拾弐日目

 ――朝が、来た。

 今日も今日とて、何もすることがない。

 ――いや、あるだろう。

 あの女の子の名前を知ること。

 あんな幼い子供でも、同業者になるのだろうから、名前を知っているだけでも、いいコミュニケーションになるはずだ。

 ――――ここでの僕は、『あそこ』での僕ではないのだから。

 はあ――最近鬱気味になってきている気がする。

 部屋を出、顔を洗いに行く。幸い、というべきなのか、この神社の構造は昨日1日で全て頭に入ってきた。鮮明に。

 ――洗面所――という名の庭の蛇口の前にたどり着くと、そこには先客がいた。


「…………――! じ――――――ッ……!」


 ――変わらない。昨日音何も変わっていない様子の女の子。


「女の子、言うな、しッ……!」


 今日も今日とて、機嫌が悪い。


「じゃあ、大人の女性なら、あいさつぐらい基本だよね?」


 その場にかがみ、挑発するように言ってみた。

 ――女の子――いや、女性はそれにすぐに乗っかった。


「ん――おはよう、ございます……?」


 ――――怒っている時よりもこうしておとなしい時のほうが可愛らしい。

 損しているような気がするぞ、こいつ。


「よく言えました~」


 頭を撫でてやると、やはり不機嫌になる。

 これも昨日と変わらない。


「で、今日はなんか仕事あるの?」


 僕は女の子に問う。

 ――名前を知らないから、なんだか恥ずかしかった。


「ん――ない、と思う……?」


 そういえば――。


「仕事ってさ――鬼秋さんからふられてるの?」


「ん――違う……」


 同じ口調で答える。

 そろそろ名前を知らないと厳しいような気がする。

 でも、名前だけ聞いても、それから繋げられる気がしない。


「あ、あのさ――」


「ん……?」


「昼から暇なら――話し相手になって、くれる?」


「ん――いいけど……?」


「おっし。じゃあまた昼に!」


「待って……!」


 小さい叫び声を、僕の耳は拾ったらしかった。

 立ち止まり、振り返る。

 そこには、確かにあの女の子がいた。

 ――顔を赤くした女の子が。


「私、女の子、じゃなくて、新……! 新しいって、書いて、新……!」


 ま、こ、と。

 それが、女の子の――新の名前だった。


「分かった――ありがとな。またお昼に!」


「う、んッ……♪」


 楽しそうに、立ち尽くしていた新は――名前が言えたことがそんなにうれしかったのか、それとも、もうこれで『女の子』と呼ばれないからか――スキップして、あちらに行ってしまった。

 ――……そいえば僕、顔洗いに来たんだった。




 顔を洗い、寝巻きのまま、僕は鬼秋さんの元へ向かった。

 挨拶を交わし、仕事にかかる。

 と言っても、簡単なものばかりで、午前中で終わるものだ。

 布団を片付け、まず部屋の清掃から取りかかる。

 部屋の清掃が終わり、次は部屋の前――というか、この神社の廊下全部だ。――きっと新も今頃廊下掃除を取り掛かろうとしているのだろう。いや、先程ないと言っていたから、今日はないのだろう。

