街にて(3)

「ここが、一番栄えている通りだ。行き止まりに、修道院がある」


 四階建ての石造りの建物が、左右にびっしりと並んでいた。昼時で、一階から二階の大広間に食事を運ぶ給仕たちがせわしなく階段を走る音が聞こえる。今まで嗅いだことのないような、肉の焼けるにおいなどがラファルの胃袋を刺激した。ぐぅ、と腹が鳴ったのを魔女はからかって、


「お前が食われても、おかしくないんだがな」

「だって、おいしそうなんだもん、しかたないよ」

「アマンダがお前を食うかもしれない、彼女は珍味が好きでね……」


 ラファルの頭の、アマンダのイメージががらりと変わる。木の枝のような手をこまねいて、気味悪い笑い声をあげる老婆……。ぶるりと大きく震えがきた。魔女はその様子ににやにやと性格の悪い笑みを浮かべながら、


「もう街中に入っている。お前の尻尾がばれたら、即座に異端者扱いされて極刑だ。きちんとフードにしまっておくんだぞ」


 またぶるり、震えるので、こらえきれず魔女は吹き出した。


 しかし魔女には気がかりがあった。依然訪れたときほど、街の活力を感じられなかったのだ。商業が盛んではないわけではない、むしろここは近くで有数の都市だ。しかし、立派な城壁の内側に入った途端、そこはかとなくよどんだ雰囲気が漂っている気がした。不況というやつだろうか、程度に考えた。


 二人は街の見物をしながら、ゆっくり宿屋にたどり着いた。


「さてここだ。アマンダはいるか――おっと、懐かしい顔だな」


 宿の下働きの男に声をかけた。三十代ほどの気弱そうな中年男性が、彼女の顔を見て目を白黒させていた。


「あなたは、もしや……森の魔女、ニ」

「名は捨てた。それ以上言うな」


 照れ臭そうにそう言うのがラファルにとっては不思議だった。


 ――名前呼ばれるの、好きじゃない?


「そうだったな。五年ぶりか? きっと主人も、アマンダさんも喜ぶだろう」

「主人もまだ生きてるのか、しぶといやつめ」

「そう言いながら、彼の肺病を治したのはあなたじゃないか」


 男に返事をせず、扉を開けて建物の中に入っていった。ラファルはいつもする、尻尾をパタパタさせながら走る癖を、必死にこらえた。


「あら、どなた? って言わなきゃいけないわね」


 建物に入るとすぐ、脇の階段を三階まで上がる、その途中で年老いてしわがれながらも大きな声が聞こえてきた。


「声がでかい。耳でも遠くなったか」

「そんなところね――食事は?」

「食材がない」

「かまわないわ、うちのを食べていきなさい。最近フランコの食もずいぶん細くなってね……」


 アマンダは手をたたいて給仕の女を呼び、料理を作るよう指示した。


「じきにくたばるんじゃないかって」

「そうしたらアマンダ、好き放題だな」

「なあに、元から家計は完全に掌握してるし」


 老婆は茶目っ気たっぷりに舌を見せる。


「ま、宿屋も実質、アマンダが切り盛りしているようなものだしな」

「そうでもない。あの人あっての商売よ。あの感じ、結構好きだって言う人多いのよ」


 私もかっこいいと思うし、とアマンダ。そう言ったところで、四階から宿屋の主人――フランコがおりてきた。老婆がフランコに片目をつぶって見せる。彫の深い顔のせいでラファルから彼の表情は読み取れないが、老父のしわだらけの頬に朱が差す。隠れるように、ひっそりと部屋の隅で折り畳み机を広げ、なにやら書き物を始めた。


「いつまで経っても、変わらないな」

「いつまで経っても、私はあの人が好きよ」


 人間時代は勉学にひたすら身を投じていた魔女としては、恋は難しく、どこか別世界のことに思える。


「好きな人は作らないの?」

「好きな人、好きな人っていうのはその、わからないな」

「人間をやめたときから、精神の成長も止まっちゃったのかしら?」


 ケラケラと笑いながら魔女のわき腹をつつくアマンダ。ラファルは魔女が赤面しているのを初めて見た。彼女らが何を話しているのかよくわからなかったが、楽しい雰囲気だけは伝わって、思わずくすくすと笑ってしまった。魔女はラファルのすねを、かなり強く蹴った。


「可哀想に……そんなに乱暴しなくても。また孤児の子でも拾ったの?」

「いや、家に住んでる」


 アマンダが驚いて目を見開いた。


「あんたが、だれかと共同生活なんて……しかも孤児の子と」

「狐憑きだ……その、初めは食おうと思っていたんだが」


 しどろもどろに、言いわけじみた説明をする魔女に、たまらずアマンダは吹き出した。


「ニコラあんた、変わったね。こういうの、私の口から言うと偉そうだけど、命あるものを愛することは貴いことよ」

「名前を呼ぶな! あ、撫でるな……」


 魔女は、いつしかアマンダの胸に抱き寄せられていた。昔勉強が分からず悔しくて泣いた日に、よくこうして頭を撫でられていたのを思い出した。


「変わらないように見えて、少しずつ、時に大胆に物事は変わるもの……それが世の理だね」

「……妙なことを言う」

「気づかなかったかい? もう店先に目印の箍がなかったろう」


 アマンダはぽつりと言った。魔女ははっとした。


「まさか」

「ああ。宿屋はもうたたんじまったよ」

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