25:信じてる

「社長も刑事さんも、切り刻まれればいいと思うよ。何もかもなくなってしまえばきっとすっきりする。さっきから身体の調子がいいんだ。昨日のギシギシも治ったし。ずっと思ってたんだ。あの通り魔の奴ら、どんな気持ちで人を斬るんだろうかって。引っかかってたそれがわかって、気持ちいいくらいだ。この切れ味の悪い包丁でもさ、切れば血が出るんだよ。面白いくらいにのたうち回るガキどもが、急に顔を青白くしてこっちを見る。それがたまらねぇ。快感だ。最高だよ」


 包丁を眼前にかざした。鈍く光る刃先、固まりかけた血が狂気を醸し出す。

 丸腰の自分、刃物を持った湊斗ミナト。比べるまでもなく勇造は不利だった。

 胸のポケットを確かめる。どうやってこいつを湊斗に飲ませるか。何も考えずに修羅場に飛び込んでしまったことを、今更のように後悔する。


「あの日、お前に俺が何で声をかけたのか、教えてやろうか」


 何とかして湊斗に近付き、隙を覗いたいと、勇造はワザと話を反らした。

 狂いながらも湊斗は、狂ったなりの理性を保ち始めていた。会話も最初よりずいぶん噛み合ってきている。また急に興奮するようなことがあって隙が無くなれば、せっかくの駆除用ナノも活躍の場を失う。そして、勇造と沢口の身にも危険が迫る。


「他の奴らがどう思ったのか知らないが、俺はお前が何か後ろめたいものを持っていると感じた。便利屋のカンてやつさ。きっとこいつは何かに困っている。だけど、何に困っているのか白状させるにはそうとう仲良くなる必要がある。湊斗、お前、滅多なことじゃ心を開かないタイプだろ。そこで俺は考えた。お前を何とかして救いたい。そのために、一緒に働くことを提案してみたらどうか。働いているうちに打ち解け、何かしら喋ってくれるんじゃないかってな」


 喋りながら勇造は、胸ポケットからこっそりと例のアルミケースを取り出していた。中のカプセル一粒、クッション材の上からそっと取り出す。右手に握りしめ、またケースを胸ポケットにしまいながら、何事もないかのように会話を続ける。


「沙絵子からも馬鹿にされた。水田さんもアホって言った。沢口さんもお前と距離を置くように警告してきた。だけどな、俺は絶対にお前を見捨てたりしない。例えお前がその包丁で何人切り刻もうとも、俺たちを脅して更に罪を重ねようとも。俺はお前を信じてる」


「俺を信じる? ハハ、馬鹿げてるよ。社長はホント、頭悪すぎるって。俺の何を信じるの。こんなどうしようもない生き方しかできないんだよ。しかももう、何人も殺しちゃった。そんなヤツの何を信じるの」


「――誰にも、言ったことはなかったんだが、白状する。俺の妹は、昔、お前と同じくらいの少年に殺されたんだ」


 湊斗の高い笑い声がぴたっと止まった。


「妹は当時小学生、何かが原因でトチ狂っちまったその少年は、妹を性の対象にした。まだ初潮も始まっちゃいない子ども相手に、自分のナニを突っ込み、射精し、自分の罪を隠すために妹をバラバラにした。当時の俺はお前と同じ十六歳、年の離れた妹が殺されたことに腹を立て、この狂った世の中を何とかしたくて警察官になった。だが、警察の力ではどうにも出来ないことが世の中には多すぎた。警察を辞めて便利屋になったのは、もっと根本的なところから事件をなくせないのか、妹のような犠牲者を出さないように、もっともっと踏み込めないのかと感じたからだ」


 突然の告白に、湊斗ばかりでなく、沢口もポカンと口を開け放した。

 暗闇で表情は全く見えないが、勇造にとってそれは、相当の覚悟が要ったに違いない。声の端々が震えていた。


「お前を初めて見たとき、その犯人に似ていると思ってしまったんだ。大人しいふりをして自分以外の全てに殺意を持っていると。だが同時に、誰かに救って貰いたいという欲求を瞳の奥に垣間見た。お前が罪を犯したきっかけは、到底俺たちが想像できるレベルのものじゃない。平凡に生きてきた俺たちがお前の生き様に同情することなんて、できっこないと思う。上っ面だけの同情なら誰でも出来るが、その先、一緒に歩んでいかないと始まらないことだってあるじゃないか」


