台所の怪異

 ある祭りの準備の日、手伝いのために朝日山神社に来ていた村の者が、忙しそうな神社の人たちのために台所を借りて軽食を作ろうとしたという。

 村人が台所に入ると、どこからともなく音が聞こえてくる。

 最初はすきま風と思った村人は、特に気にせず、手を洗い、米を炊く支度をしはじめた。

 しかし、その音は次第にハッキリと、大きくなってくる。ぼそぼそ……となにかを呟く声のようだ。

 はて、誰か隠れているのかと、村人は声に耳をすました。


『キリタイ……キリタイ……』


 その声は、ただひたすらにそれだけを繰り返し呟いている。

「誰かいるのか……?」

 誰かのイタズラと思った村人は部屋の中でそう声をかける。しかし、声はひたすら「キリタイ」とだけを繰り返す。

「い、いるなら出てこい。根性悪いぞ」

 村人は声を頼りに部屋の中を探してみるが、人の姿はとんと見当たらない。

 しかし、変わらず声はどこかから聞こえてくる。

 ついに怖くなった村人は、堪らず悲鳴をあげて神社の者がいるところへと逃げ出し、彼らに今あった出来事を説明した。

 神社の者はその話を馬鹿にするでもなく親身になって聴き、しまいには

「怖い思いをさせてしまい、大変申し訳ありませんでした。後ほどしっかりと言い聞かせておきます」

 と頭を下げてきたという。

 それからというもの、村では


「神社の台所にはお化けが出る」

「きっと噂の付喪神だったに違いない」


 と度々口の端に上るようになったという。



***



高音たかね! しばらく外部の人が出入りするから静かにしているようお願いしたじゃない!」

 台所に入って一声、後ろ手に戸を閉めると、千春は台の上に置いてある包丁へと足早に近づいた。

 すると、なんと包丁がカタカタと音を立てて声を発したではないか。

「千春……切りたい……お野菜……お肉……お魚……うう……硬いものは嫌……」

 包丁の訴えに、千春は苦虫を噛み潰したような顔になる。

 包丁の付喪神である高音は、とにかく切るのが好きだった。というよりも、料理が好きらしい。たまに人型をとっては勝手に晩飯を作っていたりする。これがまた、美味しいのなんの。

 たまにしかしないのは、料理をする時に自分の手のみを本来の包丁に戻して使用するために、見た目が腕から刃物を生やしたいかにもやばい人になってしまうためだ。

 本人はそれが当たり前だからか何一つ気にしていないが、千春が頼むから控えてくれるようにとお願いしていた。

 硬いものを嫌がるのは、うっかり本体が欠けると付喪神として力を失ってしまうから、という理由かららしい。

「まあまあ、千春。そう怒るなよ」

 突然千春でも高音でもない声が聞こえて、千春はキッ! と部屋の隅に置いてある水瓶の方を向いた。

「うるさい。だいたいなんで水明すいめいは高音を止めるなり知らせに来るなりしてくれなかったのよ。そしたら最初からあたしが来たのに」

「人に見える形で化けて欲しい時は中の水抜いとけっていつも言ってるだろ。本体ごと化けるから、中が空でも重いから嫌だけどな。それにうっかり転ぼうものなら割れるんだぞ!? やっぱ普通に嫌だろ」

 瓶の付喪神・水明は、本体である瓶の中から男性の姿で顔を出す。浅黒の肌に水を写した青い髪と瞳。肌の所々には本体の瓶と同じ陶器が露出している。

 一目で明らかに人外だとわかる容姿である。徒人ただびとの目に映さない時の定番の姿だ。

「ここの怪異の噂なんて今に始まったことじゃないんだし、一個くらい増えたって平気だろ。気にすんなって」

 頬杖を付きながらカラッと笑う水明に、千春は冗談じゃないと声を荒らげる。

「気にするわよ! ここ、神社! 曰くつきのものを預かって祓えてないどころか妖が跋扈ばっこしてるなんて言われるようになったら、もはや神社の面目丸潰れよ……」

 怒ったと思えば意気消沈して悩み始める。その傍らで高音は相変わらず

「うう……切りたい……」

 と嘆いている。

 その嘆きが届いたのか、今はそんなことを考えている場合ではない、と一通り喚いて気分が落ち着いた千春は、改めて高音に向き直る。

「我慢できない?」

「もういっぱい我慢した……」

 弱々しく訴えているが、我慢させて一日経っていない。

「お手伝いの人がいっぱい来てる……料理の腕を振る舞う絶好の機会……」

 それなのに祭りが終わるまで台所に立つな、なんてヒドイと言いたいらしい。

 いやいや、付喪神が作った料理を振る舞うなんてことをしたら、それこそ変な噂が立ってしまう。ただでさえ料理の腕も千春と千春の母を飛び抜けているのに「誰が作ったのか」なんて聞かれそうな状況を作るのは御免被りたい。

 だが、高音の場合、料理として何かを切らないと気が……と、千春はそこで閃いた。

「じゃあ高音、お漬物切ってくれる?」

「切るっ!」

 打てば響く速さで返事がきたかと思えば、瞬く間に包丁が人の姿へと変化する。

 鋼色の髪を高い位置で結い上げた、女性の姿だ。着物の袖は作業する時に邪魔なのか、捲り上げたり、襷掛けするまでもなく、肩口から丸ごとない。

 それ以外はいたって普通の人の姿である。

「ぬか漬を取ってくるから、あたしがお米を握る間に食べやすい大きさに切っておいて頂戴」

 そのくらいの物なら千春が切って出したことにすることができる。ひとまずこれで満足してもらうしかない。

 反応を見るに高音もそれで満足しそうだし、落ち着いたらその時にまた家族や他の付喪神達に振舞ってもらうことにしよう。

 ――その時千春は、それでことが収まると考えていたのだ。

 が、すぐに千春は高音の欲求不満を甘くみていた現実を突きつけられることになる。


 ぬか漬けを任せてちょっと目を離している隙に、まさかぬか漬けが丸々一本、芸術作品に様変わりしているなどと、誰が予測できただろう。

 水明に呼ばれて高音の方を確認し、千春は思わず凝視してしまった。

「食べやすい大きさにって、言ったわよね……?」

「あ、そうだった。つい体が勝手に。ここからうまく切り直すよ」

 そう応えてくれて安心したのもつかの間、最終的に出来上がったのはやはり綺麗な細工を施された一口大の漬物たちだった。

(あたし、こんなの作れないんだけど……聞かれたらどうやって誤魔化せってのよ……)

 しかしこれ以上は時間的にももうどうしようもできない。

 渋々それ以上のことは諦め、水明が苦笑いしているのを横目に作ったものを皿に盛り付ける。

 そしてそれらを一抹の不安を覚えながら、千春は家のものやお手伝いに来てくれた村人たちに振る舞った。

 案の定、芸術作品にになってしまった漬物について聞かれたが、千春は「いま練習中で」などと言ってなんとか誤魔化す。

 しかし、こう言って誤魔化した以上、できるようにしておかなければ後々マズイ。

 かくして、千春の漬物細工包丁修行の日々が幕を開けることとなるのであった。


「高音は料理をしたいというより、自分の料理の腕を見せたいんだよなぁ。千春はそこを理解していない」とは水明の言葉であったとか。

 ちなみに、漬物を芸術作品に仕上げた当の本人・高音は、ひとまず満足したらしく、祭りが終わるまでは大人しくしていたという。


(『台所の付喪神』付喪神物語より)

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