06:因果関係

 高校卒業後国家試験に受かり、警察官になった。交番勤務数年経験後、刑事課に配属されて沢口の下で数年働いた。二十七歳まで刑事を続けていたが、ふとしたことから便利屋という職業を知り、のめりこみ、ついには国家公務員という職を捨てて自分で会社を立ち上げてしまった。当時そんな勇造を最後まで心配し、引き留めてくれたのが沢口だった。

 沢口は気さくで、決して人前で怒らず、全ての感情を体内に隠し続けるような人物だ。そんな彼が見たこともないような真剣な顔で「お前、自分で何をしようとしているのか本当にわかっているのか」と訴えてきたのを振り切り、勇造は刑事を辞めた。

 それからしばらく、沢口の目から隠れるように仕事をしていたが、事件現場の清掃請負などしているうちに、また顔を合わせるようになる。まだ勇造の選択に納得いかない沢口は、会う度何故辞めたと聞いてくるが、本当のことはまだ言えない。そんなくだらない理由でと一蹴されるに決まっているからだ。

 確かに刑事を続けていれば、沢口の言うように一緒に捜査ができたかも知れない。一般人になってしまっては、どうにもならないのはわかっている。事件現場の近くに仕事を求め、どこかで事件と関わっていたい気持ちを必死に押さえながら、勇造は便利屋を続ける。沢口の泣きそうな目が、いつか「お前は便利屋に向いている」という確信に満ちたものに変わるまで、仕事を投げ出すわけにはいかなかった。



 *



 刑事をしていたときからの日課で、勇造は朝からニュース番組と新聞の社会面のチェックを欠かさないでいる。警察内部でなければ入手できない事件の核心に触れるようなことはでてこないが、少しでも情報が欲しい。ずっと気になり追いかけ続けている、断続的に発生する通り魔事件と未成年の関係。どこかに繋がる糸口があり、最後に一つの線で結ばれるはず。勇造は誰に言うことも無しに密かに情報を整理していた。

 もう一つ、気になることがある。


――『ヤツから目を離すな』


 沢口の残した言葉の意味だ。

 勇造はしきりに頭の隅で考えた。初対面の年端もいかぬ少年に、何を警戒しろと言うのか。通り魔事件代表する、最近起きた残忍事件の犯人の多くが湊斗と同じ世代の少年たちだからか。はっきりした根拠も示さずに何故あんなことを言うのだろうか。

 もしかしたら警察は、すでに何らかの情報を得ているのかも知れない。マスコミに公表しないのは、それが極端な混乱を招くかも知れないとき。未成年保護法が施行され、ただでさえ超少子化時代の行く末を担う子供らの保護をしているこの時代、よりによってその保護されるべき少年らが残虐非道な事件を次々に起こしている。政治、法律の欠陥では済まされない。不特定多数の、何の関係もない子供らが同時多発的に事件を起している――これを、政府や警察はどう見ているのか。

 朝っぱらから新聞を広げ、ぶつぶつとああでもないこうでもない言いながら寝癖で跳ねた長髪を掻き回す勇造を、湊斗ミナト香澄かすみは不思議そうに見ていた。


「社長、最近新聞見る時間長くね」


 沙絵子が出した麦茶をグビグビ飲みながら、湊斗は事務机に椅子を並べた香澄に尋ねた。


「元々活字好きらしいけど、近頃確かに長いわぁ」


 湊斗が会社に来て、もうすぐ半月。細々とした依頼を少しずつ教わりながらこなしていく湊斗は、少しずつ社員に心を開いていた。

 できる仕事はそう多くない。アパート群の独居老人たちの買い物代行サービス、ゴミ出し代行、草むしりや掃除など、資格も経験もいらない雑用ばかり。免許証でも取れば仕事の幅が広がると沙絵子は言うが、それ以前に湊斗は漢字がほとんど読めない。まずは仕事をしながら、義務教育のやり直しが必要らしい。こんなことなら、イジメ云々関係なしに学校に行けば良かったと、思ったところでもう遅いのだ。

 ただ、仕事をしていれば時間はあっという間に過ぎていくというのは、湊斗にとって嬉しい誤算だった。具合の悪い都営住宅に居る時間が減った分、精神状態も心なしかよい。母親の顔も見なくなった。彼女はどう思っているのか知らないが、ただ同じ屋根の下にいることさえ苦痛であった湊斗にしてみたら、あの時勇造が例え思いつきででも仕事をしてみないかと声をかけてきたことに感謝すべきだとさえ思うようになってきた。日中帯仕事のために否が応でも家を空ければ、夜型生活の母とは顔を合わせずに済む。そんな些細な収穫に、幸せを感じる。心はまだ歪んでいたが、それなりに満足だった。


