第25話 子供たち

 地下へと続く階段をおりた二人は、地下室のドアの鍵穴にヨークから手に入れた鍵をさした。

 ドアが開いた。

 部屋に飛び込んだエバンズとベアーに、部屋の中にいた女性たちが悲鳴を上げた。

 エバンズは目を見開く。

 中にいたのは、20人以上の女性たち。

 グレートルイス人の女性に交じって、褐色の肌のキエスタ人女性もいた。

 彼女たちのほとんどはおなかが脹らみ、妊婦だった。


「#=|*‘?>|%&#!!」


 一人のキエスタ人女性が、わめきながらエバンズを叩いた。


「いたっ……ちょっと……いたっ……!」


 手で彼女の攻撃を防ぎながら、エバンズは悲鳴を上げる。


「*?&#&$&#&$’!」


 ベアーが叫んで、攻撃する彼女を後ろから取り押さえた。


「#&’$)”?」

「”*+++!?*+*。1&%&$&&……」


 あっけにとられるエバンズの前で、ベアーとキエスタ人の彼女は顔を見合わせ、異国語を交わす。

 キエスタ人の女性は振り上げていた手を下した。


「あんた、誰なの?」


 壁に背を押しつけていた、金髪のグレートルイス人女性がエバンズをにらみつけて言った。


「僕は、東オルガン市警の者です。大丈夫です。あなた方を助けに来ました」


 エバンズは部屋中の女たちを見まわして声を張り上げた。


「……巡査?」


 部屋の片隅から小さな声が聞こえた。

 その声の方にエバンズが顔を向けると、髪を短く切りそろえた女性が自分を見つめていた。


「……君は、ドロシー」


 右腕に薔薇の刺青がある、確か年齢は20歳の黒髪の女の子。


「巡査だ。……大丈夫、みんな! このヒト、巡査だよ!」


 エバンズの顔を確認してドロシーは叫ぶと、立ち上がった。


「あたしたち、助かった! 巡査が来てくれたよ!」


 わ、と女たちが抱き合って喜んだ。


「巡査。なら、はやく救急車、呼んで」


 ドロシーがエバンズに近づいた。


「どなたか、怪我を……?」

「ううん。もうすぐ、生まれるの」


 言って、ドロシーは部屋の奥にかたまっている女性たちの一群を指した。

 エバンズの視線を受けて、女たちが移動する。

 彼女たちの背後に座っていた女性がこちらを向いた。

 彼女は……確かメアリー。

 エバンズは彼女の顔から手帳に書き留めた記憶を掘り起こした。


「巡査。早く」


 メアリーは言って、再び背を向けた。

 床に横たわっている一人の女性の脚の間に彼女はいた。


「もう、生まれる。出てくるよ」


 はっ、はっ、と息を吐きながら空を一点に見つめ、床にあおむけになっている女性の顔には見覚えがあった。

 アンバーだ。一年前に姿を消した彼女。


「力を抜いて、アンバー。ほら、出てくるから」


 メアリーは彼女の脚の間に身をかがめる。


「ほら」


 皆が息をのんで彼女たちを見守る時間がしばらく続いた。

 は、は、とアンバーの息遣いだけが聞こえる静寂の後、メアリーが動き、一瞬の間をおいて泣き声が聞こえた。


「……生まれた! 生まれたよ、アンバー」


 猫のようなその泣き声はハリがあり、小さいながらも生命力を感じさせた。

 部屋の女たちがため息をつき、喜ぶのが分かった。


「男の子だ、アンバー」


 タオルにくるまれた赤ん坊を、メアリーがアンバーの胸の上にのせた。

 汗で髪がひたいに貼りつき、苦痛を通り越したアンバーの目が輝いた。


「ああ……! 私の赤ちゃん……!」


 疲労のにじんだ顔に、笑みが浮かぶ。アンバーは、うれしくてたまらないというようにメアリーに目をむけ、すぐに胸の上の赤ん坊に視線を戻した。


「私の赤ちゃん。誰にも渡さないわ」


 そ、と手を伸ばし、アンバーは彼に触れた。


「もう、大丈夫。奴らにこの子は連れて行かれない。この子はここにいるわ……!」


 メアリーの言葉にアンバーは頷き、は、と息を吐いて我が子に満面の笑みを送った。


 目の前の奇跡を茫然と見つめていたエバンズはふと気づいて、隣に立ちつくすベアーを見た。


 彼の目からは、涙が流れていた。――



 ――――――――


 郊外の別荘群の間を、夕闇の中、東オルガン市警のパトカーの灯が列になって続いている。

 例の別荘の周囲に滞在していた人々は外に立ち、不安そうに事の成り行きを見守っていた。


 もうすぐ、記者たちが嗅ぎつけてやってくるかも。

 監禁されていた最後の女性がパトカーに乗り込むのを確認したエバンズはため息をついた。


 そして、彼の姿を探した。

 女性たちの身元確認と、同僚への説明に懸命だった彼は、ベアーの存在を今まですっかり忘れていた。


 探したベアーは、別荘の庭にいた。

