く口角を上げる。ジニーがそんな彼に釘を刺す。


「相変わらず悪趣味ですね、ミア」

「ふふ、人が驚くさまというのはいつ見ても心が躍るよ。私はミア・プラキドゥス。ティターニア学園の学園長です」

「レ、レグルス・フィーロです」

「ふふ、知ってるよ。君のご両親とは旧知でね、息子をくれぐれもよろしくと言われてる。まあ、だからと言ってひいきはしないけど。でも、一般入試に受かったはずの君の入学を半年も遅らせたことへのフォローは必要だね」


 レグルスは意を決して、ミアに尋ねてみた。


「……あの、どうしておれはすぐに入学できなかったんですか?」


 入学保留――レグルスの夢を阻む得体の知れない壁。この半年間は、今にも消えてしまいそうな光にひたすらすがり続けるだけの、闇の時間だった。母に教わりながらなんとか課題をこなし、休日にアステレヴィジョンで放映されるストーリアを観賞することだけが、レグルスのなぐさめだった。だから、理由が知りたい。

 ミアはひどくばつの悪そうな顔をした。


「それは……教えられない。申し訳ないけど、話すわけにはいかないんだ」

「……どうしてもですか?」

「どうしても。代わりに、レグルス・フィーロ、君を五〇期の主席生徒であるユアン・アークトゥルスと同室とします。半年分の遅れを、彼から学んで取り戻すように。よろしくね、ユアン・アークトゥルス」

「……そんな話、俺は聞いていませんが」

「あらかじめ言えば君は断るだろう? 頼むよ。君たちは二人とも期待の星なんだ」

「そんなこと言われても――」

「おれも!?」


 不満を述べようとするユアンを遮って、レグルスは執務机に両手を突き、勢いよく身を乗り出した。


「おれもですか? おれも……星みたいなナイドルに、なれますか?」

「もちろん。君たちはまだ原石だけど、磨き上げれば星の輝きを得るだろう。この学園で互いを磨きあえば必ずね」

「おれ、星みたいなナイドルになりたいんです。どんなに落ち込んでる人の心も照らせるナイドルに!」


 ミアは目を細め、レグルスにやさしく微笑みかけた。


「君の瞳は、太陽のように眩しく燃えている……」


 ミアの緑色の瞳はレグルスではなく、レグルスの向こう側にあるなにか、あるいは誰かを見ているようだった。


「ミア、そろそろ入学式を始めましょう。二人とも、姿勢を正してくださいね」


 ジニーの言葉を受け、レグルスはユアンの隣に並び直し、背筋を伸ばした。


「では、まずは私から」


 椅子から立ち上がり、窓の向こうに見える真昼の太陽を背負ったミアの姿は、どこか神々しさすら感じさせた。


「学園長のミア・プラキドゥスです。ティターニア学園へようこそ。狭き門をくぐり抜けた君は……ううん、君たちは、夢へと続く長い旅を始めることになります。この学園での日々は、君たちに得難い経験をさせてくれるでしょう。しかし漫然と過ごしているだけでは、得るものは少ない。君たちが将来輝くために絶対不可欠なもの、それは共に高みを目指す仲間であり、ライバルです。現在も活躍する卒業生たちはみんな、この学園で確かな絆を育み、共に飛び立っていきました。君たちが彼らに続けるよう、職員一同、協力は惜しみません。いつでも、なんでも聞いてください。……ちなみに、よく聞かれるので先に答えておきますが、私は男です。以上、あいさつを終わります」


 ミアが静かに着席すると、ジニーが次のプログラムを述べる。


「次は、新入生による誓いの祝詞のりとです。新入生代表、ユアン・アークトゥルスくん」

「……聞いていませんが」

「でも、これは入学式なんだよ。祝詞、覚えてないかな?」


 ミアは困った顔をしているが、その声には口答えを許さない強さがある。


「半年も前のことなので、自信がありません」

「覚えてるところだけでいいから」


 それなら、とユアンはしぶしぶ了承し――それまでのけだるげな様子を一変させた。


         ★ ☆ ★


『我ら、ナイドルを志す者!』


 ユアンは声を張った。空気が、しんと冷えた。窓の向こうの太陽は変わらず輝いているのに、部屋の中に安らかな闇が広がっていくような心地がする。


『地母神マーテルアスの名の下、今ここに誓いを立てん』


 夜のように静かで、月のようにまばゆい天性の光。レグルスはユアンを食い入るように見つめたが、そのことに自覚的ではなかった。ユアンの声が、姿が、何もかもが、きらめくような魅力に満ちていて、どうしても無心に見つめてしまう。目が離せない。


よんだいしんより賜りし、内なるアステラの光もて、世界に歴史と感興を』


 それでも、ユアンが放つアステラはまだ未熟なのだ。それは当然のことで、己が宿すアステラを真に発揮するためには、ストーリア〝地母神の加護〟――アステラ診断とも呼ばれる――を演じ、己を知り、己の殻を破る必要があるからだ。

 ティターニア学園の一年生は、夏休み明けに前期期末試験課題として〝地母神の加護〟を演じる。そのときに初めて、自らの内に宿るアステラの質を知る。レグルスのもとに届いた年間予定表にもそう書かれていた。

 だが、レグルスにはわかってしまった。わからされた。ユアンのアステラは間違いなく、月――ルーナ・アステラだ。


『大いなる四大神――陽主神ようしゅしんロッサ・ステラトス・ギガンティス、月姫神げっきしんヴィルジェーニアス、風遊神ふうゆうしんヘルマ・カサノヴァトス、地母神マーテルアス。我らの祖たる神々の、色褪せぬ輝きを分かちあい、戦なき世に記憶を伝えよう』


         ◆ ◆ ◆


「……新入生代表、ユアン・アークトゥルス」


 ユアンがひとつ息をつくと、ミアとジニーは彼に盛大な拍手を贈った。


「完璧じゃないか! 君は本当にすごいよ!」

「素晴らしいわ。あなたをスカウトした私の目は確かでした」

「……ありがとうございます」


 レグルスは、呆けていた。

 ユアンがそらんじたあいさつは、あらゆるストーリアの元となる神話――原典イコーナの、最終章の一節だ。

 演じたわけでも、舞ったわけでも、歌ったわけでもない。ただ祈りの言葉を唱えただけ。それだけだ。まだ何者でもない、祝福をくださった神が誰かすら知らないユアンが、己の中でまだ眠っているはずのアステラを輝かせて、見る者の魂を震わせた。半年前のチャリティーで見たデネボラ・ストーンよりも、ユアンは輝いて見えた。あまりの興奮と感動に、全身が熱を持ってのぼせあがりそうだ。


 レグルスは確信した――目の前にいる彼は、天才だと。

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