拾日目

 ――朝が、来てしまった。

 僕は目をかすめながら、起き上がる。


「――来てしまった……」


 絶望の朝が。

 大多数が『希望の朝』を謳うのならば――僕はやはり逆なのだろう。

 僕はやはり――常人と違うと気付かされる。

 それに気付くたび――僕は生き地獄にいるのだと気付く。

 生かされていて、しかしその身体は既に死んでいる。

 精神が、そう思っている時点で――それは死んでいるのと同義だ。

 ならば――もう、誰が僕に近寄ろうとも、僕には全く関係のない人たちだ。――たとえそれが春さんたちでも。たとえそれが――血の繋がった家族でも。

 身体は生きていても――心は死んでしまっているから。

 故にそれは。

 存在の消滅と、同義であるのだ。

 そんな存在だから、声を大にして言おう――世界に向けて。

 ――再び、言おう。


「何で僕を――こんな世の中に顕在させた……」


 僕が必要のない奴なら。

 何故僕がまだ顕在しているのか――何故僕が、まだここにいるのか。

 ――分からない。だからこそ――次に向かえない。

 目さえ今、かろうじて見えるが――それすら機能を制限されている。

 足や手も、僕の思うように動くことは難しい。

 ――嗚呼、僕は今、”心”しか機能していないのだと。

 いや、それすらも動いていないのかもしれない。

 もう――傷がひどすぎるだろう。

 このまま誰にも知られず、1人で死んでゆこう。

 それが、皆によく作用し――そして。

 僕にもいいように作用する。

 意識がまた、まどろもうとする。

 ああ、自分のことながら眠りにつくのが早いことだ。

 ――もう、終わりにしたい。

 僕の物語は――――ここで終わりを向かえる。




 はずたったのに……

 何故、こうなった?

 何故僕はまだ――生きている?

 やはり――この世界は、生産性がない。

 選ぶものが――選ぶ者が、全くと言っていいほど、違いすぎる。

 すると突然頭上から、声が聞こえてきた。それは聞いたことのない声で、しかし。

 ――この声が僕を生かしたことが――僕には分かった。

 ――ギリリッ……

 僕は訳も分からず、その声の主の首を――絞めていた。

 目の前に座っていた人は――僕の目をまっすぐに見つめ返してきた。

 その視線が、僕の手の力を弱める。

 そして僕は、まるで命乞いをするかのように――問うた。


「何で――何で僕を……生かした……!」


 その問いに――目の前の女は、答えない。

 理由が、ないだけかもしれない。

 ただの人助け。

 その対象は、僕じゃなくてもよかったのかもしれないと。

 僕はそう感じてしまった。

 故に、だろうか。

 再び、問う。


「何で僕を――生かした……」


 今度は弱々しく言葉が口を出ていった。

 胸が辛い。痛い。

 こんな感情は、初めて持ったものばかりだ。

 それ故に――持ちすぎて。

 取りこぼして。

 落っことして。

 僕はまた、僕の知らないところで。

 何かをなくすだろう。

 そんな将来は目に見えている。

 だからこそ。

 そんな過ちを繰り返さないようにと。

 僕は助からない道を選んだ。

 なのに。それなのに。

 ――やっぱり、僕に人権なんてないのだろうか。

 僕は人間じゃ――ないのだろうか。


「わかもん」


 二度目に耳に入るその声の主を――僕はしっかりと、観てしまった。

 それは――あくまで人でなく。

 故に――神様だと。僕は感じた。

 今まで様々な神様にあってきたように。

 その都度、感じた『あなたは神かもしれない』という心が。

 それを『神』だと断定させた。

 その瞳を、見てしまった。

 女は――神様は、言う。


「つらかったなぁ。苦しかったなぁ。――でも、それがわかもんの運命ゆうやっちゃ。それから逃げたら――君は今度こそ居場所をなくすやろう。だから――目を背けんと、何かを信じて進め」


