輝石学園マネージャー科 6

                       ☆


 俺は学園内にある噴水を眺めながらベンチに座っていた。


 走り回って汗をかいて体が熱くなっているから冷ましている最中だ。


 試験を終えた女子達が俺の目の前を通り過ぎていく。


 眼前に広がる中学生の集団はどいつも俺の中学校ではお目にかかれないほど可愛い女子ばかりだった。

 

 マネージャー科を受けてたであろう男達の視線も自然とそちらに向いていた。


 そういえば今日アイドル科と試験もやってるって袖浦そでうらが話してたな。


 こんなにもレベルが高いものなんだな。袖浦が気後れするのも頷ける。


 それよりもこの後どうしよう。勢いで面接を断ったけど。俺、働かないと生きていけない人間なんだけど。


「ま、選り好みしなきゃ仕事なんていっぱいあるだろ。建設作業員とかさ」


 俺は脳天気に青い天の海を眺めた。


 結果的には俺がやった行動は無駄だった。無駄骨ってやつだな。ただ心は不思議とこの空のように晴れ晴れとしている。やってよかったと思えた。


 さて、今から会社に向かおう。面接時間はとうに過ぎている。ただ俺は謝りに行かなければならない。そして、それが終わったら今度はうちの担任だ。


 俺の勝手な自己満足のせいで被害に遭ってしまった人たちだからな。


 許してくれるかわからないけど、けじめはしっかりつけないといけない。


 ただ面接に行けなかった理由はどうするかだな。忘れてくれってさっき言われてしまった。


 寝坊というのにしてしまおうか。いや、それをやると確実に担任から落ちる雷が二倍になる。


「おや。随分と汗をかいているね」


 声がするほうに振り向く。そこにはネズミ色の作業着の白髪の頭のおじさんが立っていた。


 人の良さそうな笑顔でこちらを見ている。


 白い軍手を黒く汚してズボンの膝には土がついている。噴水の近くには花壇があった。この花壇を管理している事務員だろうか。


「あー突然ごめんね。私は神谷かみやというこの学園の花壇を手入れしている男だ。こんな時期に汗をかくなんて珍しくてね」


「さっき結構体動かしたんで」


「アイドル科の受験生かい?」


「見えます?」


「はは、いい顔しているから思わず勘違いしちゃったよ」


「まず性別の時点で引っかかりますよ」


「確かにそうだ。そうなるとマネ科の子かね?」


「……」


 違います、と喉元まで出かかる。どう答えようか迷うな。あの派手な口紅をしていた教師に口止めされている。学校の関係者ではあるが言っていいものなのか。


 俺の返答がすぐにないことに神谷さんは首を傾げた。


「はい」


 ここは素直に黙っておこう。俺だって今日の出来事を学校に報告されたりしたら面倒だ。



「ほう。そうなると試験で体を動かした、というわけだね」


 神谷さんは本格的に俺と話そうと隣に腰をかけてきた。お喋り好きな気のいいおじさんなのだろうか。今は特に時間に迫られてるわけではないので話に付き合うか。


「そんな感じっす」


「そんなハードな試験だったのかい?」


「いや、試験自体は名刺を集めろっていう単純なやつだったんですけど、俺出遅れちゃってて。誰よりも急いで回収しなきゃいけない状態で全力疾走しながら集めてたんすよ」


 今日は本当に疲れた。こんなに走ったのは今年の秋を過ぎてからは記憶にない。それまでは部活を引退してからも高校に向けて体作りを怠ってはいなかった。


 ただ今は走り込まなくなったので体力が格段に落ちている。

 

 今の自分の体がこんなにも重かったとは思わなかった。


「ほう……それで名刺は集まったの?」


「百枚くらいは」


「百枚……!? 随分と頑張ったんだね……どうやってそんな数を?」




「ここらへんの企業を片っ端から回りました」




「企業に訪問したのかい?」


「企業のオフィスに出向いてそこにいる全員の名刺をもらったほうが早いじゃないですか」


「確かにそうだが……」


「最初は試験官の言ってた『道端の人に声をかける』っていう言葉に引っ張られてたんですけど、なにもそれを忠実に実行しなくてもいいのかなって考えたんです」


 あの教師は企業に直接行ってはいけないという禁止事項は設けてはいない。


 だったら道端で声を掛けるよりも確実に名刺を持っている人が集まる会社に赴くのが一番効率がいい。


 神谷さんは感心したように頷いた。


「ただここらへんに企業なんて数はないだろう。探している間に時間が過ぎてしまいそうなものだが」


「そうなんですよね。だから効率をあげるために不動産屋に行ったんです」


「……どうして不動産屋を?」


「ほら、不動産屋って企業とかにも物件を売ってるじゃないですか。だから名刺をもらうついでにここらへんの物件でオフィスとして扱っている場所を紹介してもらったんです」


 最初から上手くいったわけではない。ベッドタウン故に不動産屋は駅の近く多かった。すぐに見つけられた。

 