 ではさっさと終わらせよう。昼までに。終わるだろうけど。

 廊下を掃除し、簡単な昼食をとる。どこで、と言われれば、それは鬼秋さんの元でだ。

 鬼秋さんが作ったのかどうかは知らないが。――なんとなくだが、知ってはいけないような気がする。

 さて。

 気が付けばもう昼だ。

 さっさと新のもとへ向かわなければ、新に怒られてしまう。




 ――新はもう待っていた。

 庭が見える渡り廊下に腰掛け、庭を見ていて集中しているようだった。

 ――声を掛けずらい。


「――あ……」


 気付いた。

 声をかけられなかった自分が恥ずかしい。


「ごめんごめん。待った?」


 せめてもの気遣い、と思っていったものの、これじゃあまるで付き合っている奴らみたいだ。


「ささっ。話そ――――顔赤いよ、大丈夫?」


 覗き込むと、新の顔が赤く染まっているのが分かる。

 ――顔を赤くする要素が、先程のやり取りであっただろうか。


「む――――ッ……!」


 不機嫌そうに唸る新。


「てかさ。――いい加減聞きたいんだけど――」


 新ってさ。


「神様かなんかだよね?」


「!」


 今。

 明らかに驚いた表情をした。

 僕には分かる。どういう巡り合わせで分かるようになったかは知らないけど。

 子供となればなおさら。

 その表情は分かりやすいものとなる。


「気には留めていたつもりだよ。――女の子って心の中で言ってるのに。口に出して言っていないのに、どうして女の子って言ってるのが分かるのか、って」


 別に責めるつもりはない。ただの事実確認なだけで。


「――怒らない、の……?」


「心読んだんなら、分かるでしょ?」


 もう一度言おう。責めるつもりはない。

 それを知ったところで、影響はない。

 初見で、候補に神様とあった時点で、それは驚かない準備ができている、ということだ。


「どう? ――で、本題に戻るけど――って言っても、本題なんてないけど」


 無難に、と言っても新と僕の共通点なんか特にないし、僕も新もお互いのこと知らないもんな。


「アキト……隠したい、こと、とか、あるの……?」


「え――?」


「アキトの心……霧でよく見えない……言いたいこと、吐き出したいこと、隠して……自分、傷つけて……痛く、ない……?」


 ――――――――。

 心は、何も呟かない。

 その代わりに。

 口が、言葉を紡ぐ。


「痛く、ないかって……?」


「アキト――――」


「痛いに決まってんだろッ! 僕が何の気なしに忘れてるとでも思ってんのか!? ふざけんな! もう僕の心はッ……!」


 ――霧の向こうの僕の心は。

 ズタズタに引き裂かれている。

 溢れるだけ溢れ。

 それを忘れるように。

 自分を騙し、他をも騙し。

 そうしてこの2日間を過ごしてきた。

 なのに。それなのに。


「――ほっといて、くれよ……」


「ダ、メッ……!」


 新は、今までのように。

 そして今までの中で一番の大きい声で、そう言った。


「アキト、弱いかも、しれない……! けどッ……! アキト、傷を、忘れちゃダメッ……!」


 縋るような彼女の必死な願いを、僕はしかしそれを拒絶する。

 必要ない、と言わないまでも。それを片手で払いのける。

 そしてゆらりと立ち上がり。

 吐き捨てるように。


「ほっといてくれよ……」


 力なくそう言って。

 悲しい顔をする彼女を放って。

 逃げるようにその場を去っていった。




 逃げるように。

 少女1人を置いてきて。

 鬼秋さんの元へたどり着いた。

 別に目指してやってきたわけではない。一心不乱――という足取りではなかったけれど――とにかく歩いていたら、ここにたどり着いた。


「! ――なるほどそういうことかぁ。――あん男、気色悪いわ……」


 僕を見るなりそんな訳の分からないことを言い出す鬼秋さん。


「どないしたんや? わかもん」


「――――――――」


 喋る気力もない。


「なんやなんや。わかもんはそんな子やったか?」


 ――――は?

 何でこの人は、僕の過去を知っている風に話しているんだ……?

 思えば――今までにもそういう発言があったような気がする。

 心を読めないのに、過去も分からないのに。

 何故。分かるんだ……?

 もし。

 もし、鬼秋さんが、僕の昔を知っていて。

 それを言っているのなら。

 鬼秋さん――彼女と僕の接点は、1つしか思い当たらない。


「鬼秋さん、あなた……僕の前で――」


 首を吊って、死にましたね……?