 古い切り株の上に、彼は手を膝の上で組んで座り、ぼんやりと空を見つめていた。


「ベアーさん」


 エバンズが呼びかけると、彼はゆっくりとこちらを向いた。

 エバンズは彼に近づく。


「……びっくりしたでしょう。出産を間近で見るなんて」


 先程の彼の反応を思い出し、エバンズは選んだ言葉をかけてみた。


「はい。……感動しました」


 ベアーはまだ感動が抜けきらない様子でぼんやりとエバンズを見返した。


 彼は感受性が強いのかな。感激屋、なのかな。

 とエバンズは思う。

 それとも、過去の悪行を後悔していたとか。関係した相手の女性たちと子供に対して、激しく罪悪感を感じていたのかも。

 ……なら、少し、ざまあみろ、だな。


 エバンズは彼の隣に立った。


「私は、以前、姉の出産に立ち会ったことがありまして。いや、立ち会うつもりはなかったのですが。なりゆきで。……姉は超スピード出産の体質なんです。それなのに二人目の子だからと慢心していて陣痛が来てものらりくらりしていたものですから、病院に行くまでの車内で生まれてしまって」


 エバンズはその時のことを思い出す。

 義理の兄と自分は、動転してうろたえるばかりだった。同乗していたもう一人の姉が、赤ん坊を取り上げた。


「あのとき、男は何もできないんだなあ、と思いましたよ。あせるばかりで。女性はあのときでも落ち着いているんですよね。……僕も感動しましたね。僕もああいうふうに生まれてきたんだなあと思うと」


 エバンズの言葉に、ベアーは微笑んで答えた。


「女性は素晴らしい。命を胎内で産み育てることができるなんて。……そう、思いました」


 立っていたエバンズは頷き、その場にしゃがみこむ。


「……ベアーさんはキエスタ語をお使いになれるんですね」


 部屋にいたキエスタ人女性と会話していたベアー。


「……はい。カレッジでキエスタ語を選択しておりまして」

「キエスタ東部の言葉を? また、珍しいですね」


 エバンズ自身もハイスクールでキエスタ語を履修したが、それはキエスタ西部の言葉である。カレッジでも、西部以外のキエスタ語をするところなんて少ないと思う。


「先程の女性は、キエスタ南部人です」

「あ、そ、そうですか。失礼。全くわからないもので」


 わからないよ、ふつう。西部以外の言葉がどっちがどっちなんて。

 自分でフォローしながら、エバンズは続ける。


「彼女はとても安心したと思います。自分の言葉が通じる人間が現われて。ありがとうございます」

「お役に立てたのなら」

「それにしても、今回の事件はひどい。今までに生まれた赤ちゃんは、どこにいったのでしょう。闇マーケットで取引されて、行きつく先がどんなところなのか」

「……キエスタ南部では、男の子は高値で取引されます」

「そんなところでしょうかね。あとは、子供に恵まれない夫婦とか。里親になるには、ハードルが高い夫婦には夢のような取引かもしれない」


 おそらく、行方知れずになった赤子は10人以上。

 監禁されていた24名の女性のほとんどは妊娠していた。

 これから先起こるはずだった悲劇を考えると、恐ろしくなる。


「僕が、メモに残していた彼女たちの半分は無事でした」


 手帳に記していた彼女たち。

 残りの半数は、まだ行方知れずだ。


『私のこと、探してくれていたの』


 ドロシーが涙目で自分を見つめて言ったとき、エバンズは彼女たちが救出されるのを期待していなかったことを知った。


『ありがとう、巡査。あたし、巡査のことからかってばかりいたのに。ごめんなさい』


 泣きながら自分に抱きつくドロシーを抱きしめ返しながらエバンズは、自分がメモを残したことを本当に良かったと思った。

 自分じゃなければ。いや、自分がそんなにこだわっていなければ。

 メモを残していなければ、いずれ自分の記憶からも彼女たちは消え去ってしまっていただろう。

 ぞっとした。

 彼女たちは一生、ここで飼い殺しだったのかもしれない。


「エバンズさんがメモをしていなければ、彼女たちは気づかれないままだったのかもしれません」


 ベアーがエバンズを見つめた。


「あなたが、彼女たち……おなかの子供を救ったのです」


 エバンズは再び立ち上がり、首を横に振った。


「彼女たちが見つかって本当に良かったと思います。……しかし、残りの半数の彼女たちはまだです。これから、彼女たちを絶対に見つけ出します」


 エバンズはベアーを見下ろした。


「それに、彼女(・・)はここにはいませんでした。……エルザはどこにいるのでしょう」









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