回答①

 今までの段階で一件だけご意見を頂きました。ありがとうございます。それでは早速ご紹介させて頂きます。


「不得意な子は問答無用で「馬鹿」のレッテルを貼られ」

これね、レッテル貼ってるのは誰だと思います?教師?違うんですよ。自分自身だったり、同級生だったりがレッテル貼ってるんですよ。

子供ってのは、ささいなことで、いとも簡単に過信したり、あきらめたりするんです。覚えあるでしょう?

そこを強制してでも乗り越えさせたら、また意識が変わったりするんです。

義務教育で全教科を必須にしているのはそういうことだと思います。


ところが受験、進学率とかを重視して乗り越えさせるんじゃなく、分類して出荷する。これは生産であって教育では無いです。


 これを分かりやすくまとめると

・馬鹿のレッテルを張るのは教師じゃない

・子供はすぐ諦めるから少しくらい強制した方が良い

・受験は困難を乗り越える目的で行うべき

といった感じでしょうか。


 正直「え?あなた僕の文読みましたか??」って感じなんですけど、それだけだと「煽ってんのか」とか逆ギレされそうなので、説明できるところだけしておきます。


 まあ、まず最初のところから触れていきましょうか。どうやら僕の「不得意な子は『馬鹿』のレッテルを貼られる」というところに食いついてくださったようです。しかし、どうやら根本から僕の文を読み違えているようですね。


 子供に『馬鹿』のレッテルを貼るのは教師でもなく、ましてや子供たち本人でもなく、社会です。教育制度です。ミクロに言えば学歴差別や評価基準、テストの点数です。


 教師だって子供を貶めようとして仕事をしているわけがありません(基本的に)。しかし、現在の方法に則って学習を進めると、間違いなく(特に苦手な子の)やる気、尊厳を奪うことに繋がるのです。



 次の「少しくらい強制してもいいんじゃない?」っていう話に入りましょう。


 突然ですが、今から円周率を覚えてください。3.14……ってやつです。そうですねえ、ではまずは1000桁くらいいってみましょうか。ちなみに覚えるまであなたの好きなことはできません。食事など必要最低限のことはやってていいですが、1000桁覚えるまではそれのことだけ考えててください。


 「何言ってんの、そんなことできるわけないじゃん」と思った方、あるいは「簡単じゃん」「もう知ってるし」という方の二手に分かれると思います。この現象、どこかで見たことないですかね。


 そう。今の教育のやり方そのものです。もちろん、できるできないの比率の違いはあれど、形式として大した差異はありません。できないことを強制されるってこれだけ理不尽なことなんですよ?ちなみに、1000という数字は小学校で習う漢字の数とほぼ同じです。


 もし円周率ができちゃった人は、日本の市町村名すべて覚える、でもなんでも構いません。とにかく、人にはそれぞれの能力、興味の違いがある、ということを感じて頂ければいいのです。


 さて、大人でもできないことを子供に押し付けていいものでしょうか。「私ができたんだからみんなできるでしょ」とか甘ったれたことを言ってる人はもうお話にならないので帰ってください。


 前にも言った通り、発達障害というのは健常者よりも不得意が顕著なだけである、というお話をしましたが、彼らもまた「頑張ればできる」という謎の根性論で苦しめられています。昔より理解が広がってはいますが、今もまだその根性論を振りかざす人を目にします。


 ご意見の方ではその根性論を理由に「全教科が義務教育になっている」と結論付けていますが、それは正直義務教育の意味を取り違えています。義務教育とは「必要最低限知っていなければならない」ものではなく、「必要最低限知っているべき」ものなのです。この二つの違いは非常に大きい。


 つまり柔らかく言えば「知っていると何かと便利だよ」ってことです。「知っている『べき』って書いてあるじゃん」と言う人もいるでしょうが、それは推奨しているだけであり、強制されているものではありません。


 だからこそ、「普通ならこれくらいできてなきゃ」などということは一切ないですし、その出来不出来で分けられるなんて論外です。そこで、僕はこの文章で長々と申しているわけです。テストはいらん。数字の評価はいらん。義務教育は授業でさらっと流すだけにして、意見を言う能力を向上させろ、って。


 あとそもそも論なんですけど、「教科書に絶対性はない」っていう話をしているのに、なぜこういう話が浮かんできたんですかねえ……。根性論とか以前の問題ですよ。



 最後に、受験は人生の壁みたいなものだという話ですが、正直それしか人生の壁がない人ってよっぽど悲しい人ですよ。何か打ち込めているものがあるならば、受験なんていうものをわざわざやらずとも、壁は勝手に現れるのです。


 よく、受験勉強は忍耐力をつけるとかなんとか綺麗事を言われますけど、忍耐力など部活や自分の趣味に没頭していればいくらでもつくものでしょう。受験を乗り越えたら強くなるなんてのも同じです。



 ここまでほぼご意見を完全否定しますが、仮に「本人が選んだ道」ならば、周りが介入して、半ば強制的に継続させるのはアリだと思います。それも行き過ぎれば押し付けになってしまいますが、好きなものでもなんでも、停滞期というのは必ず存在するからです。精神的なもの、あるいは技術的、肉体的なもの、いろいろあるかと思いますがそういったときは周りが全力でサポートすることが重要です。



 今回はご意見に対して、といった形になりましたが、僕の意見としては

・馬鹿のレッテルを貼るのは社会

・子供だからと言って無闇に強制してはならない(様子を見て介入はアリ)

・困難なんか用意しなくたって自然と現れる


こんな感じです。


 このあとは他にご意見もなければ時事問題なども取り上げるかもしれません。それではごきげんよう。

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