 と。

 そう言った。

 それしか接点がなかった。

 僕のことを素で知りたい奴なんか、いない。

 僕の性格を歪めてしまったのだと責任を感じている人ぐらいしか――いない。

 故に――この人は僕を陰ながら見てきて。

 そして今に至る。

 ――――気付けば、笑っていた。

 鬼秋さんは――うつむいていた。

 それはその仮定を真実と証明するものであり。

 僕の心を壊すのには容易かった。


「はッ……全部。全部あんたのせいだったんだな……?」


「――わかもん……?」


「全部!! あんたのせいだッ! あんたがいなければッ! 僕は! 僕はこんなにならなかったッ! 全部! 全部全部全部全部! お前のせいだァァッ!」


 我を忘れ、叫び続ける。――それが相手を傷つけると知らずに。

 僕は逃げていた。そう気づいたのも、後となってからだった。

 何度も心で思う。――僕は、弱い。

 弱いから、逃げ出して。

 それが正しいと思ってしまう。

 僕は――弱い。


「――ねぇ…………」


 唐突に。

 声が聞こえてきた。

 弱い声が、なおも音を紡ぐ。


「痛、いの……?」


 ――うるさい。

 うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい。


「ね、ぇ……」


 その後は――もう、声が紡がれることはなかった。

 代わりに耳に届いたのは。

 少女の喘ぐ声だけ。


「うっ……うっ……」


 反射的に見てしまった先にいたのは。

 泣いている、少女の姿だった。

 その姿が。

 あまりに悲しくて。

 喉に痛みが走る。


「アキトの、心、は……何を、見てる、の……?」


 分からない。自分が何を見て、何を思っているのか。

 分からない。


「アキト、は……何、を、望む、の……?」


 僕は。

 僕の破滅を願うのみ。

 僕が『怪物』だから。


「アキトは――――何で……独りで、抱え、込む、の……?」


 ――――――何でって。

 僕が――。


「邪魔、だって……『自分』が、思ってるから、でしょ……?」


「ふざけんな! 人権無視も大概にしろ! お前が! お前らが! 僕の意見を無視すんなッ!」


「じゃあッ!!」


 それは少女のものであり。

 それは今までよりも一番大きな声だった。


「私が! アキトを……アキトをどう思ってるかも! 知らないでしょッ!?」


 ――少女の悲痛な叫びが。


「いつも、いつもいつも! 自己完結してッ……! 自分はいらないって……! 勝手に、決めつけないでよッ!」


 心を貫く。

 今までの僕が間違っていたのだと、気付かされる。


「アキトが、いなくなって……! 悲しむ人だって――たくさんいるのに……! それを一言で――そんな一言で……片づけないでよ……」


 少女の泣く姿に。悲しそうな姿に。

 僕の心は。痛くなる。

 こんな自分でも、望んでくれていると。

 この少女が、嘘偽りないと。

 心が、そう感じた。


「それで……いい、と、思う、よ……?」


 涙を流しながら、そう笑ってこちらを向いてくれる少女を見て。

 ようやく。

 ようやく答えにたどり着いたような気がした。

 こんな僕でも。望んでくれる人がいるのだと。

 ――今までも、そう思われていたのかもしれない。

 けど僕はそれを――全て拒絶してきた。

 けどそれは。

 世界に間違いはなくともそれは。

 間違えた選択――だったのだろう。

 それを償うことはもうできない。

 けど――挽回することは、可能だろう。


「うん……その顔、が……私は、好き……」


「新――――挽回は、独りじゃできない。――お前を、頼っても、いいか?」


 少女はなおも涙にぬれたまま。

 しかし――力強く、頷いた。


「私で、いいなら……アキトの力に、なれるなら……」


 ――私は、どこまでもついていくと。

 力強く言い切った。

 ――――僕はその期待に応えなければならない。

