呪文と教え(3)

 日もまだ落ちていないが、魔女はアマンダがラファルをどうしているのか気になって、そそくさと宿屋に戻った。俗っぽさに身を浸したアマンダに、何か教育上よくないことを吹き込まれてはいないかと、不安になっていたのだが、それがいささか過保護であることに、魔女は気づいていない。

 使いの男にまた会釈して通してもらうと、アマンダの手ほどきで書物を読んでいるラファルが振り向いた。

「あ、お母さん! もう終わったの?」

「ああ、誰かさんのおかげだ……」

 キョトンとした目を向けるラファルに、背中がこそばゆくなってアマンダのほうを向いた。何故かにやついている。

「そう言えば気になってたんだけど、あなた、この子にお母さんって呼ばせてるのよね?」

「あ、ああ……悪いか」

「いいえ、そう言う趣味なのね、と思っただけよ。――さあラファル、おばばの話を予億きくんだよ」

 無邪気にはい、と声を上げるラファルに、魔女は思わず噴き出した。

「おばば……くくっ、おばばか……悪趣味はどっちなんだ」

 アマンダは目をきょろきょろさせながら、

「まあ、お互いさまね」

 とりなすように言った。二人とも、この狐憑きにほだされていることは間違いない。

「ところで、お母さんは弱い人を助けに行ったんだよね?」

 妖狐は目を輝かせながら言った。アマンダの入れ知恵か、と魔女はため息をつく。

「そんなつもりはない」

「ほら、この本にも書いてあるよ。『弱きものにはほどこしを与えよ』って」

「……ふん、その心を大事にするがいいさ」

 魔女は、図らずもラファルがその字句を引いたことが癪だった。

「うふふ、この子ったら、自分でこの句を見つけてきたの、案外こちらの才能があるかもしれないわ、うふふ」

 アマンダが嬉しそうに言う。

 結局自分も、主に助けられた身ではあるのだ――アマンダは、主に従い私に声をかけてくれたのだから。

 宗教にすがる人々の心も、分からなくない。魔女は自己矛盾に陥っていた。結局は、それを考えない道――禁呪を口にする立場を選び、不老不死の儀をもって天命に抗う道を選んだのだが、多数の人間は超自然的な現象、理不尽な出来事の説明をつけてほしくて、超人間的存在に身を託している。

「ちょっと仕込んでしまえば、神に仕える人間にも育て上げられるわ。言葉の覚えが早いもの、私に任せればそういう道へも進んで結果が出せると思うけれど?」

「ふん、修道院主席の驕りだな」

「元、と言ってほしいわね」

 人びとにおける宗教とは、自分にとっての魔術なのだ、と魔女は納得することにしている。

 自分が心のよりどころとしたものが、それであるというだけだ。案外それほど、両者に差異はないのかもしれない。

「とにかくこいつは私が育てる。が、アマンダ、お前の協力も得たいところだ。よろしく頼むぞ」

 アマンダは自分の身体を抱え込むように腕を組んで、

「そんな言い方をあなたがするだなんて、気味が悪い」

「彼の魔力は、私が魔女を志した時のそれを、すでに超えている」

「あ、あなたを……?」

 初めて魔法を使い、一本の大木をなぎ倒した時のことでも思い浮かべているのであろう。

「施療院で気づいたんだが……こいつの魔法使いとして成長する様を見たくはないか?」

 唾をのみながら、アマンダはうなずいた。ラファルが魔法を覚えて、同じことをすれば、あたりの木まで丸ごと倒してしまうはずだ。

 そうして、まだ幼いラファルの指導役に、アマンダという修辞や理論を得意とする心強い老女が加わることになった。彼の目はらんらんと輝きをたたえている。濁ったものがないし、聞き分けもよい。二人は将来に、彼に対する期待を膨らませていった。


 ――ここから時は流れる。妖狐が精悍な若い大人の肉体を手に入れるまで。

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