 ――何を言っているんだ、この人は。

 何故今更、そんなことを。

 心に響かない。

 だが。

 それは心に――安らぎを、もたらした。

 僕に向けられたその言葉は――とてもやさしいもので。

 とても――柔らかいもので。

 僕を包んで、抱きしめた。

 ――少し、落ち着けたような気がする。

 気が付けば――体中のケガが治っている。完璧なまでに。

 やはり――僕は生かされた。何故なのかは知らない。

 ただ――神様が僕を生かした。それだけが事実で。

 そこには、存在してはいけないような私情があるような、そんな気がした。

 ともかく――この人は僕を助けてくれた。――未だここがどこかは分からないが。

 助けられてお礼を言わないほど、無礼でもない。――先程の僕でもないのだから。


「すいません。――ありがとうございます……」


 若干の後ろめたさを感じながら謝罪とお礼を言った。

 言うと、はにかむその人の姿が目に入る。

 まだ朝方なのだろう。――日差しがその微笑みを一層輝かせる。

 まるで異世界のような。そんな感じがした。

 そして――やはりその瞳はこちらを見据えている。

 その瞳は――僕を知っているようで。

 そして――どこか儚げだった。

 悲しそうに。苦しそうに。

 こちらを見ていた。

 感情を隠して。


「とりあえず」


 と言い、微笑みから視線をはがす。


「ここは、どこですか?」


 一番初めに確認しておかなければならないことを、今更ながら聞いた。

 ――おそらく神社であろうこの場所の――主に。




 なるほど、なんとなくだが状況が分かってきた。

 予想通りここの主である、名を鬼秋さん――きあき、と読むらしい――は、ここは『北の神社』と言った。

 そこは、ここの住民ならだれもが知る、『悪候』と名高い神社だった。

 ――住民曰く、そこには神がいる。

 ――住民曰く、祭られている神は、力が強い。

 ――住民曰く、姿形を見た者は、口をそろえ云う。――それは、人間のそれではない、と。

 そう、誰もが聞いたことのある『者』が、今。

 僕の目の前にいる。

 なるほど確かに人間のそれではない。

 女性にしては身長が高い。僕よりもはるかに。

 それでいて、関西でもないのに、流暢な関西弁を使いこなしている。

 とにかく不思議な服装をしているが、それはこの人に関しては――神秘的のほうがあっているような気がする。

 すらり。体が伸びている。

 まじめな印象だが、目だけを見ていると――妖艶な女の人にも見える。

 一言で――まさに、不思議。

 僕が倒れてから、どうにかケガを直した。――と本人は言っているが、実際、神の力を使ったのだろうと思う。

 ――でなきゃ、あんな傷、すぐには治せないだろう。

 ましてやあんな傷、常人は見るだけで――直そうとは思わない。

 見て、捨てるだけ。

 それが世の常だ。

 傷つきすぎたら、捨てられる。――それこそ、神様がいるのなら、助けてくれるのだろうが。

 ――しかし、そろそろ体を動かしたい。


「ちょっと外に出てもいいですか?」


「ん? ――ああ、好きにしたらええよ。ただし! 驚かんといてよ」


 ――? 一体何のことだろうか。

 と思ってしまったのが間違いだった。

 よく考えれば、この神様は天候を――つまり、世界の事象を書き換えることができることになる。

 その結果、戸を開けた先は――

 まさに、異世界だった。


「はぁ……」


 そんな言葉しか口から洩れない。

 だって、誰がこんなところを開けて、こんな風景が広がっていると思うか。

 ファンタジー小説よりも、もっと幻想的。だが、それでいて、どことなくこの神社にあっている気がして、そしてまた――どこか懐かしい。

 こんなことを思えるのは、何故なのだろう。まあ、そう考えたところで、何も出てこないことは分かっている。


「わかもん。君は――迷っとるんやね?」


 ――振り返らず、頷く。

 どうせ心が読めていたりするのだろう。


「わかもんからは、いろぉんな神様の匂いが漂っとる。――だから勘違いしんでほしいけど、わっちは心なんて大層なもん、読めはせんよ」


 それを聞いた瞬間、僕は振り返ってしまう。

 心が読めない? じゃあ何故、迷っていると言ったのだ。

 僕の心が、迷っていると――どうして分かった?


「わっちがゆうとるんは、君の心じゃないよ?」


「は? じゃあどういう――」


「君の――していることが、本当に正しいか、君自身が分からんまんま、迷っとる。そのことをゆうとるんや。――心は読めんくても、わっちは知っとる。君が」


 ――あの日から狂ってしまったことを。



「――は? なん、で、あんたが、それを……」


 知っているのだ。

 僕と、あのトップ集団どもしか知らないはずの、あのことを、何故心も読めない神様が分かるのだ。

 あの場にいたはず、ないのに。


「まあ、そんなに気にしんとき。――で、ケガも治ったことやし、おうち帰ったらどうや?」


 あくまで笑顔でそういう鬼秋さん。


「僕に――家はありません」


 ――そういう他、言葉が見当たらなかった。


「あれを、家とは言いません。少し前までは家だったかもしれませんが――あそこはもう、僕のいていい場所じゃない。僕はもう――心のよりどころをなくしてしまったんです」


 自分から。

 そこにいる資格を投げ捨てた。

 そんな僕は。

 そこにいる権利、資格をもう持ち合わせていないのだ。

 自分から好き好んで捨てたものでなくても、その結果として。

 僕は――あそこに帰ることができない。帰ることが――許されない。

 誰が許すでもない。僕の心が――それを許さない。


「そうか……じゃあ、わかもんはこれからどうするん?」


「――世界に僕の居場所はない。だから、行く場所なんてない」


 じゃあと。

 鬼秋さんが提案したのは、思いもよらないことだった。


「わっちんところで世話にならんか? 何日でも、こっちは迷惑せんで?」


 ――かくして、僕の人生が、なし崩し的に一時再開したのだった。

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