 皆のため。そして――自分自身のためにも。

 絶対に成し遂げるべきテーマとして、胸に掲げる。


「私、は……アキトの裏、から、サポート……するッ……!」


 ――今思えば、春さんとの違いが、新にはあるのだろうか。

 これは恋人に入るのかと考えながら。

 僕は笑っていた。

 今までと違う、自然な『笑顔』。

 ――これなら、前を向いて歩けそうだ。

 いや、違うな。前を向いて――希望をもって、歩いていこう。

 何があっても、新と一緒なら、怖くない。

 さしあたって――。




「――わかもん……」


 鬼秋さんは、変わらず天を見ている。

 輝かしく光る太陽を見て、僕に向き直る。

 そして鬼秋さんがあた――


「すいませんでした」


 まを下げる前に。

 僕が頭を下げる。

 そして、言う。


「ありがとうございます」


 そう。決して終わらすことのないこととして。

 『ございます』と。

 終わりを示す、『ございました』ではなく。過去を振り返らず、未来に希望をもって歩くことを示すように。

 ございますと。笑顔でそう伝える。


「――――――――わかもんっ……」


 鬼秋さんは、泣いてしまった。

 子供のように。泣きじゃくる。

 僕は――ここに来た当時されたように。恩返しのように。

 僕より少し背の高い身体をそっと。

 抱き寄せる。


「――あったかいなぁ……」


 かみしめるように。

 鬼秋さんは言う。

 それは――この時を忘れないように自分に言い聞かせるようにも聞こえた。




「――もう、大丈夫や……ありがとう、わかもん」


 すっかり泣き止み、しかし長く抱き合った時間も終わり。

 辺りも静かに暗くなり始める時間になった。


「わかもん。――もう、大丈夫そうやな」


「僕一人では、絶対に出せなかった答えです。それもこれも、あなたが僕を生かしたから。――ありがとうございます」


「わかもん。ちぃと――」


 耳を引っ張られ、囁かれた言葉。

 ――新を、よろしゅうなという言葉は果たして。

 伝えたい人に届いたのだろうか。

 そして僕は、この場所としばしのお別れをしなければならない。

 しかしまた、この人の顔を見に来るだろう。

 それか――2人を仲直りさせるため。

 お互いが好きだと気付かせるため。

 戻ってくる義務がある。

 優しい義務。

 その温もりを感じながら、神社を後にする。


「またいつか!」


「いつでも待ってるで~」


 手を振り、暗い、しかし、明かりの残る道を歩き始める。

 春休みはあと――2週間。

 この2週間で、僕は僕なりに『生きよう』。

 変わるんじゃなく、生きる。自分らしく。

 それで、僕が証明できるのなら。

 明るく、明るく光に近付いて、生きよう。




 すっかり暗くなり、神社に1人残された女は、先程まで抱き合っていた男を思い、胸に残る温もりを、今一度確かめた。


「なんや……結局、あん男の言う通りになっただけやんけ」


 可能性未来を見ることのできる女としては、専門技術で負けるわけにはいかないというのに。

 ただ、思う。


「わかもんも――おっきなったなぁ……」


 その言葉が、悲しみの感情から出ているのか、はたまた感動から出ているのか。

 それは言った当人にも――分からなかった。

 そして――今夜の、早すぎる密会が開かれる。

 今日も今日とて、男が来ている。


「あんたは、どうする?」


 その一言は、女にしっかりと伝わる。

 未来を見て、もう出る幕のない女には――分かる。

 しかしそれを分かっている風の男に――つくづく嫌気がさす。


「わっちの専門技術なんや。そう簡単にとらんといてや」


 女は穏やかに言う。


「で――どうする?」


「――――わっちは陰ながら見守る。そっちの方が、性に合っとる」


 その答えに、男は笑う。

 穏やかに、穏やかに。

 月の出ない密会が、今日で終わる。

 もう――ここで密会が開かれることはないが、その事実は残っていく。

