小学校以前の話

 教育というものは、当たり前ですが小学校に上がる前から既に始まっています。


 保育園や幼稚園では、物心つく前から勉強をさせたり、マナーを学ばせたりするところもあります。早期教育ってやつでしょうか。


 先日、バスに乗っていたところ、小学校低学年と思しき子供たちと乗り合わせました。その際、別のバス停からもその子たちと同い年くらいの子供たちが乗り込んできました。

 バスは混んでおり、二人掛けの片方しか空いておらず、後から乗ってきた子が先に乗っていた子の横に座ろうとしました。その際、二人はこんなやり取りをしたのです。

「失礼します」

「どうぞどうぞ」

「ありがとうございます」

 ――度肝を抜かれました。まだ言葉もうまく喋れなさそうな(それはちょっと見くびりすぎかな?)歳の子供たちがそんなやり取りをし出すのですから。

 そして双方ともに、友達と一緒に乗っているにも関わらず、終点まで一言も発しませんでした。小声でのおしゃべりすらもなしです。

 私立小学校の子には見えませんでしたから(髪型や服装を見て)、幼稚園や保育園でしつけられたのかもしれません。


 これを読んであなたはどう思いましたか?


「礼儀の正しいいい子たちじゃないか」


なーんて思いました?


 率直に言って、僕は気持ち悪いと思いました。


 だってよくよく考えてみて下さい?あなたは小学校低学年の時、何してました?


 僕はその頃、外を走り回ってぎゃーぎゃー言ってましたし、近所の畑に侵入して「秘密基地だー」とかってバカなことしてましたよ。友達とバスに乗った日にはお喋りして注意されてたかも分かりません。あなただって、程度の大小はあれど、人様に迷惑をかけてたやんちゃ坊主な時期があったでしょう。


 それが喋らないんですよ?一言も。


 これがまだ、マナーの意味を理解しているならいいのです。「こうしちゃダメ」に対する「なんで?」が本人の中で解消されていればいいんです。


 しかし、最近の子供はこう教わっているはずです。


「ダメだと決まっているからダメなんだ」


と。


 保育園、幼稚園、もしくは親に、ひたすら「バスの中では喋っちゃダメ!ダメ!」と言われ続けてきたのでしょう。「迷惑になるから」と説明したところで、それを本人たちは理解しているでしょうか?実際のところ、9割以上は「怒られるからやらない」と言ったようにマナーを「押し付け」られているのではないでしょうか。


 教育というのは押し付けるものであってはなりません。むしろ「教える」っていうのがいけない。子供は自分で「学ぶ」んです。周りがそれをサポートするのがあるべき「教育」でしょう。


 例えば、マナーを身に付けさせたいなら、「なんでダメだと思う?」と本人に訊ねるのがてっとり早いです。もしそれで答えられるならば、本人がしっかり自分で理解していることになります。(もちろん、誰かに「押し付け」られる前に限りますが)


 もし答えられないようならば、それはそれでいいのです。マナーなんてそんな早くに覚えるべきものではありません。


 それこそ幼少期は馬鹿な事をやって怒られて、自分で学んでいくものです。「押し付け」られた子供たちは、その馬鹿をやる自由すらも剥奪されています。馬鹿な事をするのは当たり前の年齢なのです。


 早期にそう言った論理的「教育」をしても、将来の学力や知能にはあまり関係のないことが証明されています。逆にそういった、いわゆる早期教育などというものは、子供の発達に悪影響を及ぼす可能性があります。


 幼少期は論理的な思考などを育てるよりも先に、たくさんの経験をさせることが先決です。「教える」より「学ぶ」、これ、キーワードです。


 先ほどの馬鹿をやる、というのも一つの「経験」ですし、自然に直に触れたり、音楽や絵など、芸術的な、遊びと言われるようなことをたくさん「経験」させることで、本人の思考の基礎となる部分が出来上がってきます。また、ここでの好き嫌いや出来不出来によって、その子にどんな特徴があるのか、何に興味があるのかが明確化し、それから先の指針にもなります。


 早い時期に「押し付け」を行うと、本人たちはその「押し付け」を絶対視します。例えば先ほどのマナーで言えば、マナーを絶対視してしまい、自分へのストレスになるだけでなく、思考が凝り固まってしまいます。


 つまり何が起こるかと言うと、「意志が消滅」します。周りに従え、周りと足並みを合わせろ。そう小さい頃から言われ続けることによって、自分の考えを持たなくなってしまうのです。(ちなみにこれは小学校から大学を通して同じです)


 だって、考えなくても他の人がレール敷いてくれるし、自分の考え(例えばバスの中で遊びたい、とか)を言っても即座に問答無用で却下されるし。おまけに周りの子たちがそれに従ってる。それならなんでそれにわざわざ反抗する必要がありますか――?


 早期教育は知能向上に繋がらないだけでなく、本人の自我さえも奪いかねない、危険な「教育」なのです。


 それが今の子供たちの現状です。多かれ少なかれ、日本ではこの「教育」がオーソドックスですし、これから先で話をしていく小学校、中学、高校、大学に関しても、これが僕の意見の中心になってきます。


 とりあえず、ここまでで僕の意見をまとめておくと、

・早期の論理的「教育」は控えるべき

・幼少期は色々な経験をさせるべき

・「押し付け」はどんな形でも悪影響!

・「教える」より「学ぶ」


 ということです。これを踏まえて、次の章では小学校での「教育」について見ていきましょうか。

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