 ただ、一軒目の大手っぽい不動産の人は、名刺はあげられるけど顧客情報は教えられないと断られた。


 二軒目に至っては名刺すらもらえず門前払いだった。


「でも、場所を紹介してもらうのは苦労しただろう」


「そうっすね。結構断られました。ただ三軒目のおっちゃんがいい人だったんすよ。最初は怖いおっちゃんだなって思ったんですけどね。人の顔を見るなり子供が来るような場所じゃないって怒鳴られて。事情を説明しても帰れの一点張りでした」


「ふーん、そこからどうしたんだい?」


「そんな冷たい態度とっていいのかー。受験生の将来がかかってるんだぞ、会社の位置くらい教えてくれたっていいじゃないかって言ったら、渋々了承してくれました」


 それを言っても最初は断られたけど土下座をして必死に説得したら納得してもらえた。時間的にもその不動産屋を逃したら厳しかったからこっちもなりふりかまっていられなかった。


「ははは、『受験生である』という武器を使って営業を成功させたんだね」


「ただそれだけで終わらなかったんすよ。その不動産屋のおっちゃんが企業の人と俺をつないでくれたんです。アポもなしに会社に行ったら迷惑だって言ってね」


「……なるほどね」


「そこからは連鎖的に行く先々の会社で次に繋げてもらえました。最終的にはここらへんで一番大きいビルに入ってる企業を紹介されて、わらしべ長者みたいな気分でしたよ」


 不動屋さんに紹介された会社は本当に小さな所だった。だが、そこの会社の人にもよくしてもらいそこから近い取引先の会社に連絡してもらうことが出来た。


 なんでも娘さんが俺と同い年で受験生は放っておけないとかで。


 そして、どんどんと会社の規模が大きくなっていき、それに連れて集まる名刺も増えていった。


「見事飛び込み営業を成功させたというわけだね!」


 神谷さんは、ぱんぱんと両手を叩いて俺を賞賛する。なんだか恥ずかしくなるな。


「そ、そんな褒められるもんじゃないと思うっすけど……」


「いやいや、知らない会社に訪問するのは大人でも勇気がいる。しかも名刺をもらうだけとはいえ結果を残した。それは学生では中々出来ないと思うよ」


 神谷さんは嬉しそうに俺の顔を見た。褒められると悪い気はしない。俺は意外と営業の才能があるのかもしれないな。今度そういう会社の面接も受けてみようか。


 などと真剣に考えていると目の端に見覚えのあるコートを着た少女を見かけた。あのコートは確か袖浦だ。


 慌てた様子で非常階段のある方向に駆けていった。曲がり角を過ぎると姿が見えなくなる。どうかしたのだろうか。


「なにを見ているんだい?」


「あ……すいません。ちょっと知り合いを見かけたんで行ってきますね」


「こちこそごめんね。年寄りの話に付き合わせてしまって」


「全然いいっすよ」


 その言葉を最後に俺はベンチを立ち上がり非常階段に向かう。


 神谷さんって事務員のわりには品のある喋り方してたな。よくよく見ると白髪の頭もしっかりとセットされているように見えた。一応学校にいる人間だし事務員でも色々と気を使っているのだろうか。


 うちの学校の事務員のおっちゃんはハゲ散らかしてて清潔感なんて皆無だけど。


 非常階段に近づくと段々とすすり泣くような音が聞こえてきた。泣いているのはもしかして袖浦か。俺は駆けて袖浦の元を目指した。


 非常階段には袖浦の姿はなかった。ただ押し殺そうような泣き声は未だに聞こえた。


 ちょうど階段の下に空間があるのに気づき回り込むと、座り込んだ袖浦を見つける。


 何かを両手で抱えて両足をハの字にしてうずくまっている。顔を伏せているのでよく見えないが服装と体格からして袖浦だろう。


「袖浦か?」


「え……? 大元……さん?」


 おもてを上げる袖浦。幽霊を見るような信じられない目で俺を見る。その顔は酷いありさまだった。涙で顔がくしゃくしゃになり、何度も目を擦ったのか、まぶたが赤く腫れぼったくなっている。


「どうしたんだよ……」


「……」


「試験でなにか言われたのか?」


「試験……は……まだ……です……」


 袖浦は息と声を詰まらせながら俺に伝えてくれる。だったらどうして袖浦は泣いているんだ。俺が試験を受けている間になにがあったんだ。


 袖浦の胸に抱えているものに注目する。


「それ――」


「なんでもないです!」


 俺が手を伸ばすと袖浦の大きな声で拒んだ。

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