 決して消えないものとして。

暖かみを持って――終わりの音を告げる。




 家の前に、着いた。

 背中に変な汗をかいている僕は、入れない理由も理由。

 ――――春さんと、顔が会わせずらい、という至極簡単なことで、危機に瀕していた。


「落ち、ついて…………」


 ――そうだ。今の僕は1人じゃない。新もいるのだから。

 そう心に暗示をかけ、ドアノブに手をかける。

 手に汗握る、とはまさにこのことなのでは――――と、心の中でボケたが、やめておいた。

 心臓の刻む音が速くなるのが分かる。

 ガチャリ。

 ドアノブが、音を立てる。

 その音が、僕の心臓をさらに速くする。

 ダメだダメだ。こんなことで緊張していては、まともに会話すらできないような気がする。

 するとその瞬間は――――唐突にやってきた。

 ドアが――内側から開いた。

 そこには――春さんがいた。


「っ――――!」


 春さんは僕の姿を見て――言葉を詰まらせた。

 ――だめだ。僕が突き放したものだ。だから僕が――僕の手で取り戻してやっとなんだ。

 それなのに――それなのに、口が動かない。

 春さんの姿を見て僕は――春さんの前で、初めて。

 泣いた。

 自然に零れ落ちていくそれを。

 僕は止めることができなかった。

 いや違う。

 心はそれを――止めようとはしていなかった。

 泣きたいときに泣くのは悪いことではない。

 ましてや自分を隠すなんて、今まで――そしてこれからもお世話になる人に失礼だと。

 その涙は理由を持って流された。

 命が――諦めた命がなければ。

 鬼秋さんがいなければ。

 新が――いなければ。

 今の僕はいなかった。

 そしてそこまで僕を案内したのは紛れもなく。

 魔裟斗さんやナイトメアや親や――春さんなのだ。

 だからここで。

 どう思われようと。

 泣き続けよう。

 枯れるまで。尽きるまで。

 自分を隠さず、この人の前では正直でいよう。


「よかった……」


 その言葉は、僕が発したものか、それとも春さんが発したものか――僕には分からなかった。

 ぼやける視界。泣いて、痛む喉。

 だけど不思議と――辛くない。安心さえする。


「おかえり……――秋斗君」


 ぼやける視界でも分かった。

 その声は春さんのもので。

 その声は震えていた。

 僕は――居場所をなくしたんじゃなくて、僕から要らないことにしてしまっていたんだな。

 でも――ここまで来た。

 春さんが僕のために泣いてくれていることが――何よりうれしい。


「春さん――――ただいま」


 やっと言えた。

 今までだったらきっと――逃げていた。

 今ならきっと。

 僕から言えるだろう。この言葉を。


「春さん」


「うう……何……?」


 やはり優しい。

 今までのどの子より――優しい。

 そして思う。

 僕は恵まれすぎている。

 だからこそ――恵まれたものは、こぼさないように。

 そのために――僕は、言う。

 僕の気持ちを、正直に。


「大好き、だよ……」


 気持ちだけでは表せないものが世の中にあるのなら。

 僕は行動で見せつける。

 僕の意見を。僕の生き様を。


「――――私も……私も、もちろん。君のことが――大好き、だよ……」


 泣きながら。

 そう伝えあった僕たちは。

 強く強く、抱きしめ合った。

 熱が身体を伝って、涙がまた強くなった。

 耳元で――泣いているのが分かる。

 僕だって同じだ。泣いている。

 泣くのを恥ずかしいなんて言わない。

 春さんへの気持ちが――強くなっただけだ。

 人前で泣ける強さ。

 それも立派な――強さだと思う。

 ちょうど、日が僕らを見守りながら、沈んでいった。




 帰ってからは、謝罪の嵐だった。

 僕たちが抱きしめ合ったことに怒っていた新も合わせると――計4人に謝ったことになる。――何故か魔裟斗さんは何とも言ってこなかったが。