「じゃ、湊斗君。これ、今日の仕事場までの地図と内容ね」


 沙絵子が渡した紙を頼りに、今日も仕事へ行く。簡単な日程と作業内容を頭にたたき込み、場所を確認する。


「あれ、ここ」


 小さく呟いた。汗が出た。


「どした?」


 地図を覗き込む香澄から、それを引きはがした。


「いや、何でも」


 見覚えがある団地の名前が書いてあった。



 *



 仕事道具を前カゴと後部に結わえ、自転車にまたがり、地図片手に朝の住宅街を駆け抜けた。朝からわずらわしく鳴きまくる蝉の声を背景に、朝だけのほんのり冷たい風を浴びた。よりによってと思ったが、仕事だと言われれば仕方ない気もする。目指す団地は、子供の頃よく通った場所だ。そう、毎日のように。

 沢口に以前聞かれた、『同年代の友人は』と。いないわけじゃない。ただ、会わなくなってしまっただけだ。向こうは多分高校生、こっちはニート。会えるはずない。中学までまともに行ってれば、それでも会う機会はあったかも知れない。だが、すっかり登校拒否を決めつけていた湊斗と普通に育ったあいつ。仲良くしていたガキの頃と今じゃ、会えたとしても同じ気持ちでいられるはずもないと――勝手に決めつけていた。

 小さな公園に面した、古びた団地だ。あの頃遊んだままの遊具と桜の木。来なくなってから何年経っただろうかと、ぽつり考える。胸がはやった。


「落ち着け、行くのはあいつん家じゃない」


 言い聞かせるように声を出し、湊斗は作業帽を目深に被った。用事があるC棟は一番奥。引っ越していなければ、あいつの家はB棟にある手前の部屋だ。

 自転車を引きながら、団地の横をゆっくりと歩いて行く。

 よく考えてみろ、こんな作業員の格好をして、自分だと気づかれるはずない。隠れるようにする必要なんて本当はない。もっと堂々と、素知らぬふりをして歩く方が自然だ。

 団地を囲うように植えられた木々の下、湊斗の引く自転車は影に溶け込むように進んでいた。タイヤがギアと擦れる小さな音が、湊斗の頭に響いた。

 どうやら通勤時間帯らしく、団地のあちこちからサラリーマンやOL、学生たちが這い出てくる。その中にあいつがいなければいい。ただただ願った。

 C棟の手前駐輪場、自転車を止めて荷物を下ろしているところで、湊斗の危惧は現実となる。


「湊斗!」


 手を止め振り向くと、記憶の中そのままのあいつが手を振っている。


義行よしゆき


 顔を確認するまでもない。声でわかる。当時はまだ、声変わりしていなかったけども。

 駆け寄ってくる半袖解禁シャツの、肩からバックを引っ提げた、いかにも高校生の風体をした義行と自分の作業着を見比べて、湊斗は無意識に自転車から一歩下がった。


「やっぱ湊斗だ。確か中学の時どっかの店で会って以来だよな」


 わざわざ息弾ませて、こっちに駆け寄ってくる。学校は反対方向なんだろうと、湊斗は少しうつむいて帽子のひさしで顔を隠した。


「え、何。仕事してんの」


「あ、ああ」


 左胸にある便利屋一ノ瀬の刺繍を見て、義行は日に焼けた健康そうな顔をぐいと湊斗の眼前に寄せた。


「変わってねぇな。元気そうじゃん」


 ほっとけよ。思ったが、そう悪い気もしなかった。噴き出る汗を、首に巻いたタオルで拭き取り、ちょっとだけ忙しそうに演出してみる。


「何、学校? 夏休みじゃないの」


 心の焦りを知られぬよう、湊斗は普段通りを気取って見せた。


「夏休みっちゃ夏休みだよ。ホラ、こないだ、河原で変なバラバラ殺人あっただろ。あの犯人、どうやらウチの学校の生徒みたいでさ。緊急登校日」


 それ、俺たちが見つけたヤツだと、湊斗は心の中で呟く。


「これから、集団血液検査があるんだって。何で血液? わけわかんねぇ。そんなの疑いあるヤツだけでいいはずなのに――と、俺も思ったんだけどさ。どうやらその検査、俺らの高校だけじゃなくて、全国的に実施するらしくて」


「全国的?」


「そう。全国的。高校生対象に、血液検査を行いますって、あれ。テレビとか新聞とか、ネットでも大騒ぎだぜ。普通に考えて殺人事件と血液検査って結びつかないじゃん。報道によると、血液検査は元々政府の施策として決定してたもので、同年齢の人たちになんちゃら菌だかウイルスだかに感染してる疑いがあるからとか何とか。噂じゃ、菌じゃなくて、ナノなんじゃないのって」


「ナノ?」


「ナノマシンだよ。あくまでネットで知ったことなんだけどさ。俺らの世代の若者に、特定のナノが流行してるって。その原因と感染源を突き止めるための全国調査らしいぜ」


 義行の話は雲を掴むようで、湊斗には半分も理解できなかった。しかし、帰社後勇造にその話をすると、彼は青ざめた顔で立ち尽くしてしまったのだった。

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