第31話結束の合宿!⑦

「娶ったのは孔雀の娘だった。綺麗な者だった。爺さんが夢中になるのも、無理はない。穏やかで優しくて、爺さんの正反対を行くような者だった。爺さんは幸せそうだった。益々『狩り』に精が出た。『山神』らしくあろうとしたのかもしれん。様子が変わったのは、息子が生まれてからだ。娘が突然、『務めを終えたので、里に帰る』と言い出した」


「え?」


「求婚を受け入れたのは、断れなかったからだ。当然だ。ただの妖かしに、『山神』の申し出を袖にするような勇気はない。娘は跡継ぎとなる男児を生むまでは、と我慢していたらしい。そうすれば、『嫁』としての『務め』は終える。それだけが拠り所だったのだろう」


 庭を眺めながら、碧寿は語り続ける。


「すっかり娘に心酔していた爺さんは慌てた。どうしたら自分の元に留まってくれるのかと尋ねた。そうしたら娘は、『私は人が好きです』と言った。『人と共に生きたい。だから、無理です』と。それからだ、爺さんはピタッと人を襲わなくなった。喰うのもだ。山を荒らす者を懲らしめる事はあっても、命を取る事はなかった。実につまらん。オレは失望した。力ある者達も次々と去って行った。……それでも爺さんは、幸せそうだった。娘も、次第に爺さんに心を開くようになった。『山神』の名を持ちながら、実に腑抜けた事態だ。だからオレは、せめて息子が間違いを犯さないよう、幼いアイツに『烏天狗』としての本分を教えてやった」


 翔の父の事だ。

 いつか祖父が元の姿に戻る日を祈って、碧寿は山に留まっていた。

 一人で遊ぶ幼い父の前に時折現れては、以前の祖父の所業を『烏天狗』の鏡として語り聞かせていたという。


「幼い間は分からずとも、成長すればその実に気づくと思っていた。だが」


 碧寿は腹立たし気に双眸を細めた。


「アイツはオレに向かって、『人を愛した』と言った。人の良さを知らないのは『残念だ』とも。オレは腹が立った。娘を喰ってやろうかとも思った。だが、しなかった。……アイツが、人の良さを分からせてやると誓ったからだ。なのに、アイツは……」


 くるりと煙管が回る。

 碧寿の過去は、既に原作に描かれている。杪谷が語ったのは、それを端的にしたものだ。

 だから部員は全員、この物語を知っているし、それは当然このめもだ。

 なのに、このめは初めて『碧寿』の心を聞いたような気がした。

 胸中で、『翔』としての意思が熱を持つ。


 碧寿の語らなかった先。翔の父は、山里を守って死ぬ。

 数十年に一度という大災害の中、妖かし達に襲われたのだ。


 父を慕う妖かしも、山里の保護の為に大勢手を貸してくれた。

 その中には碧寿の姿もあった。山里ではなく、翔の父を守る為だ。

 それでも戦況は最悪だった。荒れ狂う豪雨の中、一晩をかけて『烏天狗』としての妖力を出し切った父は、襲う妖かし達をなんとか撃退した後、深手の傷と体力の消耗で命を落とした。


『碧寿、翔を頼まれてくれ』

 そう、託して。


 だが碧寿は、その部分を語らなかった。母と共に大勢の避難者と小屋に隠っていた翔は、父と碧寿が共に戦っていた事実を知らない。

 唯一覚えているのは、朝焼けを背に青い影が、父の亡骸を連れ帰って来てくれた光景だ。

 けれども今の碧寿の語りを聞いて、あの時の影の正体は、彼だったんじゃないかと思った。


「……オレは、父さんが苦手だった」


 突如発したこのめに、怪訝そうな瞳が向く。


「よく、難しい話しをしてきて、でも、ちゃんとは教えてくれない。皆が言うから、スゴい人なのは分かってたけど、家ではおっちょこちょいで頼りなかったし。よくわかんなくて……でも、苦手なだけで、好きだった」