 包丁を握りしめた手が、ふるふると小刻みに震えだした。湊斗は動揺している。動揺して隙が出来ている。

 湊斗に悟られぬよう、少しずつ少しずつ、沢口と共に間合いを詰めた。右手に持ったカプセル、いつでも湊斗の口内に突っ込めるよう構えておく。


「……くだらないなぁ、そんな馬鹿な台詞、よく吐けたもんだよね」


 ケケッと鼻で笑う湊斗、右手が高い位置までせり上がる。


「さっき、外から社長と刑事さんたちの声が聞こえてたよ。ナノがどうの、感染がどうの。そうか、俺、やっぱり変なのに感染してたんだな。それって今、俺が包丁振り回してるのと何か関係があるの。――答えろよ!」


 間合いを詰めたせいで、包丁の刃先は沢口あと十数センチで届いてしまう。少し突き出されれば確実にやられる。

 沢口はゴクリと生唾を飲み、両手を挙げた。


「君やそこの少年数人の血液からナノが検出された。そうさ、血液検査はナノ汚染を調べるための検査だったんだ。そのナノは、心をむしばむ。正確には脳に働いて、いわゆる『キレた』状態を作りやすくする。身体の様子がおかしくなったのもそのせいだ。罪を犯してしまったのも、そのせいかも……いや、ナノは単なるきっかけに過ぎねぇ。元から秘めた殺意や衝動が、偶々ナノを介して発動した、その程度のもんなんだ。しかし、見過ごせるものじゃねぇ。このままナノを体内に保有し続ければまた同じことが起こる。身体に異変が起きたり、感情の高ぶりが収まらなかったり。最終的には日常生活に支障を来すレベルまで行き、やがて」


「やがて?」


「これ以上は、言えねぇな」


 沢口のあごから数滴、汗が流れ落ちた。刃先がどんどん迫ってくる。あと、数センチ。


「社長、社長も知ってンだろ。そのナノ、一体何なんだ。俺に何を隠してるんだ」


 興奮具合が増している。しかし、それが戦闘用のナノマシンだなんてどの口裂いて言えるんだと、勇造は握りしめた手のひらと戦う。この一粒、どう納得させて飲み込ませればいい。沢口も避けていた『戦闘用』の言葉。湊斗が欲した答えを、易々と提示するわけにはいかないのだ。


「……どいつもこいつも、信じてるってのは口だけだな。結局大切なことは何一つ口にしない。大人ってぇのはそういう生き物なのか。大人になるってことはそういうことなのか。誰も信じねぇ、誰も、信じてやるもんかぁ!」


 叫び声と同時に、沢口の顔に近づけられていた刃先が上がった。背中から振り落とすように大きく身を反らした湊斗の腹部がぽっかりと空く。


「今だ!」


 沢口は身を低くし、左足を軸にぐるっと左に身体を捻る。背を湊斗の腹にぴったり寄せ、振り上げた湊斗の右手を両手でしっかりと握った。天井に力一杯、ぐいと湊斗の身体を引っ張り上げる。


「は、離せ! 何するんだ!」


 怖じ気づく湊斗の右手から、ポロッと包丁がこぼれ落ちた。そのまま放り投げるようにして、沢口は湊斗の背中を床にたたきつける。ガラス片が背に突き刺さり、湊斗は悲鳴を上げた。沢口が全身の体重をかけて湊斗を押さえ込んでいる間に駆け寄った勇造が、手に持ったカプセルを湊斗の口に放り込む。


「飲み込め! 早く!」


 意味もわからず投入されたカプセルを吐き出そうと必死にもがく湊斗の頭とあごを、勇造は無理矢理押さえつけた。強制的に閉じられた口は、正体不明のカプセルを喉の奥に押しやった。


「飲んだか、飲んだな」


 沢口と二人、確かめ合う。

 しばらく沢口の体重に苦しみ唸っていた湊斗の声が、何分か後、消えた。勇造と二人、心音を確認すると、沢口はようやく湊斗の身体から身を引きはがした。

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