尻尾の医師(2)

 領主・ブラン候の悪政は日に日にその度を増していくばかりだ。神への崇拝を強めに強め、もはや自ら街を治めていることなど、忘れ去ったかのようだった。もちろん目に見えて異端であるラファルをみつけたなら、途端にさらし首にしようとすることは必定だ。ただ、それ以前に彼は守られるだろう。彼を慕う、領主の専横に嫌気がさした住民たちによって。

「ううん、今日もルツルのりんごはおいしい」

 ラファルは先ほどから手に抱えた満杯の革袋から、赤く光るリンコを取り出してかじっている。

「どこでもらってきたんだ、まったく」

「北方から来たお嬢さんから。んんー、最高!」

「食べ過ぎて腹をこわすんじゃないぞ」

 にこりとしながらそれを食べ、尻尾を振りながら、白衣の裾で口元をぬぐうその間、無邪気だった昔を思い出せるので、魔女も悪い気はしない。

 これだけ、周りに頼られる魔術師になったのだ。

 魔女は嬉しい反面混乱していた。慕ってくれる分には嬉しいが、ラファルの才に対し、妬ましい思いがないでもない。

「お前も立派になったものだ」

「お世辞はやめてよ」

 アマンダの家の書物を読み始めてから五年で、彼の能力は飛躍的に向上し、魔女ですら苦しみ、アマンダはついに乗り越えることができなかった、「遷魔の儀」をこなしたのは、なんとそのうち二年目だった。本当に才能がある、しかしそれを鼻にかけないところは、彼の人柄の良さだった。

「なんとか、アマンダさんが存命のうちに、この街を変えたいと思うけれど……僕らにできることは、傷病者の治療だけ。もっと大きなことはできないのか、とたまにもどかしくなる」

「私たちの領分ではないさ」

「それでも、僕たちは街のみんなから慕われている。何かを起こすことはできると思う」

「駄目だ。それは魔の道に反することだ」

 魔女はもどかしそうに尻尾を地面にたたきつけるラファルの肩に手を置いた。

「それが魔の道だ」

 魔術とはいわば自然との対話術である。ゆえに、成り行きに任せること、人の世の流れを自然現象とみて、身を投じることは、基本中の基本だった。

「それが分からないお前ではないだろう」

「そうだけど……」

「気持ちだけでうれしいのよ」

 アマンダが言った。それまで存在感がなかったが、そのしわがれているが深い声はその場の誰しもの注目を集めるのに充分だった。

「私たちは、これまでとても幸せに暮らしたのだから……ね、フランコ」

 アマンダは、フランコ――の遺品である筆を手に取った。魔女とラファルが来てまもなく、フランコは息を引き取った。その人生から誰にも気づかれず静かに去っていくように、彼は死んだ。

「まもなく私もそちらにいくんだろうね」

「縁起でもないことを言うんじゃない」

 魔女がアマンダに声をかける。しかし、ラファルはその声にあきらめの色があることを、耳ざとく聞いていた。

 ラファルと一緒に診断して余命を照合させ、やはり狂いがないということが、魔女にはもどかしかった。

「せめて最後に、大市でもやってやれないものか……」

「お母さん、それだよ、大市をやって街を盛り上げようよ!」

「ふうむ……もちろん街の人々次第だが、それはいいかもしれないな」

 魔女の、人間たちへの干渉を最小限にしたいという思いは結局のところ建前だった。長年連れ添ったアマンダに、魔女の心の中でも、いい思いをして逝ってもらいたいという思いはあったのだ。

「ルツル国の物産なら、あのお嬢さんに頼んで都合をつけてもらえるだろうし、他にもいろんなところからうちは人を受け入れてるから、聞いてみたら案外色々集まるかもしれないね」

「……懐かしいね、そうして昔は、知り合いのつてを頼ってみんなで街を盛り上げたものだ」

 アマンダの瞳が昔を懐かしむ色に染め上げられたとき、途端に、魔女の脳裏には沢山の風景が思い浮かんだ。

 アマンダと過ごした、若かりし頃の記憶――

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