 とりあえず謝って回った僕は、お風呂に向かって疲れをとることにした。

 思えばここ最近、まともに風呂に入れなかったような気がする。

 ある時は森で倒れ、ある時は少女に裸を見られ。

 精神面でも身体面でも疲れた風呂の思い出しかない。

 そして何事もなく、風呂を上がった僕は――少々顔の合わせづらくなった――つまり、少し気まずい関係になった春さんと、その他諸々の待つ、久しい自分の部屋に向かう。

 部屋には――久しい部屋には、春さんしかいなかった。


「あれ? 他の皆は?」


「…………」


 部屋の電気がついていないせいか、春さんの表情がよく見えない。


「あのー……春さん――って! 何で脱ぎ始めて――ッ!」


「し――――――ッ……!」


 僕の口をふさげるほどの距離感になって、初めて分かった。

 顔が赤く染まっている春さん。暗い部屋。そして――脱ぎ始めていた春さん。

 つまり――そういうことだ。

 いやでも! まだダメだ!


「春さん……! そういうのは――」


「秋斗君は……いや、なの……?」


 やめてくれぇ! そんな目で僕を見ないでくれぇ!


「いやでもさッ……!? こーゆーのは将来のためにとかさ――」


「ダ、メッ……!!」


 後ろから――ここ最近聞きなれた声が聞こえた。

 暗がりの中、そこにいたのは――新だった。

 その顔は――怒りに満ちていた。いやもう――怒りは溢れていた。


「何、やってる、の……?」


 口頭でこそはてなマークが使われているだろうが、顔ははてなマークどころではない。般若のマークがあったらそれを使いたいぐらいの――恐ろしい顔をしていた。


「ちょっと待て新!! 僕はなーんにも悪くないからな!?」


「ちょッ! 秋斗君!? 私に押し付けないでぇ!」


 胸元のはだけた春さんを新が止める。

 ――春さんが巨乳だったら、鬼秋さんみたいに妖艶な感じになっただろうが、しかし――だが、貧乳も貧乳で――色々と、アブナイ。

 色んなものが見えそうになるが、それを今見たら――新に殺されるような気がする。


「あの、さ……! 未成年、が、そんなこと――やっちゃダメって、分かってるよ、ねッ……!?」


「いや! でも……」


 ――はあ。ここは2人をまとめる役目を担っている僕が――訂正、自称担っている僕が、この場を丸く収めよう。


「お2人さん」


 振り向いた2人のおでこに。

 ――そっと、口づけした。

 した途端、赤くなる2人。新も流石の出来事で、怒りより恥ずかしさの方が勝ったらしい。


「え? え?」


 春さんは困惑し。


「…………」


 新は僕の口づけしたところをさっと触って――指を一舐めしていた。

 ――流石にそんなことをされれば、僕だって照れる。

 というまま、ナイトメアと魔裟斗さんが来ても、その空気は晴れず、結局僕たちは眠りについた。




 今夜は二度、密会が行われる。


「で、どうだった?」


「どうも何も? あいつはやることをやった。きっかけをしっかりと作ってくれた」


「後は――僕たちがどうするか、だね?」


「いいのか? 素性も知れない子供に自分の権限を差し出すなんて」


 正気じゃないと。

 それを女は――鼻で笑う。


「そうは言ったって――きっとあの子は何とかするんじゃないのかい?」


「ほう。――お前も、変わったな」


「そうかい?」


 笑いながら。

 女はきっとどこかで、あの男を不信していたのだろう。

 だが、時を重ね、それは変わっていった。

 それを人は――成長と、呼ぶのだろうか。

 そんなことを胸に思いながら。

 月を見て。

 今、そこから見ているだろう人を思って――想って、月を見る。

 そうして密会は終わる。

 優しく、穏やかに。

 そして、明日が来る。

 あるものにとっては――絶望の。

 しかし。

 ある者にとっては――希望の朝が、来る。

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