 このめはまっすぐに碧寿を捉える。


「碧寿も、オレと一緒だね」


「……なんだと?」


「父さんの事が、苦手なだけで、好きだったんだ。うん、それでいいや。恨んでても、恨んでなくても、碧寿が父さんを好きだったって事は変わらない」


 立ち上がるこのめは、胸中の靄が晴れている事に気付いた。翔として、納得したのだ。

 当惑に見上げる碧寿を見下ろして、へらりと笑う。


「オレは父さんじゃないし、殆ど『人』だから、碧寿を説得するつもりはないけど、こうして時々話しが出来たら嬉しいな。オレの知らない父さんの話しをもっと聞きたいし、碧寿はなんか、怖くない」


「ほう? それは随分と舐められたものだな。オレは『鬼』だ。お前を喰らおうとしても不思議ではないだろう」


「うん、そうなんだけどね。……『烏天狗』の子供だってだけで媚びて、持ち上げて、何かあれば真っ先に捧げればいいって思ってる『人』のほうが、よっぽど怖いよ」


 翔として告げたこのめは、碧寿の元を去る。

 思わぬ形で碧寿と翔の真意を知った朱斗と沙羅は、『友』である翔のその胸中を知れなかった悔しさと、碧寿への小さな同情に動けないでいた。


 そして次に湧き出たのは、翔がいつか、自分達ではなく碧寿を必要とするのではないかという不安だ。

『山神と鬼には、互いに切っても切れない縁がある』

 舞台上で発する碧寿の台詞が、脳裏に過る。


 しっかり背を向け戻ってきた翔は二人に不思議そうな顔をした後、「ただいま」と笑った。

 帰ってくるのはここ、そして迎え入れられるのも当然だといった言葉に、吹夜は朱斗ととして、紅咲は沙羅として安堵を覚えた。

 自身の感覚と感情が、演じる対象と混ざり合う感覚。

 奇妙な感覚にもすっかり慣れた五人は、また二人と三人に分かれた。


 それからまた暫くして、突如庭が騒がしくなった。視線を転じると、濃染と睦子が青いブルーシートを広げている。

 と、部屋を覗き込むようにして、文寛兄弟が縁側の先に並んだ。


「よってらっしゃいみてらっしゃい。今巷で話題のスイカ割りとやらを始めるよ」


「お兄さん方はラッキーだー。なんせ、そう簡単にお目にかかれるものじゃないよー」


『さあさあーご注目ー』


 軽快な台詞とは反対に、文寛兄弟の口ぶりはいつも通りの平坦だ。

 あまりに突拍子なく始まった小芝居に、紅咲が思わず「は?」と口にした。途端、『はい、りよりんアウトー』と窘められ、慌てて口を押さえている。


 大玉のスイカを抱えて現れた定霜が、よたよたとブルーシートの上に置いた。

 このめはそっと吹夜に視線を送る。ここから先は、『翔』と『朱斗』ではなく、このめ達自身としての一芝居が必要だからだ。

 吹夜も小さく頷いた。とうとう、作戦決行である。


「なんだ? 面白いのか、それ」


 訊いた獏に、文寛兄弟は腕を対にして横に流す。

 そのまま恭しく低頭する様は、どちらかと言うと洋風レストランのウェイターだ。


「面白いか面白くないかは」


「ご自分にてお試しくださいませー」


『まずはルールをご説明ー』


 それを合図のように、睦子が文寛兄弟に近づきタオルと長い棒を渡した。


「ルールは簡単。この棒であのスイカを叩き割るだけ。振り下ろしは一回まで」


「けど見えてちゃ割れて当然ー。そこでこのタオルで目隠しをキッチリとー」


『外野からの応援結構ー。声を頼りにいざ参らんー』


 文寛兄弟が真顔で言い切ると、碧寿が獏に「行っておいで」と告げた。

 獏は眼を輝かせて頷いた後、「どうだ、オレが一番だ。羨ましいだろう」とこのめ達に自慢してみせる。


 雛嘉が演じているとわかっていても、あまりの自然さに、幼子を相手にしているかのような微笑ましさが勝る。

 このめは瞳を和らげた。


「うん、ずるいな」


「だろうとも。オレが一発で終わらせてやる!」


 意気揚々と縁側から降り、用意されていたスリッパを引っ掛けた獏は、琉生にタオルを巻かれ、琉斗に棒を持たされた。

 ブルーシート上へと歩を進めると、二人がかりで、くるりと一回転させられる。

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